おかえり、コンディショナー ――妊娠・出産を機会に削ぎ落としたもの

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2017年03月02日 12:04  MAMApicks

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シャンプーのあと、コンディショナー(リンス)を使わなくなってどれくらいたっただろう? 半年……いや、1年?コンディショナーを詰め替えるためのボトルをベランダに干してあることは目のハシでとらえているが、もはや干からびている。

いつか白髪を染めに美容院へ行ったときのことだ。
美容師さんが申し訳なさそうに、「お子さんがいると、忙しいですよね。でも、できればコンディショナーを使っていただけるといいんですけどね……」と言っていた。その時、「ぎゃ、バレてる!(脇汗)」と思って謝り、今後使いますと誓ったのだが、やはりコンディショナーレスのまま。

それからはセリフが、「ドライヤーで髪を乾かすときはオイルをつけて……」に変わったものの、3回くらい言われ続けて、オイルももちろんつけていない。


■気がつけば、省かれていったもの
妊娠・出産にさしかかり、乳児子育てを経て、その前の時期まで「フツーにしていたこと」が削ぎ落とされてしまい、いつしか「無いことが常識になったモノ・コト」はあるだろうか。

私はざっと考えて、前出のコンディショナーやヘアパック、肌に塗る乳液、美容液、パック、スカート、読書、神社仏閣城めぐり、テレビ(バラエティ系の)、半身浴、ネイル(これは独身時代からあまりしていないが)、そして酒(心ゆくまでの)である。

やはり美容系のサムシングが多く、2〜5年くらいご無沙汰していた。

もともと美意識が高くない自分だが、妊娠(重めのツワリ)と子育てを理由に、見た目のケアを諦めていくのは自然なので、そこに悲しみはない。むしろ、首の座らない0歳2ヵ月児とメンタルがこじれがちな3歳児を一緒に、まだ骨盤ガタガタの状態で風呂に入れて洗って無事に出す、という目的のため、手間のかかるコンディショナーを省き、自身の洗髪は2日に一度とした自分が嫌いではない。

子どもたちを2つの保育園に送迎するため、自転車がこぎやすいよう毎日ズボンでいいと思うし、ハゲたネイルにしないために、元からマニキュアを塗らない選択はアリだ。ビジネス風にいうところの効率至上主義で、ムダと思えるものは切り捨てた結果、顔には眼鏡とマスクと帽子が残って今に至る。

子どもがそこそこ健やかで清潔な毎日を送ることをゴールと設定し、それをクリアしていれば良いのである。

■ヘアアイロンのコテで、かき乱される
しかし、心の動揺は唐突にやってきた。
去年の秋、学生時代の友人5人で2泊3日(私は車中1泊)の国内旅行をした時のことであった。約半分が「ママ+幼児または乳児」の組み合わせであり、私は移動が寝台列車だったので、荷物を極力減らしていった。結果、息子(4)はリュックひとつ、私(37)はリュックと小さな斜め掛けポーチひとつにおさまり、その身軽さに満足であった。

友人たちの多くとは現地で落ち合うことになっていたのだが、ビックリしたのはその荷物の多さで、同じく4歳の子どもを連れてやってきた友人は、なんとコテを持ってきていた。もう一度言う、ヘアアイロン、通称コテである。

コンディショナーさえも切り捨てている自分にとって、毛先をカールさせるために使う「コテ」を旅行先に持ってくるという行為は、ありあまる心の余裕であり、いわゆる潤沢な女子力の象徴であり、女には少なくとも旅行にコテを持ってくる者と持ってこない者の二種類があることが浮き彫りになった瞬間であった。

コテ……子持ちなのに、コテかよ。
放心した私に友人は「でも、旅行の時くらいだよ。いつもはこんなことしないんだ」とフォローを入れてくれたのだが、ちょっと待て、旅行の時の方があわただしくないんかい? 旅の恥はかき捨て(私)ではなく、「旅=写真に残りそうだから装う」という発想なんかい?

ともかく乙女度が高すぎて、また勝手に打ちのめされたのであった。同じ学生時代を過ごしたのに、私はいつ君についていけなくなったのであろう……オールインワンタイプの化粧水を握りしめて愕然としていたら、周りからペタペタ、パフパフという音が聞こえてくる。ファンデーションであった。どうやら下地から塗っている者もいる。

さらに洗面所からは、ボオオオというドライヤーのブロー音がこだまし、整髪料を何もつけず1本しばりにしていた私は、いたたまれなくなって息子と「鉄道クイズ」をむさぼり読んだのであった。

■『外見で人を判断しないのは、愚か者である』
以上、朝の小一時間、鉄道クイズに没頭するしかなかったというトラウマティックな体験に追い打ちをかけたのが、オスカー・ワイルドの名言(※1)であった。

美容院で4回目の「ドライヤーで髪を乾かすときはオイルを……」を聞き流しながら、ある女性雑誌を読んでいたら、『外見で人を判断しないのは、愚か者である』という言葉が目に飛び込んできた。けだし、名言である。

≪人は見かけによらないけれど、人は見かけで判断されるよ。≫
どこからか声が聞こえて、腑に落ちた。約40年も世の中と関わっていれば、今の世の人間のホンネとタテマエは分かってくる。ええ、そうですよね……やっぱりそうですよね。私はムダな手間を省いて、見てくれに動じない仙人のようになろうとしていたが、しょせん俗人、やはり他人様の目が気になるのだった。


私はまず、化粧水の次につけるオイルを再開した。そして、断乳後は夕食に酒を、寝る前はワセリンパック(といってもただ塗るだけ)を再開、いよいよコンディショナーを再開すべく、たっぷり余っていた詰め替え用を干からびたボトルに流し込んだ。

……まま、一週間が経過。
一度シャンプーだけの洗髪に慣れてしまうと、コンディショナーはハードルが高い。なんだよ、コンディショナーなんてもう一生やめとけば? いや、私の髪がボサボサだと子どもがみじめになるかも? いや、なるかな〜?と葛藤をしながら、ようやくコンディショナーを遂行したのであった。

■前より上のゴールをクリアした喜び
結論からいうと、芯から傷んだボロッボロの髪質はあまり変わらない。
しかし、今までの「子どもをそこそこ清潔に」というゴールより、ほんの少しだけだがゴールを上に設定し、それをクリアしたという事実。この差は極小に見えて、子育て期間中にとっては大きい。

高跳びの30cmを飛べた、次は31cmに挑戦!という前向きな気持ちも生まれきて、子どもに喰われるがままになっていた自分を少しずつ取り戻せる予感がある。

ゴールを上に設定できたのは(といってもコンディショナーをするだけ)、子どもたちの成長によるところも大きい。夜間授乳や離乳食づくりから解放され、夜はまとまって眠り、体力が戻ってきたからだ。

最後に、妊娠・出産前はしていなかったのに、最近になって導入されたモノがあることをご報告しておく。ファンデーションと赤い口紅だ。ある時、特別体調は悪くなかったのに保育園の先生から心配されたことがあり、顔色をある程度よくしておくことは半ば義務だと学んだからだ。

きっと今後も、削ぎ落とされたり足されたり、永遠にサヨナラするモノやコトが出てくるだろう。それは人によって、人生のフェーズによって違うだろうが、変化を恐れず無理をしないでいきたいものだ。

※1 オスカー・ワイルドの名言
日本では、『外見で人を判断しないのは、愚か者である』が定着しているようだが、原文は以下のようだ。定着しているところを見ると共感されているのだろう。
“It is only shallow people who do not judge by appearances. The true mystery of the world is the visible, not the invisible.”
(=ものごとを外観によって判断しないのは、浅はかな人だけだ。世の中の真の神秘は目に見えるものだ。見えないものではない。)

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。

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