マミー・トラックの憂鬱

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2016年01月20日 12:02  MAMApicks

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その日の朝、レンタルしていたバンボを返却するために、マンションのエントランスに出すことになっていた。

腰を痛めて、立ったり座ったりが苦痛になっていた我々夫婦。
次男のベビーチェアも購入したし、もう返却でいいよね?と合意に至ったので、業者に連絡をしていたのだった。

そのことを、次男を抱っこ紐に装着し、保育園に向かおうと1階まで降りたところで思い出したのだ。

ところが、夫がそれを箱にしまい、どこに保管していたのかを、私は知らなかった。
思いつくあたりを探したが見当たらない。

「ねえ、どこにしまった?」

急いで連絡をすると、一足先に長男をつれて出た夫からは「俺、戻れないから、今日の夜やろう」との返事。

……いやいや、業者さんは今日の午前中に来ちゃいますよ?
「今日の夜やろう」じゃないですよ?


なんとか箱を見つけ、自力で持って降りることにしたが、想像してみてほしい。
前に抱っこ紐、後ろにリュック。手にはトートバッグ。しかもぎっくり腰が治りきっていない。その状態でこの大きなダンボールをどうやって降ろすのか。

幸い、箱の封は開いていたので、ダンボールの端っこを持ち、なんとか事なきを得たのだが、当然のように私は遅刻した。

保育園に向かうバスに乗りながら、私はモヤモヤしはじめた。

私にも夫にも平等に勤め先があり仕事があるのに、夫だけが“会社に遅れちゃうから、家の用事で戻れない”ということはあるのだろうか。
私の仕事は家のことより軽くて、夫の仕事は家のことより重いのだろうか──。

■私(の仕事)と(あなたの)仕事、どっちが大事なの?
似たような事案は、筆者がフリーランス時代によく起こっていた。

フリーランスといえども業務委託で勤務していたのだが、在宅でもいいというユルさからか、家族からは「家の用事をかわりにやってくれる自由な人」と見られていた節があった。

「えー?私だって仕事あるのに」と思いつつも、そのときはフリーランスであることを考慮して依頼を受けていた。

しかし今は、非正規とはいえ直接雇用で働いている上、フルタイムである。
夫は正社員ではあるものの出向扱いになっており、雇用形態でいうと二人とも大して変わらない。一番異なるのは収入であろう。


結婚前はそれなりにバリバリ働き、収入は夫と同等、もしくは越える月も多かった。

仕事だけに注力できるよう、母親が週に1回、私の家に来て家事をやってくれた。
クライアントに怒られるギリギリの企画を出しては通し、大きな話題になり、数字できっちり業績を残すことに成功したときは、深夜の六本木で飲む、打ち上げの酒がおいしかった。

終電で帰れない日も多かったが、アドレナリンによる多幸感と、仕事の充足感、忙しいから使い切れなくてたまっていくお金が、私にそれを乗り切らせた。


私の家に夫が転がり込む形ではじまった夫婦生活だが、子どもができ、引越しをし、転職すると私は収入が激減したのだ。

収入差が、微妙に家庭内のヒエラルキーにも影響しはじめた。

夫にきけば「そんなこと思っていない」というだろうが、「稼ぐほうがえらい」という暗黙の了解がある。

たとえば、子どもの急なお迎え。
収入の低いほうが早退する流れができていた。そのほうが家計全体を見たときに合理的だからだ。

意味はわかる。私もそのとおりだと思った。

しかし、何年もかけて、その暗黙のルールが私の中に黒いモヤモヤを生み出していったのだ。

■出産という大仕事の代償、とは
妊娠出産で体重は大きく増減し、2度の出産で筆者の体重は幾度となく折れ線グラフのように変化した。おかげさまで今はストップ高である。

女30代、加齢が気になるお年頃と出産に伴う体型の崩れが、ダブルパンチとなって自信を奪っていく。

とりかえしのつかない肉体改造を伴って、この世に生まれてきたわが子たちは、言うまでもなくかわいいのであるが、バーターで失ったものの大きさに耐えられないことが、たまにあるのだ。

その昔『スチュワーデス物語』というドラマでは、片平なぎさ演じるピアニストの女性がスキー事故で義手になってしまい、両手の手袋を口でくわえてはずしながら、風間杜夫に「ひろし……!」と事故の責任を迫るシーンがあった。

私が感じている不公平さは、片平なぎさのそれと同じロジックである。

“腹の肉を夫に見せながら責任を迫る様子”を想像したら、どうにも笑ってしまうのだが、出産の代償がまだペイされていないという不公平感が、どこかにずっとある。

■マミー・トラックに乗せられて
出産後の女性が出世コースから外れる状況を称して「マミー・トラック」と呼ぶ。
キャリアコースを陸上競技の周回走路に見立てた「トラック」を指すのだが、そのトラックはむしろ“ドナドナ”のように、荷台にお母さんたちが乗せられて、悲しそうな瞳で見ている光景のほうがしっくり来る。

筆者は出産後、何度か転職しており、面接のたびにこうきかれるのだ。

「お子さんがいらっしゃるということは、残業は無理ですよね?」
「お子さんが熱を出されたとき、家族の協力は得られますか?」
「保育園のお迎えには間に合うんですか?」

よかれと思って面接官もきいているのだろう。
しかし、明らかに落とそうとしてそのような質問をされることもあり、「母が来ます」「遅い時間までやっている園なので大丈夫です」と、なんとかしがみついてきた。

実際、子持ちの多い部署で閑職のほうが、子どもになにかあったときも「いいよ、いいよ」となるので、居心地はいい。しかし、収入面での満足は得られないままだ。

同じ部署の人が困っていてヘルプに入ろうとするも、止められることが多々ある。
「あれは首つっこむと抜けられなくなるやつだから」
みんな、善意なのだ。わかっている。

でも、私はもっと仕事をしたい。
お母さんになったら「あたしは仕事したなーって思って死にたい」と願うことすら許されなくなるのだろうか。

■老いと育児
筆者は、今年40歳になる。
20代のころと比べて、仕事で同じ馬力を出せるかといわれると、ちょっとわからない。

“体力のパイ争い”ということを最近考えている。

自分の体力は決まっている。それは年々減っていく。
仕事と育児と自分のこと。近い将来“介護”という項目も追加されるかもしれない。
少ないパイをこれだけの項目がシェアしなきゃいけない。

これから更年期もきっとやってくる。
晩産だったので子どもの思春期と更年期がバッティングする。地獄絵図だ。でも、やりすごしていかなくては。

すると、無駄なものから省くことになろう。
合理的に、体力を温存して楽しく、生活を長続きさせること。
「マミー・トラック」にならうなら、陸上競技の短距離走者が長距離にクラスチェンジするようなものだろうか。


20世紀のころから筆者がWEBで公開している日記がある。
次男の妊娠・出産について、前はどうだったかなと見ていたとき、結婚式を挙げた日に、私はこのようなことを書き残していた。

“私が今後努力しないといけないことは、「たのしい結婚生活の継続」”

――“たのしい状態”を維持するために、もっと長期でものを見てもいいのではないかと思った。

子どもの成長に伴い、生活がどう変化するかは未知数だ。親になったからには、どんな大荒れになっても乗り越えられる、しなやかな対応を求められ続けるのだろう。
一時的に働き方を変えたとしても、またいつか、バリバリ稼げるようになることを願いつつ……。

仕事では無理してがんばらず、今できることを積み重ねて数字に表していこう。“数日いなくても困らないけど、辞めたら超困る存在”が理想だ。これは今年、産休で一度やってみたのでなんとなくアピールできた気がする。

家庭では、いかに自分の気持ちを飼いならしていくか。
感情的に怒ったところで、我が家の子どもが何も変化しないことは、この5年でよくわかった。であれば、お母さんとして、怖くてやさしい上司のような安定感が欲しい。

もちろん、一度マミー・トラックに乗ってしまった人の救済策は、個人単位ではなく社会全体で検討が必要だろう。

会社に一人ずつロールモデルがいないと、有能な女性社員はどんどん埋もれていくだろうし、もっと働きたいお母さん(や、主に家事を担うお父さんたち)と、業績を上げたい企業側とのマッチングも必要だろう。

国全体を覆うどんよりムードを、誰かひとりのせいにして思考停止する前に、“続けていくための前向きな策”を模索したいと思うのだ。

「冷静に検討して、ちょっとだけ動こう。」それを今年、40歳の目標にしたいと思ったのである。

「ちょっとだけ動く」にはもちろんダイエットの意味合いもあるのだが……。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。

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