少女はスイミング・ゴーグル越しに隣のコースをじっと見つめていた。震災前のことだ。岩手県立高田高校水泳部が厳しい練習を重ねていた。わぁ、すごいな! カッコいいな〜。よし、習っている泳ぎ方とは違うけど、私もやってみよう。小学生にはまねることさえできなかった─。
時計の針は進みその少女、陸前高田市の菅原菜子さんは同校を1日に卒業した。水泳部の副部長としてかつて憧れた部員の後輩にあたる仲間を引っ張ってきた。
「亡くなった先輩たちの思いを受け継いで、君たちは頑張っていかなきゃいけないんだよと激励していただけることがあって、頑張ろうと思うと同時に、正直、プレッシャーもありました」
きりっと表情が引き締まった。
震災で1700人を超える死者・行方不明者を出した同市で、高田高校水泳部は部員9人中7人と顧問の女性教諭が津波にのまれた。教諭は海岸近くの室内プールで練習中の部員を避難させようと向かったまま、戻らなかった。
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「そのニュースを聞いたので、高田高校水泳部で頑張りたいと思ったんです」
進学率のより高い高校に行く学力があった。両親を説得するため「勉強も頑張るから高田高に行かせて」と約束した。専門種目は自由形。自己ベストを更新し続けた。それでもファイター魂が騒ぐ。
「4泳法すべてのタイムで同級生の女子には負けたくなかった。でも、平泳ぎを専門とする同級生には結局負けちゃいましたけど。“タカコー”だからと注目されても、怖がることはないと思うんです。うちらはフツーに全国の高校生と同じように、ただ、部活をしているだけなんだから」
水泳部でやり抜いた
水泳部顧問の田村亜希子教諭は、「後輩にアドバイスしたり、練習メニューを作成するなどバリバリ、リーダーシップを発揮してくれて助かりました」と感謝しきり。
高田高は毎年、神奈川・相模原市で震災の年から続く復興イベント「チャリティースイム・イン・さがみはら」に参加する。プールが使えなくなった被災地のスイマーを支援する目的で始まり、有料の参加者を募って、その収益で被災地の高校生を招待してくれる。釜石高、大船渡高と参加した昨年、菅原さんは高田高代表として挨拶に立った。
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津波で祖父(80)を亡くした菅原さんは、「震災後、伝えたいことはしっかり言葉で伝えることにしている。この場でもみなさんに感謝を伝えたい」と述べた。
祖父に伝えたいことは何だったのか。
「両親は共働きで、小学校に上がってからは、じいちゃんが面倒をみてくれた。学校への遠い道のりを送り迎えしてくれた。買ってもらった文房具はいまも大切にしています。伝えたかったのは、面倒をみてくれてありがとうってことと、遺体の顔を見れなかったので最後に会えなくてごめんねっていうことを……。はい」
と目を腫らして言った。
4月から東京の私立大学で英語を学ぶ。将来は英語教師を目指し、お芝居にも興味がある。故郷を発つ前に、じいちゃんに卒業報告する。
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「水泳部でやり抜いたし、春からは東京で頑張るよ」