「山フェス」と「海フェス」どう発展してきた? レジャー文化と音楽カルチャーの関係を読む

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2016年06月05日 14:01  リアルサウンド

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『FUJI ROCK FESTIVAL』公式HP。

 フェスの現場から音楽シーンの潮流を読み解いていく「フェス文化論」連載。今回は、レジャー文化と音楽カルチャーとの関係性を紐解いていこうと思う。


・野外フェスが「行楽」を「アウトドア」にアップデートした


 今の日本の「フェス文化」の起源は『FUJI ROCK FESTIVAL』にある。そのことは間違いないだろう。97年の初開催から20年。それは、日本に数多くの野外フェスが生まれ、拡大し、各地に根付いていく歩みと重なっている。


 筆者がライター、編集者として音楽メディアで仕事をしてきたのも、だいたいそれくらいの期間になる。なのでこれは実感を持って言えることなのだが、一方でこの20年は、何度も何度も繰り返し「フェスバブルは弾ける」「フェスブームは終わる」と言われ続けてきた期間でもあった。


 00年代は特に、興行的な失敗となってしまったフェスを槍玉に挙げてそう語られることが多かった。その代表が、開催から10年が経った今も語り継がれる、ある意味伝説的なフェスとなった『UDO MUSIC FESTIVAL(2006年)』だろう。筆者はその場に居合わせていたので、ネットの片隅に今も残るその情報がどこまで誇張でどこまで真実かも、そこには書かれていない現場の空気感も、よく覚えている。


 「大人の夏フェス」をコンセプトに、サンタナとキッスをヘッドライナーに迎え、ジェフ・ベックやポール・ロジャースなどの大物を揃えて開催された『UDO MUSIC FESTIVAL』。今思えば、そこにあったのは、日本における野外フェス文化の「断層」だった。


 オーディエンスの中心となった世代は当時の40代だ。青春を過ごしたのは80年代後半から90年代中盤。『FUJI ROCK FESTIVAL』が開催される前のことである。


 現場で目についたのは、レジャーシートによる場所取り。ステージ前方のエリアでもシートを敷いてその上に座り、盛り上がろうと前方に集まる若いオーディエンスに眉をひそめる中高年のグループがいた。今の野外フェスの常識からすると信じられない光景だろう。そして、印象的だったのは使われているのがブルーシート中心だったこと。昔ながらの赤・青・黄の柄のシートも多かったし、ゴザを敷いている人もいた。コンクリートの上にスポーツ新聞を敷いて、サランラップに巻いたおにぎりを食べていた中高年もいた。それは、野外フェスというよりも花見に近いムードだった。


 そして、ちょうど同じ頃、『FUJI ROCK FESTIVAL』の風景も徐々に変わりつつあった。宇野常寛氏が主宰するウェブメディア「PLANETS」に興味深い記事がある。雑誌『Outdoor』(山と渓谷社)を経て数多くのアウトドアメディアに関わってきた滝沢守生氏へのインタビューで、00年代のフジロックとアウトドア業界との関わりが語られている(参考:https://note.mu/wakusei2nd/n/n426451751172)。


 初年度には台風による中止となり、苗場に定着した後も突然の豪雨に見舞われることが珍しくなかった『FUJI ROCK FESTIVAL』では、参加者の準備意識を高めるために、主催者側からアウトドア業界への働きかけがあった。一方、アウトドア業界もそこにマーケットを見出し、2004年頃からメーカーが本格的に動き出したという。


 結果、お洒落で高機能なレインウェアや小型で軽量なテントなど、進化したグッズやギアがフェスの参加者に行き渡るようになった。装備が揃えば、フェスだけに飽き足らずキャンプやBBQのような野外アクティビティを楽しむ人も増える。00年代後半以降、野外フェスが呼び水になってアウトドア市場が広がっていったと滝沢氏は見ている。


 先日は「最近の小学校の運動会はフェス化してきてびびる」と写真を投稿したお笑い芸人ザ・ギース尾関高文のツイートが話題を呼んだ。


 これも、こうした状況の変化を示す一例だ。


 だが、正確に言うと「運動会がフェス化してきた」わけではない。むしろ逆で、フェス文化とアウトドア市場の拡大が音楽ファン以外にも浸透し、運動会のような場所においても「野外での過ごし方」の常識が変わってきた、ということをこのツイートは示している。重ねて言うと、今の小学生の親世代、つまり30代後半から40代前半は、まさに“フジロック以降の時代”に20代を過ごしてきた世代にあたる。


 こうした2006年と2016年の状況を重ねあわせて見えてくるのは、いわば、野外フェスが日本のレジャー文化を「行楽」から「アウトドア」へとアップデートしていったこの10年間の変化なのである。


・「山フェス」と「海フェス」


 そして、レジャー文化という面から見ると、2010年代の野外フェスには、もう一つの「断層」が見えてくる。それは、言うなれば「山フェス」と「海フェス」における文化の差異だ。


 これまで、野外フェスは「アウトドア型」と「都市型」の二項対立で語られることが多かった。「自然の中で音楽を体感する」というコンセプトを貫くフジロックと、東京・大阪の2会場で開催される都市型フェスの代表としてのサマーソニック。その二つを象徴に様々なフェスがマッピングされてきた。


 しかし、レジャー文化との関わりから捉え直すと、もはや「アウトドア型」と「都市型」という分類だけでは、今の野外フェス文化を巡る状況は語りきれないのではないだろうか?  最近では筆者はそう考えている。


 レジャーの定番と言えば、山と海。端的に言えば「山フェス」と「海フェス」というのは、山や高原で開催されるか、ビーチや海辺で開催されるのかという、それだけの分類だ。ただ、その二つの違いは、単なる場所だけでなく、ラインナップから見える音楽の方向性や、参加者のファッションや、さまざまなカルチャーの差異に繋がっている。


 フェスの公式アフタームービーを見ると、そのことが一目で伝わる。


 まず「山フェス」の代表はフジロックだ。朝焼けに染まるテントから始まるアフタームービーの動画の中ではヨガやハンモックがフィーチャーされる。麦わら帽子をかぶる男子、髪に花飾りをつける女子も多い。


 一方、同じスマッシュ主催のフェスでも、キャンプ参加が前提となる『朝霧JAM』は「山フェス」の雰囲気がさらに強く漂う。


 同じく「山フェス」の代表格が、信州やぶはら高原こだまの森で開催される『TAICOCLUB』。オフィシャルのアフタームービーにはリラックスして楽しむ観客の姿が映し出されている。ゆったりとしたチュニックやワンピース、民族衣装のような服装を身にまとった女性も多い。


  一方、今の時代の「海フェス」の代表を挙げるならば幕張海浜公園で開催されたEDMフェス『Electric Zoo Beach Tokyo』と言えるだろう。


  こちらのムードは大きく違う。お客さんの肌の露出度が高く、フェイスペインティングとサングラス着用率が高い。語弊を恐れずに言えば、パーティー感が強い。それはEDMフェスだからと言うことも大きいだろうが、逆に言えば、昨年に初開催されたこのフェスが山ではなく海を選んだ、ということに何らかの必然性を感じとってしまう。


  そして、日本のEDMフェスの代表は『ULTRA JAPAN』。こちらはお台場の特設会場を舞台にしているので「都市型フェス」と言ってもいいのだが、やはり会場のムードは『Electric Zoo Beach Tokyo』と共通するものを感じる。


   残念ながら今年は開催されないのだが、神奈川・リビエラ逗子マリーナ特設会場で2015年まで開催されてきた『MTV ZUSHI FES』も、「海フェス」の代表と言っていいだろう。こちらはレゲエ、ヒップホップからJ-POPシーンの人気者まで集う幅広いラインナップを実現してきた。水着のままで楽しめることをコンセプトにしてきただけに、開放的なムードに包まれている。


  2010年代に入り、フェスシーンは「バブル」を経て「飽和」の時代に入っている。かつては野外フェスは「夏の定番」だったが、今は春から秋まで各地で開催され、テーマパークや花火大会と同じように、コアな音楽ファン以外にもレジャーとしての認知の広がりを経た。市場規模は安定しつつ、毎年のように新規参入が相次ぎ、一方で淘汰も進んでいる。


 それだけに、もちろん音楽が主役であるのは間違いないのだが、フェスというものを行楽文化やレジャー文化の歴史の側面から捉え直すというのことも、大事な視点となっているのではないだろうか。(柴 那典)


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  • お爺さんは山フェスへ。お婆さんは海フェスへ行きましたとさ(・ω・`)
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