再起動すべきはKADOKAWAじゃないのか? 『キカイダーREBOOT』が忘れた特撮の原点

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2014年06月18日 12:10  おたぽる

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おたぽる

映画『キカイダーREBOOT』公式HPより。

 上映中の映画『キカイダーREBOOT』。「40余年の時を超え、今ここに蘇る!!」の謳い文句とは裏腹に鑑賞した人々からは「石ノ森(章太郎)のスピリットがまったくわかっていない」「良心回路がない製作委員会」、挙げ句の果てには「素人?」と散々な評価がなされている。新規のファン層を取り込むこともできず、かつてTVの前で熱狂した少年たちを取り込むこともできず......。いったい、なぜこのような作品になってしまったのか。それを改めて検証してみたい。



 1972年(昭和47年)7月8日、平均視聴率27%を誇った『8時だョ!全員集合』(TBS)と同じ時間帯にもかかわらず、特撮系ドラマとしては異例の土曜夜8時スタートという『人造人間キカイダー』(NET/現・テレビ朝日)の放映が開始された。



 当初、この放映枠は高視聴率を誇るドリフの裏番組だったために苦戦を強いられていたものの、大方の予想に反して第1クールで16%という高視聴率を記録。キカイダーは瞬く間に時代のヒーローとなったわけだが、同系列に語り継がれる『ウルトラセブン』や『仮面ライダー』の初回放映が共に夜7時台だったことを考えると、あながち当時の視聴者を安易に"子供たちだけ"とは限定できない時代背景もあったのだろう。



 40数年前にさかのぼる初回放映時の記憶をたどってみると、今も鮮烈なイメージが脳裏をかすめる。まずは、左右非対称ながら身体中央から赤と青に区切られている複雑なキカイダーの造形。そして、その透明な半頭部からはメタリックで無機質な機械がむき出しになっているという、かつて類をみないキャラクターデザインに度肝を抜かれた。



 そんな驚異的な容姿で、これまた当時としては目新しいド派手なサイドカーを駆って並み居る敵に突っ込んでいくオープニング映像と、印象的なオープニング曲である「ゴーゴー・キカイダー」の「チェィンジー! チェィンジー!」なる、心地よいフレーズとの相乗効果により、これは相当にヤバいものが始まるんだという後ろめたさと同時に妙な興奮を覚えて、毎週末ドリフと天秤にかけつつ、次第に実験的でアバンギャルドな表層とは別物のなんとも悲観的な人間ドラマに心酔していったのだった......。



 視聴者を熱狂させたアイテムは、主人公・ジローのGジャン&ジーパン姿、アコースティックギターとサイドマシーン、キカイダーへの変身ポーズ。敵組織「ダーク」が放つ幾多の等身大敵方ロボットやプロフェッサー・ギルが奏でる悪魔笛、すべてが斬新な試みの連続だった。



 また、人間ドラマしてのキャスティングも絶妙で、宿命に突き動かされる若者・ジローを熱演した伴大介、ミツ子役・水の江じゅんと弟マサル役・神谷政浩の愛くるしいコンビネーション、そしてサブキャラの手本のような服部半平を巧妙に演じた植田峻、ドラマの根幹を成す伊豆肇演ずる光明寺博士の苦渋にみちた表情や、そのライバルであるプロフェッサー・ギルを冷徹に演じる安藤三男の存在感は正直、当時の特撮番組の域を越えており、俳優とはかくたるものと証明するような真摯な表現力によってドラマは支えられていた。



『ウルトラマン』のハヤタ隊員役で知られる黒部進や、『仮面ライダー』で本郷猛を演じた藤岡弘、は、特撮番組で人気を博しつつも、その後の俳優人生を実りあるものとし、『ロボット刑事』でベテラン刑事・芝大造を演じた高品格は、映画『麻雀放浪記』における出目徳役の演技が認められ、第58回キネマ旬報賞を始めとする数々の助演男優賞に輝いて往年の特撮ファンを魅了した。



 そう、『スター・ウォーズ』のハン・ソロ船長役から一気に個性派俳優へと大出世を遂げたハリソン・フォード的な感性に国境はなく、洋邦を問わず、特撮ドラマにこそ血肉の通った人物を演じきる等身大の俳優たちが必要とされているのだ。



 そんな思いを抱きつつ、映画『キカイダー REBOOT』を鑑賞したのだが、まずは上記の主要アイテムが一切出てこないどころか、なんとも無表情なリブート版キカイダーと、リブート版ジローを演じる俳優・入江甚儀の表情のなさに意気消沈。これは演出なのだろうか? リブート版キカイダーのあまりに特撮ヒーローにありがちな凡庸なマスクは、『人造人間キカイダー』の原作者である石ノ森章太郎の、「不完全な良心回路を持ち、善と悪の狭間で苦悩する人造人間」という情念を視覚的に描いた見事なまでの造形に泥を塗ってはいないか?



 リブート版ではエンドロール直後、ザ・コレクターズがカバーする「ゴーゴー・キカイダー」とともに、『人造人間キカイダー』放映時のスチール写真が次々と投影されるのだが、本編の退屈な劇中音楽がやんだ途端から、かつて熱狂したオープニング曲と相まって映し出された懐かしいキカイダーがあまりにも物憂げな表情なために、たった数秒間のスチール写真がリブート版キカイダーの表情を一瞬で凌駕するという後味の悪いエンディングを呼ぶ。



 また、かつてジローを演じた伴大介が、光明寺博士の恩人である前野究治郎という心理学者役として登場するのだが、その柔らかな表情と演技でシーンを暖かく包みこみ、注意深く観なければ過去に颯爽とジローを演じた俳優だとは気付かないほどの表現を試みている。だが、仮に40年後、リブート版ジローを演じた入江甚儀が同じく前野役にオファーされたとしても、壮年となった伴大介と同質の演技が可能か否か、リブート版を観た限りでは疑問点ばかり。



 今回のリブート版のキャッチコピーは、『善か?悪か? この「機械(ココロ)」が壊れても、君を守る―』という、鑑賞前から二極対立を煽るような文言のわりには、ハカイダーは黒いバイクに乗って現れるのに、終盤まで待てどもキカイダーが操縦するサイドマシーンは一切登場せず、突如としてギルバート神崎がハカイダーへと変身したわりに、前半から出ずっぱりの女性型アンドロイド・マリはビジンダーに変身すらしない。



 また、総理やら国防大臣が物々しく劇中でうごめいていたにもかかわらず、国家間紛争になるような出来事に発展しないままに強制終了。なんともバランスの悪い展開で、劇中での二極対立が盛りあがらない理由は、このような緩い設定に起因しているのではないか? と感じざるを得ない未完成な脚本なのだが、製作者が執筆に2年の歳月を費やしたと豪語している本当の理由が予算の縮小ならば笑えない。



『人造人間キカイダー』は緩急、静と動、明と暗、笑顔と憂い、人間と機械、ドラマと特撮の融合、善悪の領域がハッキリと描かれており、リアルにスタッフ、キャストが毎週一丸となって、お化け番組と呼ばれた同時間枠の"ダーク"ならぬ"ドリフ"と戦っていた戦歴が視聴者との間に絶妙な緊張感を生み、人々の記憶に強烈に残る特撮ドラマとして語り継がれていったのだろう。不完全なキカイダーの宿命的なテーマから察するに、『キカイダー REBOOT』の宣伝部は嘘でもいいから『アナと雪の女王』などのハリウッド的大作へと宣戦布告し、オリジナルの高視聴率にあやかる意味でも、リアルな二極対立へと宣伝を煽るべきだったのでは、と思えてならない。



 劇中で"ドリフ"というキーワードを何度も使用しておきながら、キカイダーは何と戦っているのか一切提示されずに観客を放置した製作者に対し、「ハリウッド大作打倒のためにはいかなる手段も選ばず」というハカイダー的な脳ミソを埋め込みたくなるのは、決して我々オヤジ世代だけではないはずだ。斬新な邦画を製作するお家芸のKADOKAWAリブートを願うばかりだが、作品への良心回路だけは決してお忘れなきよう。
(文/長良川 清)



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  • 特撮誌での提灯記事ばかりのこのご時勢に、ここまではっきり言ってくれるとはなんとも小気味良い。
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