1945年8月19日、満州から妻を同乗させ飛び立った特攻兵がいた。

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2013年06月19日 12:52  おたくま経済新聞

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1945年8月19日、満州から妻を同乗させ飛び立った特攻兵がいた。

これは史実である。


一九四五年八月十九日、満州。終戦から四日後の出来事であった。


【元の記事はこちら】

関東軍がソ連への全面降伏を決めた後も、ソ連軍の侵攻は止まらなかった。


谷藤徹夫少尉含む、11名で結成された陸軍、関東軍の特攻隊「神州不滅特別攻撃隊」。そのメンバーの多くは特攻隊員を育てた教官達。


居留民虐殺を偵察中に見た彼らは、居留民の脱出時間を確保するため、また教官として、年端もいかない教え子を「俺もあとから行く」と特攻に送り出し続けた責任を背負うため、有志による特攻を決めた。


特攻に参加した谷藤少尉には、当時結婚間もない妻・朝子がいた。二人は傍から見てもわかるほどの仲むつまじい様子で、まさに相思相愛。
特攻を決めた夫の固い決意を目に、妻・朝子は、夫への同乗を願い、8月19日、共に飛び立った。


その時の夫の姿は特攻服。妻・朝子は真っ白なワンピース姿だったという。


そして他にも、特攻に参加した大倉巌陸軍少尉機には、親戚であり許嫁(いいなずけ)の女性が同乗していた。


戦後、軍紀違反のため、“幻の特攻隊”とされ、歴史の影に追いやられてきた存在である「神州不滅特別攻撃隊」。
終戦から70年近く経過した現代では、その事実を語るものは、東京にある世田谷観音に設置された石碑ただ一つのみ。


 
石碑にはこう記されている


<神州不滅特別攻撃隊之碑 碑文>
第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日
祖国日本の敗戦と云う結果で終末を遂げたのであるが
終戦后の八月十九日午后二時当時満州派遣第一六六七五部隊に所属した
今田均少尉以下十名の青年将校が


 国敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ


と又大切な武器である飛行機をソ連軍に引渡すのを潔しとせず
谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて
前日に二宮准尉の偵察した赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に向けて
大虎山飛行場を発進前記戦車群に体当り全員自爆を遂げたもので
その 自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり
此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑を建立し英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり


陸軍中尉 今田 達夫 広島
陸軍中尉 馬場伊与次 山形
陸軍中尉 岩佐 輝夫 北海道
陸軍中尉 大倉  巌 北海道
陸軍中尉 谷藤 徹夫 青森
陸軍中尉 北島 孝次 東京
陸軍中尉 宮川 進二 東京
陸軍中尉 日野 敏一 兵庫
陸軍中尉 波田野五男 広島
陸軍少尉 二宮  清 静岡


昭和四十二年五月
神州不滅特別攻撃隊 顕彰会


 
『妻と飛んだ特攻兵 ―8・19 満州、最後の特攻―』(豊田正義 定価1680円)では「最後の特攻は、8月15日の沖縄ではなく、8月19日の満州」「特攻は降伏命令に反したもので、さらに2名、女性を同乗させた軍紀違反」「軍紀違反のため、残された家族は戦没者遺族にも認定されていなかった」などの歴史秘話が明らかになる。


写真提供:小原真知子、鮫島美知子、吉田ひろみ(谷藤家遺族)


(文:宮崎美和子)



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