【小物王のつぶやき】まるで「男と女」のよう?「筆記具と紙」の相性の話

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2017年03月02日 09:01  citrus

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確かに、筆記具と紙の相性というのはある。あるのだけれど、その相性は、例えば肌と石鹸の相性とか、仕事のパートナーとの相性などとはちょっと違う。もしかしたら、男女の相性とかに似ているかも知れない。

 

例えば、肌と石鹸の相性は簡単、痒くなれば相性悪いし、問題なく使えれば相性は良いのだ。しかし、筆記具と紙の相性はそう単純なものではない。そもそも「書き心地」というのが、あやふやというか曖昧というか、どういう状態を「書き心地が良い」とするかというのは、結構問題なのだ。

 

 

■紙にぐるぐると試し書きして何がわかる?

 

良く、試し書きとして、紙にぐるぐると繋がった丸を描く。その時、物凄く快適にスムーズにペンが動いて、ぐるぐると淀みなく線が描けたとする。それは「書き心地が良い」のだろうか。手は確かに気持ちよいだろう。しかし、そこに描かれているのは、ただのぐるぐるの線であって、それをもって「書いた」と言って良いのか、ということである。

 

筆記具で何をするのか、というと、まあ、多くは絵を描くか文字を書くか、図を描くか、といったところだろう。ぐるぐるを描く為に買うなら、ぐるぐるが気持ちよいペンを買えば良いけれど、筆記具って、そういう道具じゃないことが多い。

 

手帳に細かい予定を書き込む時と、広い紙に大きな文字を書く時では、手に伝わる感触も違うし、そもそも、画数の多い漢字を狭いスペースの中で書いている時に、手に伝わる感触と、正確に書きたい場所に書きたい線が書けるのと、どちらを「書き心地が良い」と感じるかという問題も出てくる。つまり、単に「書き心地が良い」と言うのは、何も言っていない事と同じなのだ。

 

 

■カリカリ系、ぬらぬら系…書き心地も色々

 

よく、筆記具の書き味を「カリカリ」とか「ぬらぬら」と表現する場合があって、それはそれで良いのだけど、「ぬらぬら」は、大きく書かないと、そういう感触にはならないし、「カリカリ」は小さな文字を書かないと、そういう感じにならないから、それは、結局、筆記具や紙というより、どう書いているかの影響が強い表現なのだ。つまり、「書き心地」と一口で言っても、筆記具が紙に当たる部分の問題、インクの出方の問題、筆圧の問題、書き癖の問題、紙の種類の問題、書く文字の大きさの問題、などが絡まって、しかも最終的な判断は、気持ちいいかどうかという、「書く」という行為とあまり関係ない部分で判断されるわけで、それはとても個人的な体験を表すものになるのだ。

 

例えば、パイロットの「ジュースアップ」という細字のゲルインクボールペンがあるのだが、これが世間では「カリカリ系」と言われている。が、私には、「小さな文字もカリカリせずに書けて気持ちいいなあ」という感触のペンなのだ。そのくらい、感触というのは人それぞれ。

 

 

■実は「筆記用」に作られた紙は多くない?

 

もちろん、「書く」というのは個人的な作業だから、評価も判断も個人的で構わないし、だからこそ世の中には沢山の種類の筆記具があるのだ。ただ、実は「紙」は、それほど種類はなかったりする。現在、日本で使われている紙のほとんどは、印刷用紙で筆記用に作られた紙はあまり多くないのだそうだ。それこそ、昔はチラシの裏とか包装紙の裏とかにメモしたりしたものだけど、元々、書く為の紙でもなければ、筆記具もインクが出るのかどうか書いてみなければ分からないボールペンだったりして、書き心地どうこう以前の問題だったわけだ。

 

実際、ボールペンに「書き心地」を求めるようになったのは、ここ10年くらいの話。万年筆の場合は、書き味は重視されていたものの、それも「手に馴染む」「疲れない」といった実用の部分が中心で、「書いていて心地よい」的な評価軸そのものがなかった。その頃の「快適」は、ストレス無く描き続けられる、という、もっぱら機能に関する話だったのだ。

 

 

■書き心地への関心は、最近の話

 

筆記具の書き心地について、人々が関心を持てば、当然、そのパートナーとも言えるノートや手帳も紙の質を大事にするようになる。手帳のために作られた、デザインフィルの「MDペーパー」、ツバメノートが使っている事でも有名な、日本最古の筆記専用紙「フールキャップ紙」、銀行の帳簿などに使われていた「バンクペーパー」など、「書きやすい」とされる紙を使ったノートや手帳が増えてきて、さらにはマルマンの「ニーモシネ」のように、ノートやメモ帳、手帳などを同じ上質な紙で作るシリーズや、書きやすさを求めて作った紙を使ったアピカの「プレミアムCDノート」、万年筆での書き心地を追求して作った紙を使った神戸派計画の「グラフィーロ」といった、「紙」に特長がある製品も続々と登場。

 

そもそも、例えば、昭和ノートの「ジャポニカ学習帳」やコクヨの「キャンパス」シリーズなどの、学生用のノートからして、スルスルと引っ掛かりなく書けるのだ。

 

 

■書く内容によってノートを変える

 

つまり、書きやすい紙があって、選べるほど多くの種類の筆記具がある。この場合、重要なのは、何の為に書くのか、という点である。書く内容によって選ばなければならないのは、筆記具ではなくノートや手帳だ。自分が書きたい内容に合わせてノートが選ばれる。もし、そのノートが愛用の筆記具との相性が悪かった場合、変えるのは筆記具の方なのだ。

 

もちろん、自分の中での最高の組み合わせは、あっていい。私にとっての、Thinking Power NotebookとペリカンのM205の組み合わせは、本当に書いていてストレスが全くない。それが使える場合は、積極的に、その組み合わせで書く。でも、そうでなかったら、優先すべきは紙の方だ。「ジェットストリームは滑りすぎて嫌だ」という人も、滑らない紙を使う時にジェットストリームを使うと、とても楽に書けるかも知れないのだ。本当に、そのくらい、現在の紙製品の質は全体に高いし、現在の筆記具は凄いのが色々ある。「手書き」に良い時代なのだ。

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