ヌスラ戦線が、アル=カーイダから離脱を発表。シリアで何が起きているのか

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2016年07月29日 18:31  ニューズウィーク日本版

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 シリアのアル=カーイダがアル=カーイダとの関係を解消した――わかりにくい言い回しだが、この「わかりにくさ」こそが「シリア内戦」の真の姿と「反体制派」の現状を的確に表している。


「ヌスラ戦線」がアル=カーイダとの関係解消を発表


 アル=カーイダとの関係解消を発表したのは「シャームの民のヌスラ戦線」(以下ヌスラ戦線)を名のる組織だ。日本では、邦人ジャーナリストの拉致・身代金要求で知られている組織で、「アラブの春」に伴う混乱に乗じて、2012年初め頃からバッシャール・アサド政権に対抗する「反体制派」として活動を開始、同年末までに「もっとも攻撃的で成功した反体制武装集団」(『ワシントン・ポスト』2012年11月30日付)と評されるまでに勢力を拡大した。


【参考記事】安田純平さん拘束と、政府の「国民を守る」責任


 このヌスラ戦線の指導者アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが7月28日、カタールのジャズィーラ衛星チャンネルなどを通じてビデオ声明を出し、アイマン・ザワーヒリーを頂点とするアル=カーイダ(総司令部)の「承認」のもと、「シャーム・ファトフ戦線」に改称して組織を改編し、いかなる外国勢力とも関係を持たない、と発表したのである(声明の詳細についてはこちらを参照されたい)。


 シリアでのアル=カーイダとの関係解消と聞いて、真っ先に頭に思い浮かぶのは、2014年2月のアル=カーイダによる「イスラーム国」の破門だろう。その発端は、今回アル=カーイダとの関係を解消したヌスラ戦線とイスラーム国の対立にあった。


 ヌスラ戦線はそもそも、イスラーム国の前身「イラク・イスラーム国」のシリア国内での前線組織として結成されたが、2013年、イラク・イスラーム国の指導者アブー・バクル・バグダーディーが両組織の統合を一方的に宣言し、組織名を「イラク・シャーム・イスラーム国」(ISIL)に変更した。これにヌスラ戦線が反発し、ISILからの離反を表明し、対立を深めていった。


 事態を見かねたザワーヒリーは、ISILとヌスラ戦線の所轄地域をそれぞれイラク、シリアに割り当てることを提案した。だが、ISILがこれを拒否したために、破門を言い渡したのである。この破門の4ヶ月後、ISILがイラク第2の都市モスルを制圧、組織名をイスラーム国に改め、「国際社会最大の脅威」として日本をはじめとする欧米諸国で注目を集めるようになったのは周知の通りだ。


米国、ロシア、シリア政府、シリア民主軍の「呉越同舟」による変化


 ヌスラ戦線のアル=カーイダとの関係解消は、イスラーム国の破門と同様、シリアや国際社会にとっての新たな脅威の出現を意味するのだろうか? この問いに答えるには、今回の動きが、シリア国内の軍事バランスの変化を結果として生じたという事実を押さえておく必要がある。


 ヌスラ戦線を含むシリアの「反体制派」は、2015年9月にロシア軍が空爆を開始して以降、これまでになく劣勢を強いられるようになった。もっとも最近では、2016年7月中旬、ロシア軍の航空支援を受けたシリア軍が、親政権民兵、外国人(パレスチナ人、イラク人、イラン人など)民兵の支援と、シリア民主軍(西クルディスタン移行期民政局の武装部隊である人民防衛隊[YPG]が主導する武装組織)との連携のもと、アレッポ市北部のカースティールー街道一帯を制圧し、同市東部一帯を支配下に置いてきた「反体制派」は完全に包囲されてしまった。


 クラスター爆弾、熱誘導弾、「樽爆弾」などを駆使したシリア軍とロシア軍の攻撃は、これまでは、無垢の市民を巻き込む「無差別攻撃」、「戦争犯罪」と非難されてきた。だが、時を同じくして、シリア民主軍がシリア北部のイスラーム国の主要都市の一つマンビジュ市を包囲し、有志連合がこれを支援するかたちで激化させた空爆で多数の一般住民が犠牲となるなか、欧米諸国は、自らがもたらす「コラレタル・ダメージ」(編注:やむを得ない民間人の犠牲)が触れられることを嫌うかのように、シリア軍やロシア軍への批判を控えた。


 米国、ロシア、シリア政府、シリア民主軍の「呉越同舟」によって苦境に立たされるようになった「反体制派」は、これまで以上に合従連衡を強めた。そのなかには、米国が支援する「ヌールッディーン・ザンキー運動」や「第13師団」などのいわゆる「穏健な反体制派」だけでなく、サウジアラビア、トルコ、カタールが後援する「シャーム自由人イスラーム運動」、「イスラーム軍」といったイスラーム過激派がいたが、その中核を担うようになったのがヌスラ戦線だった。


【参考記事】米国とロシアはシリアのアレッポ県分割で合意か?


 ところで、本稿で筆者が「反体制派」をカッコ(「 」)付きで呼ぶのは、こうした「反体制派」の実態を踏まえてのことだ。「反体制派」というと、「独裁」に抗い、「民主化」をめざす「革命家」、ないしは「フリーダム・ファイター」をイメージしがちだ。だが、このイメージに合致するような組織は「シリア内戦」当初から泡沫で、彼らはイスラーム過激派と連携し、その傘下で活動することでのみ存続してきた。シリアのアル=カーイダであるヌスラ戦線を含むイスラーム過激派こそが「反体制派」の実体をなしてきたといっても過言ではない。


「反体制派」のなかに紛れ込み、空爆を回避しようとした「秘策」


 ヌスラ戦線、イスラーム過激派、「穏健な反体制派」からなる「反体制派」のスペクトラに対して、諸外国の対応はさまざまだ。ロシアは、ヌスラ戦線とそれ以外の「反体制派」を区分できないと主張し、シリア軍とともに激しい空爆を行ってきた。それがイスラーム国に対する空爆より格段に大規模であることは、欧米メディアが報じてきた通りだ。


 これに対して、米国は自らが支援する「穏健な反体制派」を擁護するかのように、両者の峻別は可能だと主張し続けてきた。だが、ヌスラ戦線を含む「反体制派」の一体化が公然となるなかで、その姿勢には変化が見られている。


 米国は、イスラーム国だけでなく、ヌスラ戦線への空爆でも、ロシアとの連携強化に向けて動こうとしている。有志連合がヌスラ戦線への直接空爆を本格化させるにせよ、ロシアによる空爆を黙認するにせよ、両国の連携がかたちを得れば、ヌスラ戦線が他の「反体制派」とともに窮地に立たされることは避けられない。こうした事態に対処するための「秘策」として、ヌスラ戦線はアル=カーイダとの関係解消に踏み切り、「国際テロ組織」から「革命家」へと転身することで「反体制派」のなかに紛れ込み、空爆を回避しようとしたのである。


 この「秘策」は、ヌスラ戦線自身が発案したものではなく、サウジアラビア、トルコ、カタールが画策してきたものだ。この3カ国は、「反体制派」支援策をめぐって共同歩調を強めるようになった2015年初め以降、ヌスラ戦線を含むイスラーム過激派に対してアル=カーイダからの「離反」を奨励してきた。これを受け、例えば、アル=カーイダのメンバーらによって結成されたシャーム自由人イスラーム運動が、アル=カーイダとの関係を否定するようになった。このように「革命家のフリ」をすることで、イスラーム過激派は、軍事面、資金面、そして外交面での支援を公然と受けられるようになった。


 ヌスラ戦線も、この3カ国から陰に陽に支援を受けてきた点では変わりがない。事実、彼らは2015年春、シャーム自由人イスラーム運動などとともにファトフ軍を結成し、イドリブ県掌握を主導した。だが、シリア軍とロシア軍の反転攻勢により、こうした勢いは失われてしまった。


 パン・アラブ日刊紙『ハヤート』(7月29日付)は、アル=カーイダとの関係解消を条件に「域内諸国」がヌスラ戦線に1,000万米ドルの追加支援を約束したと報じている。その真偽は定かではないが、ヌスラ戦線が今になって「革命家のフリ」をするようになったのは、旧知の支援国であるサウジアラビア、トルコ、カタールからの支援の公然化とその増強を望んでいるからだとも考えられる。


サウジアラビア、トルコ、カタールの動きも鈍い


 だが、狙いがどのようなものであれ、「秘策」が成功する可能性は低いだろう。ヌスラ戦線が「反体制派」と糾合することは、「反体制派」の殲滅をめざすシリア政府やロシアの主張をこれまで以上に説得力を与えるだけだ。米国もロイド・オースティン前中央軍司令官が、ヌスラ戦線は名称変更にかかわりなくアル=カーイダの一派であり続けると早々に発言しており、「秘策」を意に介そうとはしない。


 サウジアラビア、トルコ、カタールの動きも鈍い。これまでは「反体制派」の形勢が不利になるたびに、トルコ国境から多数の戦闘員、武器弾薬が流入してきた。しかし、トルコが、ロシア軍戦闘機撃墜事件(2015年11月)に対する謝罪を機にロシアとの関係改善を模索するなか、同国を経由した支援は、アレッポ市東部の「反体制派」の完全包囲という危機的事態にもかかわらず今のところ確認されていない。


 「反体制派」のなかに紛れ込み、「革命家」として支援を受けることで生き残りを図ろうとするヌスラ戦線。「テロ組織」の汚名を返上したヌスラ戦線の「軍事的傘」のもとでの存命を模索する「反体制派」。「シリア革命」が「テロ組織」にハイジャックされたとみなすか、「革命」が「テロ」に依存するようになったとみなすか、政治的な立場によって解釈は異なろうが、こうした状況こそが「シリア内戦」の悲劇的な末路を示している。


[筆者]


青山弘之


東京外国語大学教授。1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院修了。1995〜97年、99〜2001年までシリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所(IFPO、旧IFEAD)に所属。JETROアジア経済研究所研究員(1997〜2008年)を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。編著書に『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』(岩波書店、2012年)、『「アラブの心臓」に何が起きているのか:現代中東の実像』(岩波書店、2014年)などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」を運営。青山弘之ホームページ



青山弘之(東京外国語大学教授)


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