中国の「反スパイ法」と中国指導部が恐れるもの

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2015年10月09日 18:51  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 中国国内で、複数の邦人男性がスパイ行為にかかわったとして中国の治安当局に拘束され、日本でも、中国の「反スパイ法」に注目が集まっている。今回の邦人拘束について、「『反スパイ法』を適用された可能性がある」との報道もあるが、「軍事施設周辺で大量の写真を撮影していた」のが本当だとすると、「反スパイ法」より適用が相応しい法律がある。「軍事施設保護法」だ。


 1990年に公布された「軍事施設保護法」は、軍の司令部、軍用飛行場/港湾、訓練施設等、保護の対象となる軍事施設を具体的に列記し、軍事施設において、侵入、撮影、録画、録音、観察、描画等の行為を行ってはならないとしている。2000年代前半には、「中国国防報」といった新聞が、質問に対する回答の形式で、「軍事施設周辺で写真撮影をしていた者のカメラを没収するのは、『軍事施設保護法』に照らして合法である」といった報道をしている。スパイ行為に対する、各部隊の意識が低かったことを伺わせる記事だ。


 軍事施設に対する違法な情報収集を取り締まるだけであれば、「軍事施設保護法」があれば、事足りるように思われる。では、なぜ、「反スパイ法」が必要だったのだろうか?習近平指導部が「反スパイ法」を作ったのには、二つの理由があると考えられる。


 一つ目の理由のキーワードは「法治」である。この法律が成立したのは、「法治」を主たるテーマとしたとされる党18期4中全会の直後である。この時期に成立した法律が、習近平指導部が指示する「法治」を意識したものであることは間違いない。


「反スパイ法」は、単なる刑法ではない。スパイ取締りを行う機関を示し、職員の職権を細部に至るまで具体的に規定している。これら規定では、「規定に照らして、身分証明証等を提示してから」、「活動によって損失を与えたならば、これを弁償しろ」といった表現や内容が目立つ。スパイ取り締まり活動を行う組織を管理するための法律であると言えるのだ。


 さらに、押収した財産を適切に管理しろと指示し、「一律国庫に納めろ」と具体的な意味まで示している。この表現は、スパイ取り締まりを行う組織の腐敗を戒めるものである。これら、スパイ取り締まり活動に関する具体的な規定は、曖昧な「スパイ行為」の定義とは対照的である。


軍事施設保護法では守りきれないもの


 しかし、「スパイ行為」の定義が曖昧だからと言って、「反スパイ法」が、中国国民や外国人の活動に対する監視や取り締りを緩めることを意味するものではない。2014年11月に公布された当時、この「反スパイ法」について、日本メディアは、「『法律には曖昧な部分が依然として多く含まれ、司法機関が恣意(しい)的に解釈し、体制を批判する活動家の弾圧に利用されることが心配だ』(人権派弁護士)と指摘する声もある」と報じている。


 この心配はもっともである。そして、これが、二つ目の理由に関係している。その二つ目の理由とは、スパイ行為として取り締る対象の拡大である。軍事施設に対する情報収集活動だけでは全く不十分なのだ。


 不十分どころか、中国指導部が最も恐れるスパイ行為は別にある。中国共産党の統治を覆そうとする思想や運動を社会に広げることだ。反スパイ法が定めるスパイ行為には、「中国の安全に危害を及ぼす活動」や「官僚等を誘惑し買収し国家を裏切らせる活動」など、情報収集以外の諜報活動を広くカバーする表現が用いられている。


 中国には、毛沢東が国民の反米意識を煽るために使った「和平演変」という考え方がある。毛沢東は、米国を始めとする西側諸国が、軍事力ではなく、自由や民主主義といった思想の浸透という平和的手段によって、中国共産党の統治を覆そうとしている、と非難したのだ。現在の「和平演変」の概念では、この平和的手段に経済も含まれている。


暴動が起きると周囲との接触を遮断する理由


 思想の浸透は、人と人との接触によって起こる。付き合いの中で相手を感化していくのだ。しかし、個人的に思想の影響を受けただけでは、大した問題にならない。思想が広まるからこそ、全国的な運動になり、脅威になるのである。


 民衆の不満も同じことだ。不満に基づく暴動も、局限された地域に封じ込めることが出来れば怖くない。2010年には、中国国内で18万件もの抗議活動が展開された。現在では、暴動は年間20万件に上るという分析もある。これら1件1件は、分断されていれば、封じ込められる。


 暴動などが起きた村を、地方の警察や武装警察が取り囲んで、周囲との接触を遮断するのはこのためだ。地方の暴動が横につながっていくと、中央は倒される。中国の歴代王朝が倒されたのも同様であったし、中国共産党自身が行ったことでもある。


 だからこそ、中国指導部は、共産党統治に対抗する動きがつながることに敏感に反応するのだ。2014年6月には、中共中央規律検査委員会の社会科学院に駐在する規律検査組が、「社会科学院は、外国勢力の点対点の浸透を受けている」と批判した。「点」とは、個人のことをいう。外国人との個人的なつながりを批判されたのである。


 しかし、問題は、「浸透を受けた」のが中国国内で影響力を持つ国務院系シンクタンクであったということだ。外国勢力による中国共産党にとって不都合な思想の浸透が、個人のレベルに止まらず、中国社会や政府にも拡散する恐れがあるから、非難されたのである。


 こうした状況は、人権派弁護士の大量拘束にも通じる。中国当局が、人権派弁護士を危険視するのは、彼ら彼女らが、個々の問題をつなげ、全国的な運動にする人たちだからだ。弁護士としては、社会問題を解決するための当然の活動であるが、全国的な運動になるのは、中国共産党にとってはたまらなく恐ろしいのである。


 実は、「反スパイ法」には前身となる法律がある。1993年に公布された「国家安全法」だ。この法律は、「反スパイ法」の成立をもって廃止されたが、2015年7月1日、新たな「国家安全法」が公布された。この法律がカバーする範囲は、サイバー、宇宙等、非常に広い。結果として、スパイ行為取り締まり活動だけが、特別に外に出された形となった。


 これは、中国指導部の「中国共産党の統治を転覆させる企図」に対する危機感の表れであると言える。中国指導部は、何としてでも、中国共産党による統治を守ろうとするだろう。どのような手段を用いても、である。


 諜報活動もそれを取り締まる活動も、ほとんどが水面下で行われる。表沙汰にできる活動ばかりではない。「反スパイ法」も、「公開された活動と秘密工作の結合の堅持」をその最初の部分で指示している。「秘密工作」がある限り、スパイ取り締まり活動が公にされることはない。


[執筆者]


小原凡司


1963年生まれ。85年防衛大学校卒業、98年筑波大学大学院修士課程修了。駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊司令などを歴任。東京財団研究員



小原凡司(東京財団研究員)


このニュースに関するつぶやき

  • 結局のところ、支那って国は大き過ぎるから、10国とか20国とかに分かれちゃえば良いんだよw
    • イイネ!7
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