「共感」の違いを乗り越えられるか? ――1歳児健診サプライズ動画に想う

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2014年08月28日 12:01  MAMApicks

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少し前にSNSのタイムラインに流れてきた、大手外資系消費財メーカーのキャンペーン動画を見た。

1歳児健診に来たお母さんが、帰りがけに夫から「ママも1才おめでとう、がんばったね、ありがとう」のサプライズを受けて涙、涙……というものだ。

うん、素敵です。素敵ですね。素敵だなぁ……。いや、素敵なんだけどね……。素敵だからいいじゃないか!……なんだ? 何かひっかかる……。

■現場はもっと深刻だ!
子育て1年目の女性は、ひたすら環境の激変にさらされる。夫は、妻のその状況に「共感」しそびれたまま、「お手伝い感覚」で接し、妻の負の感情を増幅させてしまいがちだ。

まさに、以前書いた「妻の不機嫌ループ」のベースが形成される頃。

そのまっただなか、これを見た男性が「よし、これぞ打開策!」と、何かこの手のサプライズ企画をやったらどうなるだろう?


サプラーイズ!で、妻の涙を待っていたら、「え?これ準備してたの?その暇あったら、深夜の抱っこ代わって欲しかったんだけど……」「じゃぁあの時スーパーに行けたよね?」「それより洗濯しといてくれた方が助かったんだけど……」

……期待と120%違う反応がかえってくる可能性は、ある。

■その「共感」、ちょっとズレている
「笑顔を見せてしまったら、夫は『私の状況を理解できた』と勘違いして満足してしまいそうでなんだか嫌、無理。」

妻が本気でそう思うほど、負の感情を積み上げてしまっているのが、この時期の救いようのない悪循環の実態なんじゃないかと思うのだ。


あぁ、なんと冷ややかで身の置き所のない、居心地の悪さ。
「おれは妻に『共感』を示そうとしただけなのに……」

そうかもしれない。でも残念だけれど、ズレているのだ。


妻が育児で疲弊しながら期待している「共感」っていうのは、1年経ってからわざわざ企画して、改まってジャーンと表現するようなものじゃない。

日々のささやかな積み重ねがむしろ大切で、この激変期に1年ためこんだら、もう手遅れかもしれない。

■女性の「共感」って何なのか?
共感、というのは大げさなことではない。ものすごくささやかなことだ。

幼稚園に子どもを送った帰り道、「もう、朝から喧嘩して最悪……」「うわ、やな始まり方だよね」と夫婦喧嘩をさらりと愚痴ったら、これでもう、立派に共感成立。ちょっと気が楽になる。

「もう、朝の準備させるのひと苦労。全然動かないんだよね……」「いやーうちもそうだよ。つい怒鳴っちゃうよね」で、また共感成立。

砂場で居合わせた初対面のお母さんと、「付き合う方は正直暇ですよね……」と言葉を交わすだけで、びっくりするほどイライラが治まったり。

乳児の遊び場で、「離乳食を作るだけ無駄なくらい、ホント食べなくて……」「うちの子も全然!」で、ものすごくホッとしたり。

共感ポイントが複数あると、初対面であっという間に打ち解けて盛り上がることだって、普通にある。「初めて会った気がしない」感覚。

「あぁそうなんだよね……」「わかる……!」「やっぱりそんなもの?」そういうささやかな「共感」で煮詰まった気分がすっと楽になり、前に進む気持ちの原動力になる。それがランチレベルの充実会話だったら、もう、これが世に言う「デトックス」というやつではないかと思うほどの絶大な効果を発揮してくれる。

■男性は「共感」がわからない?
一方、いろいろな方の話を聞いていると、どうやら男性の場合、初対面で「初めて会った気がしない」ような打ち解け方をしたり、共通項で盛り上がる、というようなことがあまりないようなのだ。

確かに、男同志で飲んで愚痴って「そのおかげでスッキリ」というムードは今いち想像がつかない。解決策を意見して、あとは酒で洗い流す……。デトックスどころか酒が身体に残り明日への力を奪いそうだ。

もしや、ささやかな「共感」で楽になることがないのだろうか。そんなもの、必要としていないんだろうか。

……あぁ、だから、公園で初対面のお父さん同士はおしゃべりしないのか?

そういえば、夫は結構なレベルに達しない限り、自分が得た感激も感想も落胆も口にしない。どうも、ただ単に「話す必要がない」と思っているらしい。何かと話したがるのは女の私の方だ。

もし、多くの男性が、そもそも「共感」することに何の価値も見出していないとしたら、妻がイメージする「共感」とは何なのか、まったく理解できない可能性が高い。サプライズ企画が「共感」の表現だと思うのも仕方ない。……なんという噛み合わなさ!

■「共感」がわからない相手ならばストレートに
育児で煮詰まった状態にいると、夫に「この状況わかってよ!」と「共感」を求めるアプローチでイライラすることは多い。でも、「共感」という感覚自体がわからない相手なのだとしたら、それはもう、不毛な苛立ちでしかないのかもしれないのだ。

いっそ、「なんでわかんないの!」をやめて、ストレートに実情を訴えた方がいいのかもしれない。「もうお手上げ!」「限界!」と素直に打ち明けてしまう。

実はこういうこと、意外にも言ってないのだ。
母親同士なら、平気で「もうむりー」「げんかいー」と「共感」しあっているけれど、夫に対しては、子育てに関して白旗を揚げるような表現をしたことがない。

これはきっと「母としてのプライド」が邪魔をしている。
どんなに疲弊していても「できない」とは言いたくない。共感が欲しいだけなのに、諭されるのもごめんだ。だから「もう限界だから助けて」じゃなくて、「あなたも親なんだから同等の主体性を持ってよ」と攻撃性に転じる。
……やっかいな思考経路だ。

プライドを捨て、素直に心情を吐露できたら、意外にもあっさり「共感」らしきものが得られるのかもしれない? 相手を知り、アプローチを変える。

「夫」の皆さんがもし、「え?共感て、そんな些細なことなの?」と思ったなら、ぜひ「そんな些細な」共感も試みて欲しい。

お互い、「共感」への意識が違うことを前提に工夫しあうしかない。できれば、せーの、で。

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そうそう、冒頭の動画。こういうサプライズは、100%ハッピーなプロポーズの時などに、ぜひ。もう戻れませんが……。

狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。

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