米キューバ急接近に涙? 南米の中国離れが始まった

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2015年04月06日 16:51  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 今月上旬、コロンビア当局は中国船籍の貨物船を拿捕し、火薬約100トンをはじめ、ミサイルなどに転用可能な「発射体」とその部品99個、砲弾の薬莢3000個などの軍事物資を押収したと発表した。問題の船はコロンビアを経由してキューバの首都ハバナに向かう予定だった。中国外務省は「通常の軍事補給で、国際法と国内法に合致した航行だ」と強弁した。


 カリブ海への武器運搬船の出現で誰もが想起するのは62年10月のキューバ危機だろう。実はこの危機と今回の拿捕は中国にとって、南米との蜜月の始まりと終わりを象徴する事件だ。


 始まりの舞台はハバナ。帝国主義打倒を理念にフィデル・カストロは59年にキューバ革命に成功。彼は当初、北の隣人アメリカを「帝国主義的」とは認識していなかった。革命後、アメリカから経済援助を断られ、外交的にも非礼な処遇を受けたカストロは親ソに傾斜。事態を重くみたアメリカは自国に亡命していたキューバ人を糾合し、にわかづくりの軍隊を61年にキューバ南部の「豚湾(コチーノ)」(ピッグス湾)に上陸させた。カストロ打倒を試みた作戦だ。社会主義諸国の支援を得たカストロは「反革命軍の侵入」を撃退したが、対米関係悪化は決定的となった。


カラシニコフと包囲戦術


 キューバとアメリカとの対立激化を千載一遇のチャンスとみたソ連はキューバに核ミサイルを配備しようと動く。米本土を射程に入れることができる戦略的要衝だ。アメリカも核の反撃を準備し、在日米軍まで臨戦態勢に入った。結局、ケネディ米大統領もソ連のフルシチョフ第1書記も核のボタンを押さず、広島や長崎のような惨劇を人類は避けることができた。しかし、アメリカによるキューバ制裁は徹底的に敷かれた。


 その機に乗じて中国はキューバに「社会主義の友愛の手」を差し伸べ、経済的な連携を強めた。両国間の物々交換により、良質な茶色のキューバ砂糖は私の故郷、中国内モンゴル自治区にも運ばれ、遊牧民のモンゴル人たちが生まれて初めて食べたサトイモもまたハバナ当局が栽培させたものだった。


 キューバ革命当時、共産主義陣営は一枚岩ではなくなっていた。スターリン死後に平和共存を掲げ、キューバ危機後はアメリカとデタント(緊張緩和)に転じたソ連に対して、中国は批判を強めた。何よりフルシチョフと毛沢東は個人的にも折り合いが悪かった。二大巨頭の感情的な対立はさらに中ソのイデオロギー的な論争に拍車を掛けた。


 陣営内での権威を確立しようと、毛も積極的に南米に介入。核ミサイルの配備も躊躇しなかったソ連に対抗し、毛は革命思想を輸出した。中ソの援助で「社会主義の文武両道」を極めた共産ゲリラがキューバに続けと活動を激化。コロンビアの麻薬ゲリラはジャングルでソ連製のカラシニコフ銃を手に、毛の「農村から都市を包囲し解放する戦術」で武装闘争を展開した。


 東西冷戦が終結して四半世紀が過ぎた今日、カストロの弟がようやく重い腰を上げ、オバマ米大統領が統治する「米帝」と外交交渉を再開。中国は表向き「歓迎」しつつも、ハバナにコカ・コーラの匂いが漂い、ピッグス湾岸でアメリカ人が海水浴を楽しむ日が訪れるのを望んでいない。ソ連のように核ミサイルをカリブ海に持ち込む勇気と余力は今のところ、北京当局にはない。それでも、キューバが親米国家になるのを阻止しようと、武器弾薬を今まで以上に輸送する大胆な行動に出た。


 親米国家ながら中国の影響力が増していたコロンビアも、今ではキューバ以上に脱中国化を推進中。ゲリラとの闘争で経済は破綻し、国民の厭戦気分もピークに達している。今回の拿捕は北京への意思表示とみていい。


「アメリカの裏庭」と呼ばれる南米諸国は東欧ほど共産主義の赤色に染まらなかったものの、「ピンク色の準社会主義国家」は多かった。今回の拿捕は、南米が北京の顔色をうかがわなくなった事実を示している。



[2015.3.24号掲載]


楊海英(本誌コラムニスト)



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  • そう言えば、南米の中国離れの話しを去年ぐらいから聞いてたな。
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