先週、私のわりと古い女性の友人から、いきなりFacebookのメッセンジャーを通じて、こんなお便りが届いた。
「ゴメスさん元気? 今度、雰囲気イケメンについてなんか書いてください。ゴメスさんの視点だと、どんな解釈になるのか気になる(口に手を当てた風の絵文字)」
最近、彼女とはめっきりご無沙汰だったんだが、私がFacebookにシェアしているcitrusとか日刊SPA!とか、その他で書いているコラムに何度か「いいね!」を押したりしてくれて、それは一文筆業者として、本当にありがたい話であり、ゼヒともそのリクエストには全力を挙げてお応えしたいのだけれど……「雰囲気イケメン」ってなんやねん?
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「イケメン」の部分が、時代によって「ハンサム」だったり「ナイスガイ」だったり「カッコマン」だったり……と、違った単語があてがわれていたケースこそあれど、この手のタイプの“色男”は有名・無名を問わず、かなり昔から一定数、間違いなく実在した。どうして今さら?……と思いきや、念のためネットで調べてみると、ここ数年「雰囲気イケメン」はれっきとした“流行語”として、ちまたに出回っているようで、しかもそう認定された男性著名人の方々は全員が全員、モテモテ状態なのだという。
定義は
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「イケメン」と称されてはいるものの、誰が見ても正真正銘の美男子と言えるハッキリとした目鼻立ちを持っているわけではなく、よくよく顔を凝視してみたら「あれ、そうでもない?」と思えてくるタイプの男性
とされており、現在活躍中の男性タレントに例えると、綾野剛と小栗旬が両横綱としてトップに君臨し、あとは大関・関脇格に松田龍平・松山ケンイチ・向井理……あたりが番付の上位を占めている、らしい。
正直、ネットで「雰囲気イケメン」を検索する前の予想とは、面子がだいぶ違っていた。私はてっきり、草なぎ剛やら相葉雅紀やら新井浩文やら、少々年齢は高めになってしまうが香川照之やらのこと、すなわち「実績の積み重ねによって、決して本来は美男子ではないけど広範囲的な意味でのイケメン称号を与えられた男性」のことをこう呼ぶのだとばかり思っていた。「元祖プレイボーイ」「昭和一のスケこまし」……ほか、さまざまな浮き名をもって謳われた、あの火野正平が女性スキャンダルという“実績”にまみれ続けることによって「いつの間にか男前に見えなくもなくなってきた」かのごとくに……だ。
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しかし、平成20年代の「雰囲気イケメン」は……明らかに私がイメージするソレとは微妙にニュアンスを異にする、もうちょい“ビジュアル重視”なのではなかろうか。
そりゃあ、綾野剛にしたって小栗旬にしたって、ほかの大関・関脇格にしたって、一人残らず堂々たるキャリアや才能を誇る人気俳優だが、草なぎ剛だとか火野正平だとかと比べれば、“実績”の後ろ盾が薄い気がする。それよりは長い手足や小さい顔……など、もっとシンプルで即物的な外見部分のトータルバランスに頼ったうえで「なんとなくイケメン」が成立しているのである。
そして、このような「“背景”に惑わされず一つのモチーフの是非を判別できる審美眼」がイマドキの日本女性のあいだでも、ようやく“当たり前の能力”として備わりつつあるのは素晴らしいことだが、同時にその美意識向上の風潮は、我々みたいなオーバーフィフティ、またオーバーフォーティの前近代的な体型に甘んじる世代にとって、絶望的に厳しかったりもする。