世界陸上、増田明美の解説がキレキレだと話題『マツコの知らない世界』でも実演

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2015年08月25日 15:31  TVerプラス

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TBS系列で8月30日まで連日放送される『世界陸上北京』。マラソンや10000mなどの中継で聞くことができる、増田明美(51歳)の解説が話題になっている。

Twitter上では、「毎度、増田明美の情報量はおかしい」「今大会もキレにキレてる増田明美の選手情報」「その選手の人となりが分かってほんとに好き。 世界陸上めっちゃ楽しい」「細かすぎる解説!」「解説中の小ネタがじわじわくる」といった声が相次いでいる。

例えば、24日に行われた女子10000m決勝。西原加純選手の解説で「(西原選手は)Kis-My-Ft2の玉森裕太さんが好きで、コンサートが9月にあるので、それを楽しみに頑張っている」という情報を唐突に入れ込み、「すごい情報お持ちですね」など驚きの声が挙がっていた。

その増田は、18日に同局で放送された『マツコの知らない世界』に出演。マツコ・デラックスに、知られざる「マラソンの世界」を紹介した。選手の趣味や好きな食べ物などの細かい情報まで調べ上げ、解説に盛り込む増田のスタイルをいち早く評価し、某番組で絶賛したことがあるというマツコ。増田は「褒めていただいてから調子に乗ってます(笑)」と笑顔で応えていた。

増田の「小ネタ収集3原則」は、自腹で単独取材、監督やコーチと一緒に食事、母親の電話番号をゲット。これまでの解説の中で一番のスクープは、男女同時スタートのマラソン大会で、それぞれの上位を争っていた選手同士の結婚情報。生中継の解説でいきなり暴露して周囲を驚かせたが、もちろん、この時も事前に選手本人から聞き出していたのだという。

この番組では他にも、増田ならではの“マラソン裏話”が続々と飛び出した。

■実業団の選手は365日走り続ける。5時半起床、6時に朝練習15km、10時に出勤して仕事。午後3時から本練習で20km〜40km。午後10時就寝。「平均的にこのくらい」だそう。

■増田が現役時代、マラソンを選んだ理由は「風ですね。風が気持ちいい。青い世界に入っていく感覚」

■03年パリ世界陸上銀メダル、04年アテネ五輪金メダルの野口みずきは大食いで、無名時代の合宿中に、疲労で食欲がない男子選手を尻目に、バーベキューで1枚18gの肉を2時間かけて120枚、実に2.7kg(推定)を平らげた。

■00年シドニー五輪金メダルの高橋尚子は大食いではないが、食べるものがすごい。朝から生レバー、他の選手が残した分も含めてフライドチキンの骨を割って中の骨髄を吸う、マグロのカブト(頭)を買ってきて食べる、など。

■マラソン選手の多くは、3日間走らないと禁断症状が出る。増田や高橋尚子は、「走る生活に慣れてるので、3日間走れないとかゆくなってきちゃう」らしい。増田が1人だけ知っている禁断症状が出ない人物は、92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダルの有森裕子。

■ゴールの瞬間は、恋愛するより興奮するらしい。増田いわく、「天にも昇りたくなるような。この瞬間のために、あんな苦しい練習に耐えてきたんだ。もう死んでもいい。それには、恋愛は勝らない。恋愛がちゃっちく見えちゃう。実業団選手の9割くらいが、現役時代に恋愛をしていない」。

■マラソンの「給水所」は、何かとドラマが生まれる。アテネ五輪の時の野口みずきが金メダルを獲得した原動力のひとつは、5kmごとの給水所に用意されたスペシャルドリンク。実は、野口のドリンクだけ冷たかったという。係の人の対応がいい加減だったらしく、「冷たくしておいて」と頼んでおいてもダメだったが、野口はメーカーと契約して作った保冷ポットに入れていた。07年大阪世界陸上から保冷ポットが使用禁止になったため、野口はプラスチック容器に入れ凍らせて預けたら、今度は係の人が真面目だったため、本番でも凍ったまま出てきた。

増田は番組の最後に、マツコがマラソンに初挑戦して1位でスタジアムに入ってきたというシチュエーションで、TBSアナウンサーの実況付きで解説を実演。「ゴール寸前は結構、謳うんですよ」と語る通り、「マツコさんですが、これまで孤独とも戦ってきました。観葉植物も数年前に枯らしてしまい、今の癒やしは収録後2〜3時間、アイドルグループ℃-uteに関する楽屋トークを……」と小ネタを挟んだ実況を繰り広げ、マツコを爆笑させていた。

『世界陸上北京』初日に男子マラソンが行われ、19歳の新星・ゲブレスラシエ(エリトリア)が優勝。まさかの番狂わせを演じた。女子マラソンは、30日朝7:30から放送。8位以内入賞、日本選手最上位で16年リオ五輪出場が内定するレースのゆくえとともに、増田の解説にも注目が集まりそうだ。


<増田明美:選手としての経歴>
陸上を始めて5年、高校3年生で参加した1981年のアジア陸上競技大会の3000mで、いきなり大会新・日本新記録で優勝。さらに10000mでも、当時の世界記録保持者とのデッドヒートの末、日本新記録で優勝。この年、7つの日本記録を樹立。女子マラソンが初めて正式競技となった84年ロサンゼルス五輪に日本代表として出場。
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