一時は死も覚悟…杉良太郎さん、大動脈弁狭窄症手術を語る

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2016年11月10日 12:00  QLife(キューライフ)

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退院後、すぐにドラマ「下町ロケット」の収録に。体重も15キロ減


杉良太郎さん(左)、東京ベイ・浦安市川医療センターハートセンター長 渡辺弘之先生(右)

 2016年の文化功労者に選出された、俳優で歌手の杉良太郎さん。2015年末に、心臓弁膜症のひとつである大動脈弁狭窄症の手術を受けました。日本心臓財団が11月7日に開催したプレスセミナーで、杉さんが自身の治療体験を語りました。

― 2015年末、話題のドラマ「下町ロケット」に出演されている最中に、心臓の手術を受けられたことが広く報道されましたが、現在の体調はいかがですか?

 手術前から比べると、体調は良い調子が続いているんじゃないかと思います。まだ薬を1日3回飲み続けていますので、その薬はいつか飲まなくて済むようになる日がくるのかどうか、というところです。ただ、心臓の弁を換えたから「もう万歳!」ということではないと思っています。老化やそれに伴う動脈硬化などがあり、弁を換えただけでは、この先大丈夫とはなかなか難しいと思っています。

― 一時は13kgも体重が減ったという報道もありましたが、その後はいかがですか。

 糖分をカットした食品が売られていますので、それで料理したものを食べていました。痩せようという気持ちではなかったのですが、15kg痩せました。あまり痩せすぎて、別の病気ではないかと心配されるくらい。糖分カットをすると極端に痩せました。

― 今は少し戻りましたか?

 そうですね。あまり血糖値が下がりすぎても、用心しなければいけないというので、あまりやらないように、適当にやるようにということでした。

石灰化の進行とともに不整脈も

― 病気が発覚した時の、周りのみなさんの反応はいかがでしたか?

 病気はもう、だいぶ前に発覚していました。2000年くらいから体調が悪くて、ときどき、ふっとめまいがしたり、ちょっとしたことで息切れしたり、ということはありました。2003年に人間ドックで徹底的に調べたら、石灰化が進んでいるということを言われて。その時は「石灰化」の意味がわからず、何かブラシみたいなもので落ちないのかな、と思ったものですが、まだこの程度なら大丈夫、血管の中をまだ血液が十分通っているから大丈夫ということでした。そこで「じゃあ大丈夫なんだ」と思ってしまったんです。

【弁膜症の初期症状】
 立ち上がった時の立ちくらみのような症状は、弁膜症の初期症状としてよくあること。それが急に頻繁に起こるようになるとか、それまで年に1回程度だったのが、月に1回、週に1回起こるようになると、十分な注意が必要です。(東京ベイ・浦安市川医療センターハートセンター長 渡辺弘之先生)

― 杉さんは不整脈もあったということですが。

 不整脈もありました。一時、タバコを1日100本吸っていたんです。100本吸っていて、手にタバコを持って吸いながら、タバコをくれといっていました。完全に中毒です。今から十数年前のある日、タバコを吸うのもお腹いっぱいだなと思って、自主的にやめました。あのまま吸っていたらアウトだったかもしれません。お酒もあまり飲まなくなっていましたし。でも石灰化がそんなに早く進むとは思っていませんでした。3年くらい検査をしていなかったのですが、立ち上がった時にクラクラすることが多くなってきましたので、危ないなと。まっすぐ歩いているつもりなのに、ちょっと斜めに進んでいたり、フラフラっとしたり、これはおかしいなと思っていたのですが、石灰化が進んでいたんですね。

緊急入院。医師に「1日遅れていたら死んでいた」と

― 石灰化が進んで、肺に水が溜まってしまったということですが。

 2015年の夏、ベトナムの番組の撮影で和歌山に行ったのですが、その2日くらい前に調子が悪くなり、熱っぽくなりました。内科のお医者さんのところに行って検査をしたのですが、特に異常は見当たらないとのこと。でも体調が悪かったので別の病院を紹介してもらったら、肺炎だといわれました。撮影にドクターストップをかけましょうか、といわれたのですが、この撮影だけ済ましてそのあと東京に帰ってからにしようということにして、和歌山に行ったのですが、初日の昼間から喋れなくなってしまって。これは自分の体に異変が起きていると思いました。

 夜になってホテルで夕食が出たのですが、そこで高熱で倒れてしまいまして。肺炎が進んでいるんだと思いました。僕はその時、人生で初めて、死ぬと思いました。これはもうだめだと。具合の悪さが違うんです。結局、朝一番の飛行機で帰京。病院に入ったら、心不全からくる肺炎だと。酸素が入らない、酸素不足と、水が2〜3リットルも肺に溜まってしまっていて、肺がダメでした。水を抜くのが大変でした。医師からは、「1日遅れていたら死んでいた」といわれました。その時は、経験したことのない苦しさ、かつてない、死ぬってこういうことかなと意識が遠のいていくような、そんな状況でした。まさか心臓から来ているとは思いませんでした。

内科と外科で意見が分かれ、手術の決意に迷いが

― この時の大動脈弁の広さですが、一般的には3〜4cm2のところ、杉さんは1cm2だったということです。入院されていかがでしたか?

 まず水を抜いて、肺炎の治療をしました。すると酸素が回るようになり、1週間くらいでだいぶ落ち着いてきました。その時に、もう手術をしなければいけないところに来ているんだと感じました。でも、内科の先生は薬でまだ大丈夫だといいますが、外科の先生はもう切ったほうがいいという。それでなかなか踏ん切りがつかなかった。でももう、自分から進んで外科手術をお願いしますといいました。

― それまで、心臓弁膜症のことは、詳しくご存じだったのですか。

 詳しくは知りませんでした。ただ、もともとあらゆる血管で動脈硬化が進んでいるだろう、とは思っていました。

― 入院された時の検査のことを教えてください。

 超音波検査は絶対に検査項目に入っています。あとはCTとか。あらゆる検査をしたと思います。今は一度にいろいろな検査をやってすぐに検査結果が出ますので、患者さんが情報をすごく早くもらえます。

― 仕事のほうはどうでしたか。

 仕事のことは考えませんでした。命にかかわることですから。謝るところは謝らなければいけませんでしたが。でも、そういう時に限って仕事がくるんです(笑)。こなくていい時にくる。きてほしい時にはこないんです。そういう時に仕事の話をされると、1度くらいならいいのですが、3〜4回くらい同じ話をされると。今僕がどこにいると思いますかとききました。今、病院です。入院していますと。

そして手術…「どこで死んでも命はひとつ」


杉良太郎さん

― 2015年8月に体調を崩して、手術は12月でしたが、すぐに手術をしなかったのは。

 お医者さんと相談しながら決めました。暮れまでは大丈夫だから、お正月をはさんで静養したほうがいいということで、クリスマスに退院できそうな手術日を、話し合って決めました。手術をしたら当分病院にいなければいけないという意識があったのですが、僕が入った病院は外国からの患者さんもいて、手術の翌日に退院して飛行機で帰った人もいるとか。それはないんじゃないかと思っていましたが、実際に4〜5日で退院する人もいて、それはびっくりしました。胸を全部開く手術では年齢的に厳しいものがあり、小切開も右の胸だけ骨を開いて手術をしました。そのおかげで比較的早く退院できたと思います。手術時間は3時間くらいだったでしょうか。

― 手術の前はどんなことを考えていましたか?

 どこで死んでも命はひとつだと思っていました。覚悟を決めて、先生を信じるしかないと。手術をしていただく先生を信じるしかないんですよね。患者と先生との間の信頼関係はものすごく大事だと思いました。手術の日は、頭の中は真っ白で、何かを考える余裕は一切ありませんでした。前の夜も寝付きは悪かったけれど、疲れたので寝たようです。

― ご家族、奥様からは何と声をかけられたのですか。

 別になにもかけられていません。そんなものですよ。何も心配していません。僕本人よりも心配していません。今の医学はそんなものじゃないから、全く心配いらないと。なんとも思っていなかったようです。

― 術後のリハビリを経験されていかがですか。

 術後のリハビリは、なるべく歩いてください、というものでした。やるぞという気持ちで、病院の4階、5階くらいまで、階段を速足で階段を上ったり下りたり。また、食事も塩分控えめ、糖分控えめを心がけました。ところが、一般の食堂で食べた時に、ものすごく味が濃くて食べられない。うどんを食べるにもお湯でわらないと食べられない。なんでこんなに濃い味付けをするのかと、店の人に聞いたことがありますが、「普通です」との答えで、話があわない。それだけ濃い味のものを、今までは食べていたんだな、と。

退院直後にやってきた、ドラマ「下町ロケット」のオファー

 そんななか、ドラマ「下町ロケット」のオファーが来たんですね。プロデューサーと監督が、退院した日に会いたいというのです。退院してそのまま会ったのですが、無理ですと。それでも、出てくださいといわれまして。そんなこと、久しぶりにいわれたなと思って。2〜3話分だけだということだったので、そのくらいならいけるかな、セリフも少なくしてくれるというし。それで、出た。そうしたら5話分で。結構、しゃべるところも後半出てきて。手術前日が最終回の収録日でした。お医者さんから、豚にしますか、牛にしますか、人工弁にしますかときかれて、人工弁だと一生換えなくていいけれどずっと薬を飲み続けなければいけないということもあり、豚にするか牛にするかといわれても。牛のほうが丈夫そうだから牛にするかと。そんなことが頭にあるのにです。収録は11時には終わらせますと、監督がいったのですが、終わったのが深夜の1時でした。吉川晃司がずっとしゃべっていて、僕は座っているだけのシーンなのですが、彼がものすごくNGを出すんです。吉川晃司に殺されそうになりました(笑)。

自分の今の病気にあうお医者さんを早く見つけて

― 手術から1年になりますが、いかがですか。

 もう、一度死んだから、生まれ変われよと。変わるいいチャンスじゃないかと。病院にいる時にずっと考えていました。人間、与えられた命がどれだけなのか、自分でも他人にも、みんなわからない。わからないけど明日も明後日も生きていると思っている。わからないうちは幸せです。悪くなってお医者さんに行って、あなたはもうアウトだよといわれた時に、大変なことになるのです。寝たきりか、回復した後も障害が残るかもしれない。大変なことになってからはじめて、あぁ、あの時気を付ければよかったなと思う。人間らしいですけれど、自分の命はひとつしかありませんから、日ごろから少し、食べるのを控えたり歩いたりというのは必要かな。

 患者さんがお医者さんをどうやって選んだらいいか、非常に悩むと思うし、いいお医者さんはなかなか早く見てもらえない。ずっと待っているうちに死んでしまうこともある。そこのところがなかなかうまくいかないなと思っています。役者もお医者さんも、どの世界でも、レベルがあると思うのです。医者を選ぶも寿命のうちといいますが、信頼関係と、そのお医者さんがどれだけの症例を持っているかを一生懸命探して、自分の今の病気にあうお医者さんを早く見つけて主治医になっていただくことが必要だと思います。

(QLife編集部)

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