夫婦で子どもと離れて見えたこと ――親子も夫婦も、関係は変化し続ける

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2016年10月25日 10:32  MAMApicks

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子育てをスタートして10年目、初めて長い時間息子と離れる経験をした。キャンプで二晩まるごと。今まで実家に子どもだけ長期間預けるとか、夫に託して数日自分が家を空けるとか、そういうチャンスすらなかった。

■子どもがいない時間、違和感ありすぎ!
「子どもがいなくて楽だ!助かる〜」と思うかというと、なんだか落ち着かない。夫が息子を連れて日中遊びに出る日に感じるストレートな解放感とはどうも違う。普段学校に行っている間の仕事時間とも違う。

どうせ仕事があったから、夫婦ともにただパソコンに向かっているだけなのだけれど、なんだか、そわそわする。家の中の風景が違う。だって、夜も朝もいないのだ。しかも2回続けて。

乳幼児育児期に、たまにひとりで外出することがあると、「子連れでないこと」にものすごく違和感があった。子どもと一緒にいる感覚で体が動きそうになる。あれと似ているようでまたちょっと違う。いつもの部屋がなんとなくよそゆきっぽい空気になる。


■夫婦ふたりだけの時間、違和感ありすぎ!
子どもにまつわルーチンワークがこんなにまったく無いのは本当に初めてだった。夜のゴタゴタ一式も朝のドタバタ一式も無いのが2回続くなんて!!

何もこんな日に調理することも無いか、と子どもがいたら行く気にならない系統の店で遅い夕食を食べたりなどしてみた。今回の二晩は楽しいキャンプとはいえ、息子にとっては大きなチャレンジで、そのステップアップにささやかな乾杯。

おぅ、なんかふたりで外でって慣れないじゃないか! いつ以来だ!なんだ!!すごいゆとりじゃないか!!!

うちは夫婦ふたりとも家で仕事をしている期間が長いので、一緒にいる時間は長いとはいえ、子育てが始まってからというもの、ふたりだけで「ダラダラ会話」する時間ていうのは極端になくなっていったんだなぁと気付く。つねに何かに追われている感じで、気持ちも時間も細切れ。緊張状態が強いと、すき間時間の会話は何かと破綻しやすい。

子どもにまつわることがまとまった単位でなくなるって、こんなにも余白ができるのか、と驚く。

うっかりいらぬ言い争いになりそうになって、あぁこんな時にくだらないなぁと抑止力が働いたのも、双方の気持ちにちょっと余白があって、息子を応援する気分が一緒だった、というのが大きいだろう。

■夫婦セットで子どもと離れること
つまりは「余白」なんだなぁ、と実感した。
気持ちと時間と体力の余裕がちょっとずつでもあると、人のコミュニケーション能力は上がる。

ちょうど、産後の夫婦のコミュニケーションの難しさについて、やたらと考えたり書いたりしていた時期だったので、妙に納得した。

産後の過密で過剰な緊張状態では、気持ちと時間と体力の余裕が同時に極限までなくなる。お互いを許容できる余裕やユーモアを持ち込む余裕がなくて、「意地」を盾に臨戦体制になりやすい。余白ゼロは、小さなズレを大きな溝に導く。

親子の関係にとって、子どもと母親が離れる時間をもつことは大切だ、とこれまで繰り返し思ってきた。それは今回もすごく感じた。

でも、夫婦にとっても、子どもと離れる時間、多分すごく必要なんだろうな、と10年経って今さらながら、率直に思った。

そういえば、まだ産後1年目、随分無理してふたりでコンサートに行く予定を作って、息子の面倒を両親に託したことがあった。数時間だったとはいえ最初の頃の方が、ふたりの時間を持って育児と距離を保とうと、頭で考えて努力していたかもしれない。

今は、母子セットと父、父子セットと母、でバラバラ行動は圧倒的に増えたけれど、仕事ではなく、夫婦の遊び時間のために子どもを預けるという発想も時間も習慣も無くなっていたなぁ……。

■子どもと長く離れること
子どもは普段近くにいすぎるから、学校や外で「がんばっている」気持ちを理解していても、なかなかそのひとつひとつの重みを感じにくい。頭で理解していてもアウトプットは「いそいで」「それはダメ」「こっちが先でしょ」ばかりになりがち。

でも、完全に離れてじっくり時間を過ごすと、その時間の経過と共に、子どもは子どもなりに自分の中で気持ちを処理してじたばたしているんだよな、ということに想像力が働く。

二晩ぶりに息子の顔を見た時、今回のチャレンジが楽しいだけではなく、彼なりに努力がいっぱい必要だったことが伝わってきて、「よくがんばったねぇ」という言葉しか思いつかなかった。そのがんばりが、ずっしり重い。

手の届かないところで長い時間が経過することで、相手を大事に思ったり尊重しようと思う気持ちは、確実に深まる。

■親子も夫婦も変化し続ける
子どもは一歩ずつ、階段を登る。親として、そこには気持ちも注意も十分すぎるくらい向けるし、子どもが変化していくことを前提に見守る気構えでいられる。

一方、子どもの育ちに比べると、夫婦の関係っていうのは膠着したものに感じがちだ。幸福なら幸福なまま、深刻なら深刻なまま、そのまま続くとしか思えなくなるかもしれない。でも、子どものステップアップに合わせて、夫婦の関係も変化していくんだよなぁ。

親子だろうと夫婦だろうと、人と人の関係には変わりない。固定した安定の関係を見つけようとするより、変化し続けるのを前提に、試行錯誤してじたばたするのが、むしろ自然なことなんだろう。

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ふたたび家族三人がそろった新鮮な時間は数日尾を引いたものの、一週間もする頃には、夫に対しても息子に対しても「もうっっっ」が復活した。

でもそれでも、一旦違うモードで世界を眺めたことで、ものの見え方が少し変わったなぁ、と感じている。

同じ環境のまま自分の考え方を変えようとしてもそう簡単にはできない。
でも、当たり前すぎる環境とか関係を、ほんの一時的にでいいからちょこっと変えると、それだけで見えるものが変わるはずだ。そんな効果を感じた3日間だった。

狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。

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