永久欠番って必要?その意義と価値とは…

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2016年02月18日 06:41  ベースボールキング

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ベースボールキング

ヤンキースは永久欠番が21人も!?
◆ あまり知られていない巨人の「4」

 プロ野球には、「永久欠番」といわれる制度があることをご存じだろうか。

 チームで大活躍し、記録にも記憶にも残るプレーヤーのつけていた背番号を、その選手を敬い続ける意味で、その後の誰にもつけさせないこと。有名どころでは、巨人の「1」・王貞治や「3」・長嶋茂雄。この1番と3番は未来永劫、巨人の選手が背負うことはないのだ。

 巨人以外でも、たとえば広島の「8」・山本浩二や「3」・衣笠祥雄、阪神の「11」・村山実など、記録だけでなく印象のいい選手が永久欠番になる場合が多い。

 そんな中でも異色な永久欠番がある。巨人の「4」・黒沢俊夫だ。

 ほとんどの人はピンとこないだろう。生まれは1914年というから大正時代。1936年、22歳のときに名古屋金鯱軍(現中日)に入団し、西鉄などを経て、1944年に巨人へ移籍した。

 左投左打の外野手で俊足がウリ。1946年には主力選手として活躍し、歴代2位となる通算10個のホームスチールを成功させた。ちなみに歴代1位は与那嶺要の11個である。

 しかし、1947年のシーズン途中、試合中に腸チフスを発症。そのまま病死してしまったのだ。

 今では治る病気だが、当時は不治の病とされていた腸チフス。33歳の若さでこの世を去った黒沢選手を悼み、巨人は球団葬を開いた。あの沢村栄治と並び、戦中戦後の過酷な試合運営の中での功労者として、当時のチームメートだった千葉茂らが強く推したことで背番号4が永久欠番になったと言われている。

 王や長嶋みたいに突出した記録を残したわけでもなく、巨人生え抜きの選手でもない。それでも、シーズン中に病死するというショッキングな最後、壮絶な野球人生を送った稀有な選手だったといえよう。


◆ “永久欠番”は必要か否か…

 永久欠番は巨人で6人、阪神で3人、中日、広島が2人、西武1人。これまで14人が指定されている。

 「これでは多すぎる。若い選手が付ける背番号がなくなってしまう」と、永久欠番不要論がわき起こったこともあった。

 たしかに、巨人の55番(松井秀喜)やオリックスの51番(イチロー)は、将来的に永久欠番になる可能性は高いし、他にも候補になっている背番号もあると聞く。しかし、功労選手への最大限の制度が永久欠番であることも確かだし、不要だとはまったく思わない。

 ちなみに、メジャーに目を移すと永久欠番がとんでないことになっている。名門ニューヨーク・ヤンキースだ。

 1番がビリー・マーチン、3番ベーブ・ルース、4番ルー・ゲーリッグ、5番ジョー・ディマジオら。先日、バーニー・ウィリアムズの51番、ホルへ・ポサダの20番、アンディ・ペティットの46番と、3つの戦番号が永久欠番になると発表され、総勢21人となった。

 また、デレク・ジーターの2番も永久欠番になるという。これからのヤンキースの選手は、誰一人として1ケタの背番号を付けられないという異常事態になってしまったのだ。

 また、42番は全チームの永久欠番。初の黒人選手として活躍したジャッキー・ロビンソンを敬うためだ。

 日本では永久欠番が多すぎるという議論あるが、メジャーの現実はすごい。スケールがでかいというか、歴史の重さを感じてしまう。

このニュースに関するつぶやき

  • 全く不要…。歴史は引き継がれて行くものにして欲しいexclamation ��2
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