TOKIOは背中で語りかけるーー「DASH村」福島の活動でみせた“お互い様の精神”

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2016年07月24日 07:01  リアルサウンド

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(C)タナカケンイチ

 7月22日、『新生!ふくしまの恵み発し事業』新CMの発表会が行なわれ、TOKIOに福島県の内堀雅雄知事から感謝状が贈られた。東日本大震災の翌年から4年にわたってノーギャラでイメージキャラクターを務め、福島の農産物をPRしてきた功績を讃えられたのだ。(参考:オリコン「TOKIO、福島県知事から感謝状 城島茂が感慨」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160722-00000316-oric-ent)


(関連:TOKIO 国分太一、テレビ出演数1位の理由 太田省一がMC力とキャラから読み解く


 報道によると、メンバーを代表して、城島茂が「この感謝状は、TOKIOのメンバーがいただいたというよりも、福島県の農産物の生産農家のみなさん、福島産の物を食べたり買ったりしてくれている全国のみなさんがいただいたものだと思います。メンバー一同、自分たちに何ができるかを模索しながら、前を向いてやっていくので、よろしくお願いします」と語ったとのこと。


 レギュラー番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気企画「DASH村」から、福島と深い関わりのあるTOKIO。DASH村は2000年からスタートし、メンバーは、2011年3月の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故まで、10年以上にわたり福島に通う日々が続いていたのだ。


 地元のみなさんから、農作業を学び、昔ながらの生活の知恵を教わる。夏は共に汗を流して、冬は囲炉裏を囲んで語り合う。TOKIOを孫のようにかわいがる心温まる関係性は、里山や田園と共に日本が今失いつつある、懐かしの風景のようだった。


 農業も建築も、村での生活は決して1人では成り立たない。互いに協力していかなければ生きていけない。もちろん、それはお互い様の精神であり、無償である。TOKIOは、その村民の感覚でイメージキャラクターという仕事をしているのだろう。自分たちにできることを、見返りなくやること。そこに生きる人とのつながりを大切にするならば、誰もが持つ感情のままに動いているのかもしれない。


 震災当日も、城島茂と山口達也はDASH村のロケをしていたのだという。事故の影響で、DASH村は計画的避難地域となり、企画は中断。地域住民のみなさんも、飼育されていた動物たちもそれぞれの受け入れ先へと避難した。


 震災からおよそ半年後の9月11日放送分では、山口がDASH村の現状を調査。惑星探査機や宇宙農業の研究を行なうJAXAと協力し、土壌の除染効果があると言われるヒマワリを植える実験を試みた。また、お世話になった人たちの避難生活の様子も丁寧に追い、安心した視聴者も多かっただろう。


 「村は終わったわけじゃない。取り戻そう」という山口の言葉は、被災されたみなさんの共通の思いだったに違いない。2012年3月11日には、福島から生放送を実施。長瀬智也、国分太一、松岡昌宏も、お世話になった人を訪れたり、城島と山口が放射線量を調べたりと、震災から1年経った福島の現状をまっすぐに伝えた。


 放射能汚染は目に見えない。だからこそ、何がどうなっているのか現状の把握がわかりにくく、不安が高まる。ためらい、そして距離を置いているうちに、記憶そのものが風化してしまいそうになる。そんな中「もう応援しなくていい、と断られるまでずっとやらせてください」と、福島とつながり続けるTOKIOに、目をそらさないという勇気をもらうのだ。


 まだまだ風評被害に苦しむ福島の農産物に対して、城島は「お米だったり夏の旬のものは、チェックして“安心安全”という部分は当たり前になっている」と説明。もちろん、いろんな考え方があるだろう。ただ、どのように作られているのかを自分で知り、食べるかどうかを判断をするのは、どこの産地のものであっても同じなのではないか。復興の一歩は、まず事実を知ること。TOKIOの活動はいつも、背中でそう語りかけてくれる。(佐藤結衣)


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