メジャーを代表するリリーフ投手へ レッドソックスのブルペン支える田沢の「原点」

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2015年08月31日 15:00  ベースボールキング

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今季も43試合に登板、1勝1敗、防御率2.61とチームを支えるレッドソックス田沢純一投手 [Getty Images]
◆ 高校3年間で球速が20キロアップ ブルペンの1球目でプロを確信した指揮官


 今年も夏の高校野球の季節がやってきた。

 7月12日には、全国最多190チームが参加する神奈川大会が開幕。14日には、横浜商大対横浜隼人という1回戦屈指の強豪対決が行われ、横浜隼人が4対3でサヨナラ勝ちをおさめた。

 横浜商大といえば、ボストン・レッドソックスのリリーフで活躍する田沢純一の母校でもある。NPBを経験せずに、社会人野球・新日本石油(現・JX-ENEOS)から直接、メジャーリーグ入り。入団1年目の2009年からメジャーデビューを果たすと、12年からレッドソックスのリリーフに定着。昨年は上原浩治とともにブルペンを支えた。今季もここまですでに43試合に登板し、チームに欠かせぬ存在へ成長している。
今回のコラムでは、この田沢にとって「原点」ともいえる高校時代を紹介してみたいと思う。

 「ブルペンでの1球目を見たときに、『これはプロだな』と思いました」と振り返るのは、横浜商大・金沢哲男監督である。1983年秋に監督に就任して以降、春1度、夏2度の甲子園出場をはたしている。田沢のどこに魅力を感じたのだろうか。

 「球筋ですね。角度がある。あとは、ヒジの使い方。パチンとしなる。教えてもできないモノを持っていました。ただ、体力がまったくなかったんですよ。体もえんぴつのように細い。その中でいいボールを投げていましたから、体ができてくれば、必ずプロに行けると思いましたね」

 入学初日、ブルペンで球速をはかると126キロ。ここから、スピードが飛躍的に伸びていき、2年春に144キロ、3年夏には146キロを記録した。

「とにかく走らせましたから。走るたびに、外野のフェンス際で嘔吐していたのを今でも覚えています」

 2年夏は背番号10を着けて、甲子園に出場するも登板機会はなかった。そして、最後の夏は準決勝で横浜に3対16の大敗。先発した田沢は初回こそゼロに抑えたものの、2回に大量9点を失い、ノックアウトされた。なお、このときの横浜のエースは涌井秀章(ロッテ)、3番を打っていたのが石川雄洋だった。
 試合前、トレーナーから「かなり疲労がたまっています。2回も持たないと思います」と報告がきていたそうだが、その言葉通りの結果になった。このときもヒョロヒョロ体型。大会資料には180センチ71キロと記されていた。まだまだ、夏の神奈川を勝ち抜く体力は備わっていなかった。


◆メジャータイプの投球フォーム レッドソックスで進化した体


「メジャーに行っても、基本的なフォームはまったく変わっていないように思いますね。田沢ってステップが狭くて、ガッと踏み込んでいって、立ち投げみたいに投げるでしょう。あの投げ方が、固いメジャーのマウンドに合っているのかな」

 プロに行くとは確信していたが、それは日本のプロの話。まさか、海の向こうで活躍するとは微塵も思っていなかったという。

 社会人でウエイトトレーニングに本格的に取り組むようになり、体ができてくると、メジャーでもその体はさらに進化。体重は82キロにまで増えている。

 オフになると、母校のグラウンドにも顔を出す。

 メジャーで投げ始めた当初は、レッドソックスの育成プランに感心していたという。「何のためにこの練習をやるのか」という意味づけが明確で、納得したうえで練習にのぞむことができていた。

 金沢監督にも「高校時代に、もっと練習の意味を教えてもらえれば……」と笑いながら話したそうだが、今だから言えること。高校時代は指導者から叱咤を受けながら、やらされる練習も多かったはず。だからこそ、自分を追い込んで、嘔吐するまで走り込めた面もあるだろう。走らざるをえない環境が、田沢の土台を作り上げた。

 今年でまだ28歳。メジャーを代表するリリーフ投手へ、ひとつずつ階段をのぼっている。


文=大利実(おおとし・みのる)

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  • 横浜商大といえば、給前君はまだ野球してるのかな?
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