みんなディアンジェロディアンジェロ騒いでるけど、ディアンジェロって何者?

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2014年12月28日 12:21  リアルサウンド

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ディアンジェロ&ザ・ヴァンガード『ブラック・メサイア』

 年の瀬も押し迫った12月15日、世界の音楽ファンを揺るがす驚天動地の大事件が起きた。その3日前の突然の告知に続いて、あのディアンジェロが約15年ぶりにサードアルバム『ブラック・メサイア』をiTunesStoreで世界同時リリースしたのだ。各音楽メディアや批評家の2014年ベストが出揃った中での、まさかのラスボス降臨(ちなみにアメリカの音楽サイトPitchforkでは、既に発表済の年間ベスト1位Run The Jewelsの9.0点を超える9.2点を『ブラック・メサイア』に与えている)。配信初日はジャスティン・ティンバーレイクが「俺と連絡を取りたい連中はゴメンよ。今、ディアンジェロ聴いてるからそっとしておいてくれ」、ファレルが「ディアンジェロの『ブラック・メサイア』、完全なる天才だ」、アリシア・キーズが「VIBES ! 必聴!」とツイートするなど、その興奮が瞬く間に世界中のアーティストの間にも広がり、日本でも早速リリース翌日に星野源が横浜アリーナでのライブの客入れ時にアルバムの音を流したほか、スガ シカオ、OKAMOTO’Sのハマ・オカモト、ドレスコーズの志磨遼平、オリジナル・ラブの田島貴男などなどジャンルや世代を問わないアーティストがその帰還を祝福している。輸入盤が店頭に並んだ12月23日には、国内の各CDショップで売り切れ続出。早くも熱心なファンの関心は、来年2月に予定されているアナログ盤のリリースに集中している状態だ。ネットでの情報拡散を利用したサプライズリリースというのは、ちょうど昨年同時期のビヨンセのアルバムなどを筆頭に近年珍しいことではなくなったが、このご時勢にちゃんとCDショップにまで足を運ばせ、アナログ盤に予約が殺到している状況まで作り出してしまうのが、ディアンジェロがディエンジェロたる所以である。


(参考:久々の大傑作!? プリンス、2枚のニューアルバムの聴き方


 とは言え、「あのディアンジェロ」と言われても、「どのディアンジェロ?」と思っている音楽リスナーも多いはず。なにしろアルバムがリリースされるのは約15年ぶり、来日にいたっては約20年前、デビューアルバム『ブラウン・シュガー』リリース直後に(当時の)レコード会社主催ショーケースライブのステージに上がった一回だけ。ここでは、そんな「名前を聞いたことはあったけどアルバムが出るだけでここまで大騒ぎになるような人だったんだ!」という人に向けたヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・ディアンジェロをお送りしよう。


 1974年2月11日、アメリカ南部ヴァージニア州の田舎町リッチモンドで、ペンテコステ派(プロテスタント系キリスト教の比較的新しい宗派で、聖書の教条よりも神秘的な聖霊体験に重きを置いている)の牧師の家庭で生まれたディアンジェロ。現在ちょうど40歳。ファレルやNasやダフト・パンクの2人と同世代と言えば、なんとなくその世代的なバックグラウンドがわかるだろうか。家庭環境もあって幼少期からゴスペルに親しんできた彼は、3歳からピアノを弾き、幼少期からジャズを愛好し、12〜13歳の頃にはクラシック音楽の専門教育(当時、大学の音楽理論の先生から「君には何も教えることはない」と言われたという)を受ける早熟な少年だった。同世代の黒人の若者の多くがそうであったようにヒップホップにもどっぷり浸かっていた彼は、地元のヒップホップ・グループI.D.Uの一員として17歳の時に初めてニューヨークに訪れ、その翌年にはソングライターとしてEMIと契約を取り交わす。そして1995年、21歳の時に、後に「ネオ・ソウル」などと呼ばれることになる新しいR&Bの流れを決定づける傑作アルバム『ブラウン・シュガー』でソロアーティストとして本格的にデビューする。


 ミュージシャンとして、あらゆる側面において「天才」と呼ぶしかないディアンジェロであるが、たとえば同じように同業者(ミュージシャン)の信奉者が多いプリンスやシャーデーなどと比較すると、彼は決して「孤高の天才アーティスト」というわけではない。エリカ・バドゥ、ローリン・ヒル、メアリー・J・ブライジ、エリック・ベネイ、マクスウェル、ザ・ルーツ、ア・トライブ・コールド・クエスト、DJプレミア、スラム・ヴィレッジ、メソッドマン、コモン、アンジー・ストーン、ラファエル・サディーク、アンソニー・ハミルトンなどなど。名前を挙げていけばきりがないが、R&B/ヒップホップ界隈には同時代の盟友的存在のミュージシャンが数多くいるし、上記したアーティストの中には共演歴のあるミュージシャンも多いし、バンドのメンバーとして登用した後に頭角を表すようになったミュージシャンも多い(その中の一人であるアンジー・ストーンとは一時期結婚していて二人の間には子供もいる)。デビュー当初から「彼の周りだけ時間が止まっているようだ」と言われるほど日常生活での動きがスロウでストーンド(当時は常にドラッグでキマっていたという)していたディアンジェロは、性格的に自らリーダーシップをとってムーブメントを牽引するようなタイプではなかったが、結果的にその作品の圧倒的な力によってムーブメントの中心人物/精神的支柱となっていった。実は今回の大復活劇の重要なポイントの一つはそこにあって、彼は同業者からその才能を深く畏怖されながらも、同時に(直接の交友関係があるなしに関わらず)その人格ごと深く愛されてきたアーティストでもある。それ故に、長い不在の期間もずっと忘れ去られることなく、事あるごと(瀕死の交通事故とか薬物中毒での入院とか度重なる逮捕とか本当にいろいろあったのだ)に心配され、待望され続けてきたのだ。


 そんなディアンジェロの「人望」の根っこにあるもの。それは、そのミュージシャンとしての圧倒的身体能力と深く幅広い知識とスタジオにおける終わりのない研究&実践に裏付けられた(つまり、彼には優れた音楽家として必要なものすべてが揃っていることになる)、ブラックミュージックの歴史の伝承者&革新者としての功績である。サードアルバムまで15年待たされた今となっては「たった5年か」とつい錯覚してしまいそうになるが、1995年に音楽シーンの救世主として颯爽と現れたディアンジェロが5年もの時間をかけて制作したセカンドアルバム『Voodoo』のレコーディング作業は今も参加したミュージシャンの間で語り草となっている。本来ならば当時まさに「稼ぎ時」だったザ・ルーツのクエストラブを筆頭とする錚々たるバンドメンバーたちを引き連れエレクトリック・レディ・スタジオに延々と籠り続けたディアンジェロは、スタジオで新しい曲に取りかかる前に、毎回ブラックミュージックの歴史を作ってきた名盤1枚と当時の音楽番組『ソウル・トレイン』の1エピソードを持ち込んで、そこに含まれるすべてのサウンド、コード、リリックを「自分たちのものにする」作業を繰り返していったという。50年代から90年代までの40年分である。そりゃ5年待たされるわけだ。


 ブラックミュージックの歴史の伝承者&革新者といえば、先ほども名前を挙げたプリンスのことをまず思い浮かべる人も多いだろう。実際にディアンジェロは10代のある時期にプリンスしか聴かない時期があったというほど(主にシングルのBサイドの曲を「研究」していたという)のプリンス信者であり、また、プリンスも1996年にアルバム『イマンシペイション』のプロモーションのために来日した際、記者から「最近のお気に入りのアーティストは?」という質問に一言「ディアンジェロ」と答えている。当たり前のように相思相愛の関係にある二人だが、ディアンジェロにあってプリンスにないもの、それはヒップホップへの深い理解とコネクションだ。ブラックミュージックの歴史におけるヒップホップの革命的影響力とその意義の大きさについては改めて言うまでもないが、プリンスはヒップホップ(及びDJプレミアらヒップホップのDJによって再発見されたジャズの文脈)を外部のものとして自分の音楽に取り込むことはあったものの、(世代的な必然もあって)そのインサイダーには成り得なかった。しかし、ディアンジェロは(同じく世代的な必然もあって)インサイダーとして、ヒップホップ以前/以降のブラックミュージックの歴史を自分の肉体=生音によって見事に繋いでみせたのだ。


 こんなことを書くと「他にも同じような役割を果たしたミュージシャンはたくさんいるだろ」と異議を唱える人もいるかもしれない。その通り、たくさんいる。セールスの観点からも、ローリン・ヒルやエリカ・バドゥなど瞬間最大風速においてディアンジェロよりもたくさんのレコード/CDを売ったミュージシャンも存在する。しかし、それを最も鮮やかにやり遂げ、そして現在進行形でもやり遂げているのがディアンジェロであるという事実認識は、10年後にも20年後にも揺らぐことはないだろう。それこそローリン・ヒル自身やエリカ・バドゥ自身、そしてまさに「ヒップホップ以前/以降のブラックミュージックを繋げる」ことそのものをコンセプトに掲げてきたザ・ルーツの中心人物クエストラブ(もちろん今作『ブラック・メサイア』の制作にも深く関わっている)がディアンジェロに寄せてきた/寄せている深い信頼が、何よりもの証左である。


 最後に。日本国内のブラックミュージック系の批評家/ライターの中には、今回のディアンジェロ騒動を受けて、自分のようなアウトサイダー(笑)がディアンジェロばかりを神格化することを疑問視/嘲笑する向きもあるようだが、実際に『ブラック・メサイア』のあの恐ろしいほどに奥行きのある音像、ギターやドラムやストリングスの響きと音の配置、絶対に他のアーティストではあり得ないあのタメにタメたリズムなどのディテールと、何よりも彼の唯一無二のあの歌声を体験した後にもそう思うなら、御愁傷さまと言うしかない。ディアンジェロ登場以降、当然のようにディアンジェロの音楽は多くのミュージシャンにとって強烈なインスピレーションとなり、一時期は似たようなサウンドも世の中に氾濫した。そして『Voodoo』から15年経った今も、それは綿々と続いている。中には昨年グラミーも獲得したジャズ・ピアニスト、ロバート・グラスパーのリーダーアルバムのように、ディアンジェロと同じ人脈のミュージシャンを総動員し、明確にディアンジェロの音楽を更新しようとする志の高い作品もあった。しかし、それらの事象も含めて今なおディアンジェロはとびっきりスペシャルな存在であり、その圧倒的な「違い」を再証明してみせたのが今回のサードアルバム『ブラック・メサイア』だと断言しよう。他でもないディアンジェロに関してなら、20年ぶりの来日公演の実現(日本における本作のiTunesStoreや輸入盤CDの現在の売れ行きをふまえればそれも夢じゃないはず!)までしっかり見据えた上で、自分は積極的にこのスターシステムに加担していこうと思っている。(宇野維正)



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