話題の一冊『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』 ――公文式で身に付く力についてきいてみた

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2017年02月22日 09:33  MAMApicks

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このところ、ちょっと考えることが多い娘の習い事。
本人が何かをやりたいと言うまではいいや、というスタンスは変わらないが、よその子が習い事をしていると聞くとちょっと気になってしまう。そんな中、Amazonのサイト内を徘徊して見つけたのが、『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』(祥伝社刊・おおたとしまさ著)という一冊。

「東大生の3人に1人」?
タイトルに引き込まれてしまって勢いでポチっとしてしまった。
私自身、算数を小4から小学校卒業まで、英語は小3から中学校卒業まで学習していたので、習い事として非常になじみの深かった公文式。たしかに自分にはすごくフィットしていて、通うことも楽しかったので、娘にもいつか公文式を習わせるのもいいな、と考えたことはあるが、そこまで効果のある学習方法だったとはつゆ知らず。

著者によれば、元はというと、中学受験のために「SAPIX」、その後東大受験のために「鉄緑会」、という学習塾の“王道”を経て東大に合格した学生たちに話を聞いたところ、彼らの多くが公文式教室の出身だった、ということが執筆のきっかけになったという本書。知っていたようで知らなった、公文式にまつわる事実が、ページをめくるたびに明らかになる。

これは事の真相を深堀りしたい!と、本書の著者であり、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんにお話を伺うことにした。


―― 『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』の中では、座談会やアンケートで、たくさんの東大生にヒアリングされていますが、公文式をやっていた東大生に共通点のようなものはありましたか? 東大生から見る「公文式」の魅力とはどのようなものなのでしょうか。

おおたさん(以下、敬称略):東大生にも天才型と努力型の2タイプがいますが、コツコツ綿密に計画を立てて、最後は根性で入りました、自分に打ち勝った、という努力型が多い印象を受けました。

魅力という点では、学年を問わず、まだ学校で習っていないことも学べるということが、公文式の学習システムのすべてかなとも思います。たとえば小学校では、「まだ方程式を習っていないのだから、つるかめ算を使いなさい」と言われるところを、公文式では方程式で解いてもOK。だからどんどん先に進める。

■「これだけ進んだ」と目に見えることが学習習慣につながる
―― 毎日学習する習慣が身に付く、という意見も多く見られましたが、それって他の学習塾に比べて特徴的なのでしょうか?

おおた:中学受験を目的としているSAPIXでも、小学校低学年のうちから中学受験の勉強をするわけではなくて、最初はテストの点数よりも学習習慣を身につけましょう、という
姿勢ではあるんです。

ただし普通の塾だと、「今回はこの単元で、終わったらテストをして、結果は何点で、そしたら次はこの単元に進んで……」とみんな一斉に進むところを、公文式の場合は、「頑張った分だけ人より先に進める」ところが大きな違いだと思うんです。

塾の場合、「足し算ができるようになりました」「引き算ができるようになりました」だと、「新しいことができるようになりました」ということは分かっても、前に進んでいるという実感はわきにくいかもしれない。

でも公文式だとシステマチックにカリキュラムが決められていて、その中で、F教材(小6相当)まで進んだとか、I教材(中3相当)まで進んだとか、やればやるほど人より前に進める。それが小さな子どもにとってはわかりやすい報酬・モチベーションになります。

公文式は、コツコツやることが得意な子には合うけれど、逆に、いきなり大きくステップアップしたい!という子には退屈に感じるかもしれません。たとえてみると、ボルダリングの手がかりが細かくついているような感じです。

どんなに学力が低い子でも、「ちょっとやってみようかな」って手を伸ばしたら、何かしらの手がかりがあって、一段階ずつでも登っていける設計になっている。

他の教材だと、あるところで急にレベルが上がってしまって、そのギャップがつまずきの原因になることもあるのですが、公文の場合、ギャップを感じさせないような段差の小さい教材構成になっています。理解力や発想力が高くなくても、愚直にコツコツやれば先に進めます。

とは言っても、「学校の勉強についていけないぞ、まずいから公文式に通わせたら何とかなるだろう、とりあえず計算だけは早くなるだろう」と、親が家庭学習を丸投げするのは失敗するケースですね。

■親の関わりは「導入」の部分が肝心
―― 公文式って親御さんの関わりが重要なんでしょうか? だとしたら、両親共働きが増えている今の時流にそぐわなくなってしまいますよね。

おおた:導入の段階で、子どもがある程度自力で進めるようになるまでは関わってあげた方がいいでしょうね。「毎日やりなさい!」と強制するんじゃなくて、たとえば「おやつの時間、テレビの時間、そして公文の時間」みたいに流れを作ってあげて、何となく、自然にやるものだという雰囲気を作る。

時々つまずいてしまって進まないときは、「なんでわからないの?」じゃなくて、励ましながらイヤな気持ちにさせず、かつ毎日決められたことをやる。公文をやることが当たり前だという環境設定、状況設定が必要ですね。

ただ、手がかかるのは最初のうちだけで、「毎日進むことが楽しい」「ちゃんとやらないと気持ちが悪い」みたいな習慣になれば、時々「ちゃんとやってるかなー」と確認する程度で十分ですし、むしろべったり張り付かないほうがいいと思いますよ。

もっと言うと、そこまで行けば、そこで公文式は終わりでいいかもしれないです。自分で学習する習慣が身に付いたのなら、そこから先はどこへ行ってもできるはずですから。

ただ、急に難しくなったり、新しい単元に入って手が届かなくなる瞬間が現れたとしましょう。そういうときに小さな子どもだと心が折れてしまうこともあるから、「言われたとおりにやっていたら、必ず次のプリントもできるようになっているはずだ」という、絶対に足を踏み外させない“階段みたいな安心感”がある公文式を続けておくのもいいんじゃないかな、とは思います。

■「公文式ができる」=「勉強ができる」ではない
―― 逆に、公文式の特徴的なデメリットというものもあるのでしょうか。

おおた:強く言ってしまうと「勉強が分かる楽しさ」が分からないってことでしょう。
誰かに方向性を示してもらって、高いレベルに一歩一歩近づいていくっていうことはできるけど、自分で目標を設定したり、思いがけないところから得られる「学びの躍動感」みたいなものには出会えないかもしれない。

だから、「公文式の世界」の中だけでできるようになった気になると「勉強の楽しさ」には気づけないかもしれない。それが一番のリスクかなとは思います。

要は「公文式」という種目ができるのであって、勉強や学問ができるのとはまた少し違いますから、そこの割り切りや見切った上での利用がいいと思います。

―― そのようなデメリットを踏まえても、やはり公文式は魅力的な学習方法だと思われますか?

おおた:本来的に生きる力になるかというと疑問ですけど、単調さに耐えられる忍耐力は日本の受験文化で強い力にはなります。

小学生のうちから、自らやる気になって勉強ができる子なんてなかなかいないから、そういう時期に「とりあえず公文をやっておきなさい」というのも、無駄がなくて合理的ですよね。

野球でも将棋でもピアノでもいいんだけど、毎日素振りをするとか、毎日練習していたら、たとえばピアノなら「人より早くブルグミューラーが弾けるようになった」といった自信がつく。じつはその自信があれば、他の勉強にも応用できるんですよね。

どの学習レベルの子にも合うようにできている完成度の高い教材ですから、習い事のひとつとしての公文を考えてみるのはありだと思いますよ。

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「東大生の3人に1人」という驚異的な数字を掲げつつ、公文式のデメリット、公文式が合わない子についても言及している本書、決して公文式を絶対な存在とは見なしておらず、あくまでも「選択肢の1つ」ということが分かる内容になっている。

それでも読了後、「やっぱり公文式いいな〜、娘に通わせるのはありだな」とかなり気持ちは傾いている。まだ4歳だし、今すぐにということはないけれど、これから時間をかけて検討していきたいところ。

おおたさんいわく、「大体半年くらいやれば、公文式が合っているかいないかは分かるはず」とのこと。ひとつの目安として覚えておきたい。

真貝 友香(しんがい ゆか)
ソフトウェア開発職、携帯向け音楽配信事業にて社内SEを経験した後、マーケティング業務に従事。高校生からOLまで女性をターゲットにしたリサーチをメインに調査・分析業務を行う。現在は夫・2012年12月生まれの娘と都内在住。

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  • 公文式はスポーツで言う日頃の走り込みかな。
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