イスラム国最重要人物が取材に応じる 「アッラーの敵を殺す、こんな楽しいことはない」

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2016年11月24日 19:42  Techinsight Japan

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インタビューに応じたラシド・カシム容疑者(出典:https://twitter.com/amaramarasingam)
「イスラム国」の主要メンバーで、フランス人若手戦闘員の育成とテロ実行犯への指示にあたってきたラシド・カシム容疑者が、テロリズム研究家の第一人者とのインタビューに応じたもようだ。斬首、火あぶりほか残酷極まりない処刑を繰り返してきた無慈悲な男は一体何を語ったのであろうか。

イラクやシリアなどでは「弱体化」などと報じられるようになってきた過激派組織の「イスラム国(以下IS)」だが、一方でヨーロッパやアジアに暮らす未成年を含む血気盛んな若い男女をリクルートし、戦闘員として育成する動きはむしろ活発になっていることがわかっている。

130名もの尊い命が奪われたパリ同時多発テロ事件からすでに1年だが、フランスの非常事態宣言は来年春の大統領選まで延長されることが決まり、活動の形を変えつつあるISへの危機感が薄らぐことはないようだ。

中でも最重要人物とみなされているのが、欧州で起きた数々のテロ事件を指示したとされるISの指導者で、アルジェリア系フランス人のラシド・カシム容疑者(Rachid Kassim=29)である。彼はTwitterではなく、相手が読めばメッセージが消える仕組みのメッセージアプリ『テレグラム』を駆使し、実に多くの若手テロリストを育成してテロ実行犯に犯行指示を送り、残虐極まりない処刑の動画にも登場してきた。

そんなカシムとの接触に成功したのは、外国人戦闘員、テロリズム、ジハーディスト、宗教、社会学などを専門とするジョージ・ワシントン大学の博士研究員、アマルナス・アマラシンガム氏(Amarnath Amarasingam)であった。ジャーナリストとしてこれまでにもイスラム過激派組織のメンバーとのインタビューを行ったことがある。抜粋してお伝えしてみたい。

■実家の家族について

1987年フランスで生まれ、父はイエメン人、母はアルジェリア人だが5歳の時に離婚し、母とともにその後はアルジェリアの沿岸の町オランで暮らした。9歳でフランスに戻ると居心地の悪さに気づいた。校長が同性愛者などさすがはデカダンの国、フランスは退廃していると痛感した。豚肉を食べさせられそうになり私は怒ってテーブルをひっくり返し、父親が学校に呼び出されたこともある。

成長とともに私は攻撃的な発言で危険人物とみなされるようになり、常に警察の監視下にあった。ジョギングをするとバカバカしいことに後ろには警官2人がついてくる。家族は何が起きるのかといつも恐れていたように思う。

私はとても幼い頃からジハードに憧れを抱いていたが、親きょうだいはそれに強く反対していた。いとこのアブ・ムサンナ・アル・ジャザイリはISの重要メンバーで、チェチェンとアフガニスタンで戦ったが戦死している。私は国を離れてからも定期的に家族とは連絡を取り合っていたが、処刑などに関わる動画に出るようになると関係がぷっつりと途絶えてしまった。

■現在の家族について

2010年に結婚したが妻の名前や出身などは言いたくない。「妻と3人の子とともにエジプトに逃亡」という報道を目にしたことがあるが、エジプトを訪れたことなど一度もないし、子供は幼い娘ただ一人だ。ジャーナリストは完全にボケている。

■シリアへのヒジュラ(移住)

2015年になってすぐ、妻はある夢を見て夜中の3時に目を覚ました。私たちが逃げようとしたらそこにライオンが立ちはだかり、しかしイスラム教徒の女性が現れてライオンを投げ飛ばしてくれた。そのおかげで無事に通過することができたというもので、大事なお告げとして翌日の午前3時に私たちは出発した。妻と幼い娘を連れ手には1,500ユーロを握りしめていた。

手助けしてくれたのは友人で数学の教師をしているモハメド・ゲラブ。そしてアッラーによる奇跡。リヨンからシチリア島に入り、ボートでギリシャに渡ってトルコへ。体調を崩して祈りを捧げていたところ、ありがたいことに車に乗せてくれて金と食糧も恵んでくれる男性に出会えてやっとクルド地方に。アメリカ人が私たちの前に現れ、心臓の鼓動が激しくなったが私は観光客かのようにタバコを吸い、妻は口紅をつけるなどして懸命に余裕があるフリをした。

いく度も危ない思いをしたが、なんとか3歳の娘を連れてトルコ南部のガズィアンテプを経て国境を越えた。可愛がっていたネコをそこでやむなく置き去りにしたことが今でも心残りだが、もしあそこに2〜3週間も滞在していたら大変なことになっていたと思う。

またシリアに来てしまったことで残念な部分もある。ここにいる仲間や私は、海外の“不信心者の地(Dar ul-Kufr)”で具体的に攻撃をしかけている分子たちの活動的な様子がむしろ羨ましくて仕方がない時がある。

■海外の若いIS戦闘員志願者に対して

彼らにはシリアに移住し、イスラムの教えに従い、完全なるIS戦闘員となって生活することの重要性を説いている。だがヒジュラはどうしても難しいという場合は、各人が暮らす“不信心者の地(Dar ul-Kufr)”で攻撃を起こすという選択肢でもかまわない。

■宗教は音楽より意義がある

ある時点で私は「音楽と宗教のどちらを採るのか」と迫られた。もちろん後者を選んだ。

■激しい戦争と荒廃した環境に妻子を巻き込んだことについて

娘はまだ4歳。だが厳しい挑戦どころか特権だと思っている。世俗主義の世界に暮らすよりよほど意義があるからだ。この世でそれを感じることは難しくても、いずれ父の私に感謝する日がくると思う。私の娘は今「イスラム国」にいる。これこそがアッラーからの最高の贈り物といえるだろう。

■斬首をはじめ人を殺すことへの思い

動物を殺すことは辛くて難しい。でもアッラーの敵となれば、こんな楽しいことはない。

■ターゲットのリストについて

宗教学者、ラッパーなどのミュージシャン、ジャーナリスト、警察官や軍人などに対する攻撃を呼びかけたのは本当だ。ターゲットのリストを作成したのも事実だ。彼らは私たちをテロリストと呼ぶが、彼らこそイスラム教を敵視し、真実を捻じ曲げてはこちらへの攻撃を続けてくる。9月17日にはジュリアン・B(39)、ジェレミー・C(31)の2人が私の友人というだけの理由で逮捕されてしまった。

■イラク軍のモスル奪還について

怖くはない。モスルを奪われようと我々のジハードは今後も続いていく。また新たな戦闘員を募り、新たな所でジハードを展開するだけだ。山の中、洞窟、どこに住んでいても、たとえ片腕を失ったとしても我々はアッラーのおぼしめしのままにジハードを続けるだろう。

■有志連合軍が空爆をやめさえすれば

シリアのアレッポではアメリカやフランスをはじめとする有志連合軍の誤爆が続いている。民間人や病院にどれほどの爆弾が落とされ、罪もない人々が亡くなったことか。これは私たちの過ちではない。奴らが空爆をやめればこちらもやめるのだが。

以上、抜粋でお伝えしてみた。西側諸国への敵対心を露わにISが誕生して高らかにジハードを宣言する、その背景を深く理解しているアマラシンガム氏にはカシムも素直な自分をさらけ出しているようだ。特に妻子を伴ってのヒジュラがいかに危険で大変なものであったか、そこを熱心に語ったという。またアマラシンガム氏が両親の離婚について触れた時だけは、カシムも「これだからメディアは…。“カシムは両親の離婚に打ちのめされてジハードに走った”とでも書きたいのだろう」と言って苦笑したそうだ。

出典:https://twitter.com/amaramarasingam
(TechinsightJapan編集部 Joy横手)

このニュースに関するつぶやき

  • >130名もの尊い命が奪われたパリ同時多発テロ事件からすでに1年だが・・・ 現地では毎日の光景なんだろうに。ISを擁護ばかりはしないが原因は欧米の資源利権の為の侵略だよね。植民地政策は奴隷化だし
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