子どもとゲームをめぐる悩み ――いつから?どうする?

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2014年03月31日 09:30  MAMApicks

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「子どもがゲームばかりやりたがってもう嫌なんだけど、どうしてる……?」これ、小学生ではなく幼稚園児の母同士の話だ。ゲームに触れる年齢は、すごく、下がっている。

■きっかけはお父さん?親の忙しさ?
母は用心していたのに、父が実に無邪気に、まだ幼い彼らにゲームを買い与えてえしまった……なんて事例は意外と多い。父たちの多くはテレビゲーム全盛期に小学生時代を送った男子であり、すでに自分用のゲーム機を持っているケースもあるだろう。

WiiやDS、プレステなど、いわゆるゲーム専用機ではなくても、スマートフォンやタブレット端末も含めたら、ゲームに出会う年齢は、幼稚園どころかきっともっと下がる。

我が家にゲーム機はまだ無いけれど、うちのiPadには、7才の息子のお気に入りゲームがいくつも入っている。まだ幼稚園児の頃、どうにもならない多忙な時期に、「うっかり」やることを許可してしまった。


■子の熱中度×母親のイライラ
幼稚園くらいの年頃は、しっかりしているようで驚くほどまだ幼く、公園やら図書館やらの「健全な遊び」からの離脱時ですら、「帰りたくない!」と激しく荒れて泣きわめく。

そんな気持ちの切り替えができない発達段階の彼らが、ゲームの面白さを知ってしまったら、文字通り、寝ても覚めてもつねにやりたがる。

幼稚園に迎えに行った時の第一声が、「今日ゲームやっていい?30分だけっ!ね?」だった時の母親の気持ちったらもう、がっくり30%+イライラ70%だ。

待ち遠しくて目がキラキラしている姿を見ると、もう、自責の念やら何やら……。そして、案の定約束の時間でやめられず、怒る母に泣く子ども……なんて、もう、ほとほと嫌になる。

■ゲーム独特の魅力
ゲームってそれだけ面白いのだ。実に魅力的にできていて、夢中になるのは当然だ。

私は子どもの頃家にあったので、80〜90年代のテレビゲームはけっこうやっていた。ゲームは他のアナログな遊びと同様、普通に選択肢のひとつとしてそこにあるもので、やったからって何か害があるとも思わない。存在そのものが「悪」だなんてことはない。

ただ、独特の中毒性はやっぱりある。

ゲームには、物語性があり、スリルはありつつも自らの生命に危機は及ばず、何度でもやりなおせる安心感がある。がんばれば評価され、努力は実り、成果は数値化され、達成感もある。日常では得られない分量の正のフィードバックを手軽に受けられるのだ。成功体験満載のエンターテインメント。

そりゃ、繰り返しやりたくなるのは当然。

感情も思考も未成熟な幼児に、「この魅力に抗え」というのは、じつに無茶な要求だ。

だからこそ、「のめりこんでもいい」発達段階を見極める必要はあると思うのだ。

■「できる」からもう「ちょうどいい」のか?
スマートフォンを操る幼児を見て、「今の子はすごいわね〜」と言いがちだけれど、それはすごくもなんともない。あの操作画面は出来がいいのだ。直感的で操作手段は単純。幼児が操作できないはずはない。

大人がスマートフォンに戸惑うのは、それまで、沢山のボタンが詰まった操作盤と大量なメニューに慣らされた経験が邪魔をしているから。

ゲームも、直感的になんとなくできてしまうものが多いのだ。それは、ゲームの方が優れているというだけの話。

「できるからふさわしい発達段階に達している」という判断は、なんだか違う。

■大切なことがほかにある
幼児のうちにこそ経験した方がいい大切なことは、ほかにたくさんある。

色々なものを触り、自分の足で歩き、耳を澄まし臭いを嗅ぎ、周りのあらゆるものをよく見て観察する。寒い、暑い、痛い、たくさんの感覚を体で知る。人と手をつなぎ、人と会話をして、喧嘩もする……。やっぱりそういうことは、絶対に必要。

そういうことが大切な時期に、まだ知らなくても困らないゲームにばかり心が向くのはもったいない。

せめて、時間感覚が身につき日常のルールを守れる精神年齢くらいまでは、ゲームとの付き合いを待ちたい気はする。子どもが幼いほど、ゲームをめぐる親子の攻防ストレスは大きい。

ただ、これも理想。「もう与えちゃったよ……」というケースの方が圧倒的に多いだろう。うちもそう。iPadとはいえ、あれはゲーム然としたゲームなんだよなぁ。

でも、もう仕方ない。今さら世の中にゲームがないことにはできないし、ゲームを悪者にして排除するのも何だか違う。

■排除より、共存
友だちの家で、子ども同士で順番を決めたり、教え合ってゲームをやっている姿は、意外と「健全」に見えたりするから不思議だ。

実家にあるWiiで、私の両親とゲームで盛り上がる様子は嫌じゃない。それは大人と「一緒に」会話をしながらゲームの時間を共有しているから。

ゲームだって、それが人とのコミュニケーションの道具になっていれば、随分違って見える。

排除するより、「大切な遊びや経験」の側に引き寄せる工夫をする方が、現実的でいい付き合いができるかもしれない。

親が子どものレベルにあわせて一緒にゲームをするだけで、一人で没頭するのとは大分違う。好きなゲームの設定やキャラクターを絵に描いたり、工作したり、ごっこ遊びにしたり、ほかの遊びに発展させることもできる。

内容やルールを子どもに聞くと、「順序立てて話をする」練習にもなる。得点やキャラクターの名前は、数や文字に親しむことにもつながる。

とくに幼いうちは、ゲームを一人の閉じた世界にしない工夫をする。他の大切な遊びや経験とのバランスがとれているかを十分気をつけて見守る。必要に応じてルールを設ける。

そうやって「いい距離感」が持てるようにサポートしていけばいいんだろう。


……と、思っていても、店先で展示用タブレット端末に吸い寄せられていく「画面中毒」な息子の背を追うたびに、ため息が出る。

今日だって、せっかく友だちと公園で会ったのに、すぐに「○○くんの家に行きたいなぁ……」(=○○くんの家のゲームがしたい)と言い始めたから、さすがに頭にきた!

「いい距離感」とはほど遠いなぁ……道のりは、まだまだ、長い。

狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。

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