お母さんは心配症―― 子離れについて考えた、夏

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2014年09月25日 10:01  MAMApicks

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あんなに暑かった夏もあっという間に涼しくなり、夕方になるとすっかり秋の虫が鳴く季節になった。もはや夏の面影といえば、我が家のベランダに残された蝉の死骸だけである……。(すみません、今片付けようと思っていたところで)

さてこの夏、私抜きで夫と息子の“男二人旅”を決行した我が家であった。

私の体調が優れず、長距離の移動が難しかったがゆえの結果であったが、今までも彼ら二人でのお出かけは何度も経験している。むしろ、普段から土曜日などほぼ一日中彼らは二人っきりで行動している。

しかし、都内の移動と東京→東北間、となると話は別だ。

・ はじめての父子二人だけの新幹線移動
・ はじめての父子二人だけの夫の実家お泊り
・ はじめての母親が同伴しない3日以上のお泊り予定

「はじめて」の要素がこれだけある。

新幹線移動に関しては、以前、私と息子が二人だけで乗った時に2時間ずっと泣きっぱなしという目に遭ってトラウマになっていた。

さすがに1歳と3歳後半では事情が違うだろうが、夫がいくらしっかりしているとはいえ、暴れ盛りの息子をひとりで対応できるのだろうか。少し心配ではあった。

■近づくにつれ、募る不安
夏休み。子どもが事件・事故に巻き込まれるニュースが相次いだ。

毎年そんなもんかもしれない。子どもがいるから気にしてそんなニュースばかり追っているのかもしれない。しかし、耳をふさいでも目を覆っても情報は入ってしまう。
気づいたらネットニュースも子どもの事故ばかりをクリックして見ている。不思議だ……。

・ 誘拐
・ 川の事故
・ 海の事故
・ 高速道路での事故
・ 帰省中に庭先で祖父母の車にはねられる孫
・ 帰省中に幼児が用水路に転落
……などなど。

数え上げたらきりがないのだが、布団に入ると自分の子がそれらの目に遭う映像が脳内で自動再生される病に陥った。

私の中で息子という存在を、『スペランカー』もしくは『マンボウ』のような、すぐ死んでしまう、もろく儚い存在として捉えていたのだろう。
(=どちらもゲームの話)

寝室に夫が入ってきた瞬間、ぶわっ……と涙が溢れだしてしまった。

「ねえ、やっぱりなるべく早く帰ってきて?」

結局、彼らは3泊の予定を2泊3日に縮めることになるのであった。

■母の不在で子は伸びる。かもしれない
出発当日。
出社するため先に出かける私は、息子にいくつかの注意事項を告げた。
「絶対にお父さんとおててつないでいてね」
「車には気をつけるんだよ」
「おばあちゃんちについても、ひとりで出て行っちゃダメだよ」
「怪我しないようにね」
このへんまで言うと、やれやれ……という顔をした息子が“もうそれ以上心配すんなよ”とでも言いたげにほっぺにチューをして
「だいじょうぶ。いってらっしゃい。」
と私に言った。

お、おぅ……。

背中を押されるように家を出た。
私が思っているより、もう彼は大人なのかもしれない。

夫には、乗り換え駅などそれぞれのチェックポイントで連絡を入れるように伝えた。
しかし、それどころではなくなっていったのか連絡が途絶えがちになったので、「進捗どうですか?」とばかりに「今どうしてますか?」と1時間に1回定型文を送信するbotのようになった筆者であった。

しばらくすると夫からは1枚の写真が送られてきた。
夫の実家で飼っている犬をなでている息子の姿。

……うちはペット禁止のマンションなので犬は飼えない。
道で散歩している犬と出会っても、見はするものの近づかないイメージがあったのだが。

翌日、今度は動画が2本送られてきた。
自家用の軽トラのタイヤに足をかけ、荷台によじ登って両手でピースする息子、そしてそこから降りる息子。

東京での生活で、日常的に軽トラに乗る機会というのはほとんどなく、また、それによじ登ろうとしようものなら「こら!」と私が叱るであろうことは容易に想像がつく。

夫の家は男系で、自身も男3人兄弟。息子にとっていとこにあたる子どもたちもみな男子である。

この日も子どもたちが夫の実家に全員集合しており、そういう“男子カルチャー”をよく理解できない人があれこれ口を挟むと成長の機会を妨害してしまうのかな、と感じ、離れていることにより不安は尽きなかったのだが、私が同伴しなくて正解だったのではないかと思った瞬間だった。

■子離れ、母への効能
もちろん、私だってその2日間、ただ家で連絡をじっと待っていたわけではない。

初日は平日だったので普通に出社し、仕事をして帰宅。
帰って誰もいない家、というのは実に6年半ぶりのことであったのだが、その日たまたまやっていた「エヴァ」を見ながらご飯を食べ(子どもがいるとテレビを見ながらの食事というのができない)、ごろごろしながらテレビを見て、電気もテレビもつけっぱなしのまま、行き倒れるように寝た。

こんな怠惰な生活が贅沢に感じるなんて、数年前は考えもしなかった。

翌日は天気と体調がよければ出かけようと思っていた。
渋谷にふらっと出かけ、そのときやっていた「ビックリマン展」を見て、パルコブックセンターで洋書をあさり、最近できたアナログレコードの店に立ち寄り、レコードをざくざくして、疲れたので帰宅。録画を消化し、だらだらネットを見て、就寝。

体調が万全でないのが悔やまれたが、ひとりで気ままに暮らしていたときのような生活をちょっとだけ思い出していた。


イヤイヤ期というのは3歳になったら終わるものだと思っていたが、4歳も近いというのにいっこうに終わる気配はなく、ボキャブラリーが増えたせいで腹の立つ言い方をする日もあり、ますます強くなっている様子さえある。

私も夫も、いけないとは思いつつ、つい毎日怒鳴りっぱなしになる。誰かを毎日怒鳴るということは、ものすごく疲弊することでもあるのだ。できればしたくないのは誰だって同じだろう。でも、出口がまったく見つからない。

息子が出かけていたこの2日、普段に比べて疲労度が半分以下だった。ひとりだと口を開くこともないので、体力を温存できるからだと思うのだが、正直な感想を述べれば、少し楽だったのだ。

時々こういうスペシャルデーをはさむと、新鮮な気持ちで心に余裕を持って子どもに接することができるのではないだろうか。そのほうが、この先の長い人生、お互いにいいのかもしれないな、と思い至るのであった。

■ぼくらが旅に出る理由
ふと自分のことを思い出したのだが、私が親の同伴なしに旅に出されたのは結構早い。たしか4〜5歳の年中さんのころだったと思う。

小学生のいとこと二人、東京から名古屋まで新幹線で移動した。名古屋で祖母が合流、そこから先は大人の引率で移動したと記憶しているのだが、母に不安はなかったのだろうか。

当時両親が共働きだったため、夏休みなどの長期休暇は1ヵ月単位で岐阜にある母親の実家に預けられていた。一人っ子であったが、いとこ4人といつも兄弟・姉妹のように過ごしていたのを覚えている。

今、息子にそういう対応ができるかといえば、おそらくノーだ。
でも親の役目というのは、子どもが独り立ちできるところまで見届けることだとすれば、いつまでもそんな囲っているわけにもいかない。私が過保護なのだろうか……。

小学生の子を持つ知人たちは、子どもたちをサマーキャンプに送り出したという話をしていた。
「送り出すのはやっぱり心配だったけど、子どもが勝手に成長して帰ってくる」。
まとめるとだいたいの方がそのようなコメントをしていたのだった。

子どもと離れて数日を過ごす体験というのは、子どもの巣立ちの練習ではなく、実は、親の“子離れトレーニング”なのではないだろうか。


かつて私も小学校の子ども会でサマーキャンプに行ったことがあった。
バンガローに泊まるという初めての体験をしたのだが、飯ごう炊さんで失敗し、その日食べるご飯を失い、カレーはびちゃびちゃ、予備で持参した魚の缶詰でつなぎ、宿泊するバンガローには大きな虫が出て、怖くて一睡もできず、2泊3日のキャンプから帰宅したら5キロ減っていた……というトラウマ体験になっている。

しかしそこで、「料理の手順はちゃんと予習しておかないと食べ物を失う」「缶詰は命を救う」「キャンプというのは虫が出るものだ」という3つのことを学んだ。

しっかり学んだので、私はそれ以降キャンプに参加したことは一度もないのだが、実際に体験しないことには学べないので、どこかのタイミングで息子にはキャンプに参加させようとは思っている。

もちろん、親の同伴はなしで。

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今回は夫と二人旅ということで多少の安心感はあったが、本当に子どもをひとりで“旅”に安心して送り出せるようになるのはいつのことなのだろうか。

岡田あーみん氏作の往年のギャグ漫画『お父さんは心配症』よりタイトルをつけさせていただいたが、せめて主人公の光太郎のように子どもの恋人をストーカーまがいに追いかけるエキセントリックな親にはならないでいよう、と思っているところである……。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。

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