『アオイホノオ』から20年後の大阪芸大生は今?『ロボットガールズZ』監督・博史池畠インタビュー

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2014年11月27日 22:11  おたぽる

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おたぽる

大阪芸術大学出身のアニメ監督・博史池畠氏。

――7月期にテレビ東京で放送されたドラマ『アオイホノオ』のBlu-rayとDVDが、11月19日に発売された。本作は島本和彦さんの同名マンガを原作としているが、"ダイコンフィルム"の制作など、島本さんが大阪芸術大学に在学していた1980年代初頭の時代背景や出来事が盛り込まれた作品として注目を集めている。



 その時代から20年後、とある人物が大阪芸大に在籍していた。後にアニメ『ロボットガールズZ』の監督となる男、博史池畠さんである。今年、その『ロボットガールズZ』でアニメ監督デビューを果たした池畠監督に、改めて自身の在学中の出来事について語ってもらった。



■映画監督を目指して入学のはずが......? SF研究会でアニメの洗礼



池畠「『アオイホノオ』は、その当時と僕がいた時と(大学の)雰囲気が全然変わってないですね。『仮面ライダー』の仮面をカブってる人【註:マンガ版高橋のこと】がいてもおかしくないですし、いたとしても(馴染んでて)みんなスルーしてる感じが。どうやらこの人は大阪芸大の卒業生だったらしいとか、庵野監督よりずっと下の、比較的僕らと近い世代の先輩たちには卒業後に業界で出会ったりしたんですけど(池畠監督が演出で参加した『アクセル・ワールド』の監督・小原正和さん、『生徒会役員共』の監督・金澤洪充さんなど。ちなみに前述の『ロボットガールズZ』のシナリオライターである兵頭一歩さんも大阪芸大出身である)、庵野監督くらいになると遠すぎて伝説的なものでしかないですね。あ、でも南雅彦さんにはボンズで働いてた時にお会いしました。恐れ多くて挨拶するのが精一杯ですけど(笑)。島本さんが大阪芸大の卒業生だったのを知ったのも、大学に入ってしばらくしてからでした。



 それまで(庵野監督の)『新世紀エヴァンゲリオン』とか人並みには見てましたが、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』など、押井守監督作品とか見て『俺わかってる』的な意識高いオタクみたいなふりをしてたんです。でも大学に入る時はそこまでアニメに興味なくて、むしろ特撮に興味がありました。大阪芸大に入ったのも、映画好きな高校生が『将来映画監督になりたい!』って無謀な夢を思うじゃないですか。そんな感じだったんです。



 大学には学力で入った気がしなくて、AO入試みたいなもんですね。入試の時に4コマの絵コンテみたいなのを渡されて、わりと自分でも『これかなり面白くなった!』って思いました。入ったのは映像学科ですが、1学年150人くらいじゃないですかね。僕は2次試験で入ったので、席次は最後の10人くらいですけど。当時の学科長はイラストレーターの佐々木侃司さん(2005年没)で、酒を飲み過ぎて身体を壊して死にかけてるにもかかわらず、言うことなすこと面白くて大人気でした。途中で退いちゃったんですけど、僕らの中では"心の学科長"です。卒業式の時も『仕事が辛くなったら、皆さんお酒を飲みまくりましょう。飲みまくって身体を壊せば、しばらく仕事をしなくてよくなります』とか、すごいこと言ってたので(笑)」



 佐々木さんは小説『どくとるマンボウ』シリーズ(新潮社/著:北杜夫)の表紙などで知られている。特に"アンクルトリス"で知られるイラストレーター・柳原良平さんなどとともに、サントリーの宣伝部に所属していたことは有名だ。



 池畠監督が大阪芸大に入学したのは1998年である。現在、アニメーションコースのあるキャラクター造形学科が同大に開設されたのは05年で、当時はまだなかった。



池畠「入学した時もアニメーションコースというよりは、アニメはすごく細分化された中の1つでしかなかったです。映像学科に映像コースと映画コースがあって、映像コースの中でさらに広告と映像表現に分かれて、映像表現の中に実験映像とかアニメーションとかって感じです。今はキャラ造(キャラクター造形学科)があるんで有名な人が教えにきてますけど、僕らの時は好き勝手にやってました。アニメーションの授業もパラパラマンガを描けば終わりでしたし。



 サークルはSF研究会(以下、S研)に入るんですけど、("SF"は)名前だけで特撮とかCGやってる映像サークルだったんで、そっちのほうがいいかなって。映画監督になりたいと思ったんですけど、大学に入っていくつかの変化があって、実写は人間関係とかで異様な面倒くささがあるなと。知り合いが『エヴァ』世代で入ってきた人ばかりだから、アニメオタクが多くて......しかもアニメが好きなんじゃなくて、作るほうに興味がある作画オタク。その人たちに洗脳されたりしました。最初は『金田(伊功さん)のアニメ』って聞かされて『カナダのアニメですか?』ってくらいだったのが、2年後くらいには『このアニメーターの作画は......』ってドヤ顔で語る男になってました(笑)。



 当時はデジタルでアニメを作り始めた時代で、学生でも簡単に作れる走りだったじゃないですか。『何か1人でアニメ作れるみたい』って感覚があって、『アオイホノオ』でも描かれてますけど、みんな自分で監督やりたくて仕方がない人たちばっかりなので、『各自で役割を決めなきゃならない実写よりもアニメのほうが楽しいよね』って。アニメに対する偏見みたいなのも、夕方にテレ東でアニメやってるし、大阪では朝に昔のアニメの再放送もやってたし、ニチアサも『おジャ魔女どれみ』だし......で、ガンガン見てなんら抵抗がなくなりました」



■S研に所属しつつCASに入り浸る 数々の個性的な仲間との出会い



 ちなみに、S研の現在の正式名称はSFAである(本稿では当時を尊重し、あえてS研とする)。池畠監督はS研に所属しながら、漫画・アニメーション研究会ことグループCAS(以下、CAS)にも入り浸っていた。CASは『アオイホノオ』にも登場するマンガ家・矢野健太郎さんが創始したサークルとして知られる。



池畠「S研は当時そんなに人がいなくて、人が来ない時はCASのBOX(部室)にいました。CASのBOXはS研の2つ隣でもあったので。後輩には僕がCASの部員だと思ってる人が多いみたいですね。『しょっちゅう来てて部員っぽいけど、部会にも合宿にも来ないし』って思われてたんじゃないかな......。当時のCASの部長は佐藤利幸さんでした」



 佐藤さんは現在、イラストレーター・アニメーターとして活躍している(11月21日公開の日本アニメ(ーター)見本市第3弾『ME!ME!ME!』には原画で参加)。CASの部員で池畠監督の同期には、アニメ作家の山岸たかおさんや石川直哉(石川プロ)さんがいる。山岸さんもアニメーターとして、石川さんはOVA『くっつきぼし』(10年)の制作などで活躍している。



池畠「S研とCASで毎年1回合同上映会をやってたんです。初めて山岸さんや石川さんと会ったのは確かその時でしたね。いつの間にか、僕のあだ名も決まってました。CASの会議で『アイツはアホなんじゃないか?』『アイツは"アホボーイ"だ』って【註:池畠監督は"アホボーイ"を絡めた名義で作品を制作することもある】。上映会のタイトルは『骨髄ドリル』ですけど、今もやってるみたいですね。『骨髄ドリル』ってタイトルになったのは、僕らのはるか上の先輩で、当時のS研の部長とCASの部長【註:足立慎吾さん。最近では『ソードアート・オンライン』のキャラクターデザイン・総作画監督を務めた】とが企画したからのようです。僕らにしてみれば『なんだ、このタイトル?』ってことで変えようって話もあったんですが、先輩が『いや、このワケのわからんタイトルのまま続けるという嫌がらせをしたほうがいい』ってことで、いまだに続いてます。今の部員のツイートとか見てても『「骨髄ドリル」そろそろ作品を作らなきゃ!』とかあって、『まだやってんだ!変えろよ!』って(笑)。



『骨髄ドリル』は夏でしたが、春は新入生歓迎上映会があって、秋に学祭。僕らの代はさらに『冬にもやろうぜ!』って、『丸目V』って上映会もありましたが、定期的に『作らなきゃ』という使命感があって、それに合わせてひたすら作品を作ってました。学祭用に制作したのを、そのまま課題用として提出します。見てもらって反応がダイレクトにくるのがすごくうれしくて、それがやっぱり学生ならではですね。さすがに3回生、4回生で出す時は、夏ぐらいに『こういうコンセプトです』って制作要項も教授に出してるんですが、仮に全然違う作品を課題に出したとしてもダメってことはないです」



 先にも話に出たように、2000年前後には自主制作ブームが起きていた。90年代後半の3DCGブームから2Dやコマ撮りを含めた学生作品が増えていった時期でもある。なかでも池畠さんたちは「CGアニメコンテスト」を主戦場としていた。「CGアニメコンテスト」には入選者の物販スペース「作家市」もあり、当時はCAS名義での出店も行っていた(ちなみにほかの大学では、武蔵野美術大学のアニメーションサークル・MAUNACも出店していた)。



池畠「『CGアニメコンテスト』には在学中から出してました。出そうと思ったのは、第13回(01年)に石川さんの『らめんちゃいにゃん』が外伝大賞になったからで、意外と僕らのレベルで通用するんじゃないかと思って。僕の『スペード5』は卒業制作です(『スペード5』は第16回で外伝に選ばれた)。当時もうちょっとYouTubeやニコニコ動画のような動画配信の環境が整ってたら、もっとアピールできて自主制作で食えてた勢いがあったかも。自主制作と動画配信のムーブメントがズレてて、ちょっとタイミングを逃したかな......」



「CGアニメコンテスト」の外伝とは、入選には至らなかったが面白い作品を紹介する枠である。入選以上では、第14回に山岸さんが『絶対無双麻雀マン』で佳作、石川さんが『魔法のチョコレート』で入選、佐藤さんが第15回に『超無敵メカピーポくん THE MASTER OF UNIVERSE』で入選している。



 ICAF(インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル)で上映されることはなかったものの、池畠さんたちの作品はほかの大学の作品よりもエンターテインメント色が強く、それらの作風にハマる人も少なからずいた。ほかのクリエイターでも、"かぼすちゃん"こと『別府鉄輪地獄変』シリーズなどの青木隆志さん、『拳闘巫女こぶしちゃん』などの大木奈翁さん、『ルール』などのかみやろんさん、『ウシガエル』などの塚原重義さんなどが、池畠さんたちに注目していた。また当時は"Flash黄金時代"でもあったが、そことは一線を画していた(青木さんと塚原さんはFlashユーザーだったので、ファン層が重なっている)。



池畠「(僕らの周りでも)Flashに手を出してたと思うんですけど、(実写も含めて)今まで自由にやってたのに制約が多くてFlashから離れちゃう人が多かった気がします。After Effectsは高くて使えなくて、Photoshopで描いてPremiereで編集してたんですよ。Premiereは実写でも使えるという理由もありましたが、その2つがあればギリギリアニメはできます。アニメーションレイヤーとかないから、とにかく送り描きで描いて描いてパーツごとにレイヤーに置いてました。



 今でもたまに自主制作が好きな人から『当時見てました』って言われる作品『マヴ』は、卒業間近に作りました。ワケのわからないシュールな演出があった時に『「マヴ」的な展開が』って言うと通じたりとか(笑)」 



 先の作風にハマったクリエイターの中には、最近ではテレビシリーズ『キルラキル』(13年)で副監督を務めた雨宮哲さんもいた。雨宮さんが監督したショートシリーズ『インフェルノコップ』(12年)は、まさに『マヴ』的な演出を体現していた。雨宮さんは来春の『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』で監督を務めるので、これまた期待が高まる。



■「面白い」とは何かを教えてくれた先輩・綾野智章さん 自身の卒業後に続く後輩



 池畠さんは大阪芸大でS研の部長になるが、影響を受けた先輩がいる。CASの部長も務めた綾野智章さんだ。綾野さんは現在、『ストリートファイターIV』などカプコンのプロデューサーとして知られている。



池畠「綾野さんの何がすごいかって、それほどアニメとかマンガに興味がないのにCASにいたことです。山賀博之さんタイプですが、いざ周りの影響を受けてアニメを作り出すと、普通のアニメオタクがしない発想から、今まで見たことがない作品ができてました。妙にカリスマもあって、4人兄弟の長男でもあるから後輩の面倒見もよくて、自然体でいい感じです。僕は90年代宝島系のサブカルに染まってて、『物事はディープな方向に知るべきで、浅いものは面白くない』みたいな感じだったんですけど。



 綾野さんはテレビはバラエティ番組しか見ない、マンガは『あしたのジョー』と『Dr.スランプ』しか知らない、モーニング娘。と携帯電話が大好きっていう、僕のそれまでの概念からすれば面白くないはずの人間なのに、大学の誰よりも面白かったんです。『こういう面白さもあるんだ! 大学生になっても"ウンコチンコ"って言ってもいいんだ!』って。建築学科なのに卒業制作もアニメでした。建築模型とコンセプトでプレゼンをするところを模型の代わりにアニメを出すなんて......。綾野さんは技術的には大したことないんですよ。絵も上手いのか下手なのかわからないし(笑)。



 綾野さんが卒業して大学院に上がったことで、学生の間で院に上がるブームが起きたんですが、綾野さんはそれを契機にCASの部長になりました。学部時代には部長をやってないんですけど、修士課程の修了までという猶予があったから部長になる資格が発生したんです。僕も学部時代が楽しかったんで、親に『院に行かせてくれ』って言ったらダメだと言われました(山岸たかおさんは院に上がった)。院に上がってたら、ちょっと変わってたかも。アニメ業界にはいないかもしれないです。



 今はどうだか知りませんけど、大阪芸大はとにかく映像さえ提出すれば卒業はできました。卒業制作展に行って衝撃を受けたのは『1、2のサンセット』って作品で、ただ夕陽を5分くらい撮ってるだけのがありましたね。『これはこういう意図がある!』って言えば済むけど、『ダメだ! もう卒業だから作らないと! それっぽいタイトルつけて作品ってことにしよう!』って心境だと思うので、コンセプトアートかすらもわかりません(笑)」



 後輩としてはS研ではアニメ演出家の井端義秀さんなど、CASではイラストレーターの入地有海さんがなどがいる。「CGアニメコンテスト」では、井端さんは第17回に『夏と空と僕らの未来』で映像賞、入地さんは第18回に『魔法の椅子』で佳作となった。



 一方で、石川直哉さんは第16回に『どっちもメイド』で入選、山岸さんは第17回に『怪奇メタロー』で外伝入選および第20回に『胃の三太郎』で外伝大賞、池畠さんは第18回に『スペード5.2』で外伝大賞および第20回に『アメリカ大統領アメリちゃん』で入選と、卒業後も自主制作を続けている。



 井端さん、入地さん以降の後輩では、CAS出身の川尻将由さんがいる。川尻さんは「CGアニメコンテスト」第21回に『ニッポニテスの夏』で入選。テレビシリーズ『ステラ女学院高等科C3部』(13年)で監督に抜擢されたことでも驚かれたが、『ニッポニテスの夏』と同様にサバイバルゲームを題材とした作品なので、うなづける部分もある。



池畠「川尻さんとは、後輩同士の飲み会に招かれた時に会いました。(GAINAX社長の)山賀さんがCGスタジオ・吉祥寺トロンを作るというので、(『ステラ』を企画した)あさおよしのりさんが映像学科で教えている関係で呼ばれた1人ですね」



■博史池畠流のキャリアの積み方は? 「ABE48」での募集から新たな才能も



 名残惜しそうに大学を去った池畠監督は、一路東京へ。アニメ演出家になるべく、業界の門を叩くことに。



池畠「アニメ業界は履歴書を送ったら『すぐ来て』くらいの世界なんで、サンライズに制作進行で入って、やめてCGやって、またアニメ業界に潜り込んでって感じです。当時(05年頃)やたらアニメの制作本数が多かったんで、元請けができないような会社にも元請け依頼が来てました。なので、その時期には演出経験が足りなくても『やりたいです!』って言えばできました。そんな感じで某社で演出デビューさせてもらったのですが、そこはなんというかやる気のない駄目な会社で「ここではダメだ!」と、いろんな会社に『仕事ください』って営業メールしてたら、運良くテレコム・アニメーションが拾ってくれたんです。どこの馬の骨かわからないけど演出経験があるっぽいからやってもらおう、くらいじゃないですかね。演出デビューはテレビシリーズ『無敵看板娘』(06年)になります。



 今は更新しなくなっちゃいましたけど、主に作画の話をしていた個人ブログ『あんていなふあんていダイアリー』で、『あのアホボーイが演出デビューするらしいぞ!』みたいなことを取り上げてくれて、『これはちょっと頑張らなきゃいけないのかな』って。周りの人が期待感というかハードルを高く設定してきたのもあって、『ヤバイ!頑張らなきゃ!』みたいなのもありました。最近でこそ環境のいい会社で(アニメ制作にあたっての)人集めとかは任せちゃうこともあるんですけど、当時は何のツテもなかったんで自分で環境を整えないといけなくて......知り合いを集めたりとかネットで人を募集したりとかしてました。08年に動画マン募集のために実施した『ABE48』(AhoBoy Entertainment 48/アニメーター募集プロジェクト)は、一緒にやった雨宮哲さんがノリノリだったんですけど、当時AKB48がマイナーだった頃にあんな名前をつけてたのが面白いなって」



 池畠さんの演出作品に佐藤利幸さんや山岸さんなども参加する一方で、「ABE48」には新たな才能が集うことになる。合格者は小嶋慶祐さん、犬マルさん、吉邉尚希さんなど計6名となった。小嶋さんは『エアーマンが倒せない OPアニメ風』、 犬マルさんは『ダッポンダーV』と、自主制作でも話題になっていた。吉邉さんは現在は神風動画に所属し、テレビシリーズ『ジョジョの奇妙な冒険』のオープニング(2部および3部)監督などで活躍している。小嶋さんはガイナックスで動画・原画を経て、現在新進気鋭の作画監督として活躍中だ。テレビシリーズ『ゆゆ式』では、池畠さんと演出・作監でコンビを組んで仕事をしている。



 そしていよいよ、池畠さんに『ロボットガールズZ』で監督デビューの機会が到来する。『ロボットガールズZ』は、『マジンガーZ』など永井豪さんの一連のロボットアニメ作品を少女キャラ化するプロジェクトとして始まったものだ。



池畠「前にお世話になった人が会社を設立して『東映アニメーション(以下、東映)から下請けの仕事が来てるけどやらない?』ってことでPVを何本か手伝ってるうちに『ロボットガールズZ』のPVもやったら、監督もやる流れになりました。東映は外部の人はあまり使わずに主要スタッフは社内で揃えるガラパゴス的なイメージがあったので、まさか東映の作品で監督をやる日が来るとは思ってませんでした。ようやく代表作ができてうれしくて、結構自分の中では転機になってます。まだ永井豪さんには会ってませんが、僕の中の永井イズムを詰め込んでますので。続きを作れたらいいですね。



 当時の自分の自主制作作品を見ると、今でも面白いというか『当時は、なんでこんなセンスがあったんだ!』『なんで今これを発揮できないんだ!』って思うことが多くて歯がゆいです。打ち合わせでも『こっちのほうが面白いじゃないですか』って言っても周りが止めてくるんですが、面白い方向に転がせすぎると話が破綻するのがわかってるんで、僕の中ではわりとセーフな方向に転がしてるつもりなんですけどね......。『ロボットガールズZ』は原作がちゃんとあるわけじゃないので、(自分の案が)比較的通りやすかったですが。



 人の作品で、そんなに変なことをするつもりはないです。その場合、監督さんの意図に合わせてこなすようにしてます。自分のワガママを通しても誰も特しないからで、基本的にテレビを見てるお客さんのために仕事をやっているので。もちろんOKな環境ではムチャしますけども。ようやく監督的なものをちらほらできるようになってきて、自分のやってたことを発揮できるようになってはきましたけど。



 今思うと、学生時代から色々やってた人が今も色々やってて、BOX(部室)でテレビゲームやったりだけで何もしてなかった人はフリーターになってます。ある意味(大阪芸大は)究極のゆとり教育です。『アオイホノオ』で主人公・焔燃が作った作品に対して観客から無反応だった、とかみたいなのはなかったかな。上映会で自分の作品を流したらウケが良かったんで、みんなわりと自信満々になってた気がします。かなり自由な環境なんで、一生懸命やることやってた人は、そこそこの業績を挙げて出世してますね。当時から自分のレベルを知っても恐れずに作ってた人たちが、今みんな活躍してるんです。



 でもアニメ業界はつらいので入っても残る人が少ないから、僕の同期とか後輩でも入ってドロップアウトしちゃった人も多いんですよ。庵野(秀明)さん、赤井(孝美)さん、山賀さんみたいに、学生時代に華々しくデビューしてそのまま行っちゃうような人みたいにうまくいかなくて。僕のキャリアの積み方はなるようにしかならないので、参考になるかどうかですが、アニメ業界には『なるようになる』と思って入ってきたほうがいいです。口約束で契約書を交わすとかないですから、ある意味アピールしたもん勝ちなとこがあります。自己アピールさえしとけば、誰かが拾ってくれるはず」



 それなりの苦労も垣間見えるものの、池畠さんは学生時代のノリのまま、軽やかにアニメ業界の中で乗り切ってきた。学生時代に自主制作を行ってから業界に関わることになるパターンでも、ここまで面白い事例はなかなか見られない。今後も、池畠監督やその周辺には注目しておきたい。



(取材・文/真狩祐志)



■博史池畠(ひろし・いけはた)
大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業後、アニメ業界入り。現在はさまざまな作品の監督・演出・絵コンテを手がける。監督としての代表作は『ロボットガールズZ』。「アホボーイ」名義で自主制作アニメ活動も行っており、「CGアニメコンテスト」で外伝大賞や会場賞を受賞している。



■『ロボットガールズZ』
http://www.robot-girlsz.com/



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