「アイドル好きアイドル」がシーンを変える? 指原莉乃、大部彩夏らの活動から考える

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2016年01月27日 11:41  リアルサウンド

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『指原の乱 vol.2 DVD(2枚組)』(東宝)

 あらためて言えば、今日の女性アイドルシーンはグループアイドルが主流である一方で、個人レベルではアイドル各人が自身をいかにプロデュースしてみせるかという、自己表現のためのフィールドになっている。アイドルという一定のフォーマットを保ちつつ、その中でどのように自身を周囲と差異化していくか、アイドルというジャンルはそうした戦略が無数に生まれる場になって久しい。たとえば、そのような差異化にとっての大きなキーワードのひとつになってきたのが、「アイドルらしくない」という言葉だった。


 2010年代前半を通してグループアイドルが次々と活躍を見せていく中で、アイドルを語る側の語彙としても「アイドルらしくない」は頻繁に用いられた。2010年代前半はAKB48グループがシーンの中で絶対的な覇権を手にしていく時期でもあったが、そうしたAKB48へのカウンターとしての気分も含みながら、ももいろクローバーZやでんぱ組.incなどを称える言葉として、「アイドルらしからぬ」「アイドルの枠を超えた」というフレーズは多用された。このとき、「アイドルらしくない」という言葉は、アイドルである当人たちの「主体性」の強さを指してポジティブに用いられてきた。そうした語りには少なからず、既存の「アイドル」に主体性がないといったステレオタイプに基づく、アイドルというジャンルに対する軽視も見え隠れしたし、それらの言説に対してはアイドルファンからの批判も少なからず提起されてきた。ともあれ、語る側があるアイドルについて際立った魅力を感じたとき、他のアイドルとの差異を表現するひとつの常套句として「アイドルらしくない」という言説は生み出されてきた。


 そして、この「アイドルらしくない」はまたアイドル当人たちにとっても、自身と周囲との差異を強調するためのフレーズとして活用されてきた。語る側がステレオタイプな「アイドル」像をもって「アイドルらしくない」という言葉を用いていたように、アイドル当人たちが自身について「アイドルらしくない」という言葉を用いるときもまた、対比としてそこに想定されている「アイドルらしさ」はファンタジーに近い。アイドル当人が自身を「アイドルらしくない」と言う場合、それはたとえば「オタク」的な趣味嗜好や、いわゆる「非リア充」的な来歴やプライベートの姿を持っていたりすることを指して用いられる。今日のアイドルシーンが自己表現、自己プロデュースのためのフィールドになっている現在、むしろ自身の不遇さや屈折を吐き出すための活路としてアイドルという場を選ぶケースは珍しくない。というより、ライブ等の「現場」やSNSで個々のパーソナリティをどのように見せながら立ち回っていくのかが問われる環境のもとでは、ともすればネガティブなアイドル当人の語りもまた、個性を際立たせて支持を獲得するための利点としても働く。


 このときに、そうした個性を主張するための決まり文句として「アイドルらしくない」はある。自身を「アイドルらしくない」と語る振る舞いそのものが、今やアイドルシーンの中ではよくある光景になっているという、パラドックス的な状況が生まれている。つまり、ここで「アイドルらしくない」というのは、今日のアイドルとしてレアケースであることを指しているのではなく、アイドルシーンの中で自身の特徴を伝えるときの補助として機能する、非常に戦略的な言葉遣いである。


 実際には、アイドル自身が「オタク」である(と表明する)ことは珍しいことではなくなっているし、ファンにとっても親近感として機能する局面が多いだろう。もちろん、「オタク」という単語がどう運用されているかについてもまた、ステレオタイプなイメージと現行の言葉の意味合いとのギャップ等は生じているし、それはそれで考察の余地がある。ともあれここでは、アイドル自身が自らを特徴づけるものとしてのオタク的な嗜好について、あるジャンルにクローズアップしてみたい。それはアイドルヲタク、つまりアイドル自身がアイドルのオタクであると自認する、あるいはファンにアイドルオタクとして認識されているケースについてである。


「アイドル自身がアイドルオタクであること」は、しばしば話題になるトピックでもある。昨年、48グループから卒業した松井玲奈はかねてから広くアイドルシーンをチェックし、自身が出演しなかった2014年の『TOKYO IDOL FESTIVAL』に足を運んでいた際にもその動向は話題になった。あるいはlyrical schoolの大部彩夏もまた、アイドルに対する思慕を様々な場で表明し、各メディアで彼女がアイドルオタクであることを前提にした仕事をこなすことも増えている。アイドル自身がアイドルオタクであることは、それ自体がひとつの際立った特徴として受け止められている。


 もっとも、もう少し一般化して考えればこれはやや特異な状況でもある。特定のジャンルに携わっている人が、自身の属しているジャンルに詳しかったり、そのジャンルを愛好することは本来、きわめて自然なことだからだ。他の音楽ジャンルの実践者が、自分のジャンルに詳しいというありふれた姿を想像してみれば、アイドル自身がアイドルシーンを研究していたり、好きなアイドルのライブに足を運んだりするような行動もまた、ごくごく自然であることに気づく。しかし、ことアイドルに関しては、アイドル自身がアイドルに詳しかったり愛好していることは珍重されてきた。その背景にはいくつかの理由が複合的に重なっているだろう。たとえば、大部がアイドルオタクとして立ち回るさまは、Twitter上で愛着を込めて「#ayaka_kimoi」というハッシュタグとともに展開される。この語句は、オタク趣味としてアイドルを愛好することが「気持ち悪い」とされがちなイメージ付けとも結びついているはずだ。そのような趣味嗜好が「アイドルらしくない」とされているのだとすれば、そこにもまた「アイドル」像のステレオタイプが持ち込まれているといえる。またアイドル好きのアイドルが注目されることには、女性アイドルを同性である女性アイドル自身が愛好することを珍しいことと捉える視線も関係しているだろう。その視線はまた、アイドルというジャンルが「疑似恋愛」という観点で語られてきた歴史、もっと正確に言えばアイドルというジャンルの魅力をヘテロセクシャルに基づいた性的対象としての要素のみに還元してしまうような乱暴な見方とも関わっている。


 もちろん、端的にいえばアイドルというジャンルが体現しているエンターテインメントやステージ上のパフォーマーへの憧憬は、そこまで単一の魅力でまとめられるほど貧困なものではない。また、グループアイドル活況をもとにした現在のアイドルシーンは、グループ内のメンバー同士の関係性が重要なコンテンツとして消費されるが、それは同時に他グループ間のメンバー交流の機会も増大させている。仕事およびプライベートでアイドルたちが交流し、そこで敬意を表しあうさまは、SNS等を通じて絶えず発信される。その意味では今日は、アイドルが他のアイドルをリスペクトする姿、他グループのファンとして立ち振る舞う姿は数多く見受けられる。もちろん上記した松井や大部に限らず、いまや「アイドル好きアイドル」とされる人物も多い。アイドルがアイドル好きであるという趣味嗜好自体が、アイドルシーン全般にとってますますごく自然なものになっている。


 アイドルがアイドル好きであることは、端緒としては他のアイドルの差異化として着目されたものだったかもしれない。ただ、この嗜好がアイドルシーンにとって真に価値を発揮するのは、アイドルが文化として歴史を紡いでいく、これからなのだろう。それを示唆するのは、アイドルの実践者である人物が、同時にアイドル関連のプロジェクトやイベントをプロデュースする側に立つような事例である。大部は2015年9月、アイドルのライブイベント『TOKYO IDOL PROJECT LIVE curated by lyrical school ayaka』(六本木ニコファーレ)で、キュレーターを務めた。初めはひとつの特徴でしかなかった大部の「アイドルオタク」という属性は、アイドルイベントのキュレーターという活動につながり、自己のみならず他のアイドルをどう見せ、どう接続していくのかという、運営的な立場へと活動の可能性を広げるものになった。アイドル自身がアイドルとしての活動をまっとうしたうえで兼業的に、あるいはネクストステップとして運営的なポジションに立つならば、アイドル当人にとってもシーンにとっても、幅の広さや風通しの良さを生むものになるかもしれない。

 もちろん、大部の務めたキュレーターとしての役割を見るとき、すぐにその先駆的な人物を思い浮かべることが可能だろう。それは2012年6月にアイドルイベント『ゆび祭り』を主導し、現在所属するHKT48では劇場支配人を兼ねる指原莉乃である。アイドル好きの少女だった時期に始まる彼女のアイドル好きアイドルとしてのストーリーはよく知られるところだが、指原はまたその嗜好をもとにした抜群のバランス感覚を、自身の立ち回りだけでなくHKT48を牽引する際にも発揮している。トップアイドルでありHKT48というグループの見せ方に少なからぬ関与をしている彼女のあり方はそれ自体で、「アイドル好きアイドル」が実現しうる未来の姿をすでにうかがわせているのかもしれない。次回は、その指原が「初監督」を務めたドキュメンタリー映画を考察し、「アイドル好きアイドル」の発展型がいかなる視野を持ちうるのかを見てみたい。(香月孝史)


このニュースに関するつぶやき

  • ☆「アイドル好きアイドル」がシーンを変える? これ、来年のセンター試験の現代文に出したら、大半の受験生は爆死する難易度だなw(毒) 要約すると…アイドルが好きだからこそアイドルを演じられるしアイドルを作り上げられる。同性というのがミソ。
    • イイネ!1
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