NONA REEVES 西寺郷太が語る、“歌謡曲”と向き合った20年 「自分で失敗して学んでここにいる」

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2017年03月26日 13:02  リアルサウンド

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NONA REEVES

 NONA REEVESが、メジャーデビュー20周年を迎え、ベストアルバム『POP'N SOUL 20〜The Very Best of NONA REEVES』をリリースした。同作には、「WARNER MUSIC」(1998年)から「HEY, EVERYBODY!」(2009年)、そして新曲「O-V-E-R-H-E-A-T」を含む全16曲が収録される。


(関連記事:西寺郷太×和田 唱が語る、80年代のポール・マッカートニー「天才で多作で、たまにしょうもない曲もある(笑)」


 1997年にメジャーデビューしてから20年。西寺郷太はプロデューサーとしても、そして奥田健介と小松シゲルはプレイヤーとしても、シーンで大きな存在感を発揮しながら、NONA REEVESとしてコンスタントに作品を発表してきた。変わりゆく時代の中でのバンドの立ち位置から、“日本の歌謡曲”の理想形、そして現在製作中だというオリジナルアルバムとこれからの活動について、西寺郷太への単独インタビューでじっくりと話を訊いた。(編集部)


・「もう一個ギアを入れたいなっていう思いはずっとあった」


――3月8日に、20周年記念ベストアルバム『POP'N SOUL 20〜The Very Best of NONA REEVES』がリリースされましたが、その反響や手応えはいかがでしたか?


西寺郷太(以下、西寺):ここ数年は、マイケル、プリンスや、藤井隆さん、プロデューサーとして参加したNegiccoやV6などの話にプラスアルファでNONA REEVESの話をすることが多かったんです。今回は全面的にNONA REEVESとしての活動なので反響は大きかったです。あと、ニューアルバムのタイミングだと、どうしてもそのアルバムの話になるじゃないですか。だけど、今回はベスト盤、しかも20周年記念ベストなので……。20年っていうのは、世の中的にもいろいろ振り返りやすいのかも。ジャミロクワイがまた注目されているとか、そういうことも引っくるめて、90年代半ばあたりからの20年間っていうのが、自分たち的にも、世の中的にも、ある種一周回った感がある。というか、僕らはあんま変わってないんだけど、まわりがこっち側に寄ってきた感じもあって(笑)。今回のベストのタイトルに“POP’N SOUL”ってつけましたけど、80’s的な瑞々しいポップネスを切り取ったグルーヴが、2010年代になってからすごい増えてきている印象、ありませんか? それこそ、ブルーノ・マーズを筆頭に。


――だからこそ今、ノーナがベスト盤を出すことは、すごく意味があることのように思います。


西寺:しかも、最初にメジャー契約をしたワーナーミュージックに戻ってきたタイミングで、こういうベストを出すっていう。そういう意味で、僕らのやってきたこと/やっていることが、かなりわかりやすくなったんじゃないかと。僕も若い頃、ベスト盤から入ったアーティストが多いので。もちろん今は、ストリーミングサービスとかで聴くのかもしれないけど、「これまでの曲が200曲ぐらいあるのでどうぞ!」ではなく、今の人たちに焦点を合わせて、「ここからだったら2017年のノーナに入りやすいですよ」と提示することは、すごく意味のあることだなって。


――最近は、文筆業やテレビ、ラジオなどの出演などで西寺さんの存在を、果てはノーナの存在を知ったという人も多いようですし。


西寺:名前のあとにカッコでバンド名が入ってないことも結構多くて(笑)。ただ、それは僕だけではなく、ノーナの3人は、みんな今、同じような認識だと思うんですよね。奥田(健介/G)にしても小松(シゲル/Dr.)にしても、彼らはセッション・ミュージシャンとして売れっ子ですごく忙しいので、それぞれソロでやっていく道は見えているんですよね。ただ、そういうなかで、本体のノーナを何とかしたいなっていうのは、みんな思っていたことであって。もちろん、アルバムとかはずっと出しているし、同じペースでやれているので、それ自体はすごいありがたいことなんですけど、もう一個ギアを入れたいなっていう思いはずっとあったんです。で、そういう時期に、ちょうどワーナーから話がきたと。


――原点回帰じゃないですけど、メジャーデビューしたときの古巣であるワーナーに戻って心機一転、ノーナを頑張ろうと。


西寺:この半年、3人で会う回数がすごい増えました。バラバラの仕事をしているんで、ここ数年なかなか会えなかったんで。もちろんアルバムは出していたけど、みんなスキルが高いので、集中力でアルバムを作れていたというか。ここ数年は、メンバーの誰かがやりたいなら、それをやってみようっていうスタンスだった気もします。プロデューサーの冨田さんに任せたり。ちょっと偏っていても、誰か一人がやりたいと言ったものに、他の二人が乗っかるみたいな、そういうスムースな進め方を意図的にやっていたところがあるんです。前作『BLACKBERRY JAM』あたりからセルフ・プロデュースで三人のパワーを出さざる得ない状況を作ったんですが、今作り始めている新しいオリジナルアルバムは、更にお互いの意見をぶつけ合いながら作っているところがあって。お前はそうかもしれないけど、俺はこう思うとか。で、それが何か、かつてのワーナー時代を彷彿とさせるんですよね(笑)。今回のベストに新曲として入っている「O-V-E-R-H-E-A-T」も、そういうアプローチで作っていて。どうやったら今の人たちに届けられるのか、どうやったらこの国に脈々と続く「ザ・歌謡曲的」なものを飲み込みながら対抗、革新できるのかっていうのを、僕だったらジャニーズの仕事をした経験とかをもとに考えてるというか。


――3人が別の場所でそれぞれ培ってきた経験を、ノーナに持ち込むというか。


西寺:そうなんです。だから、ちょっと意図的に、お互いが「ここはポップソングとして弱くない?」みたいなことを指摘し合うみたいな感じで、今、アルバムを作っていて。それはすっごい大変な作業ではあるんですけど。ミュージシャンも40代になると、だいたい他の現場にいけばリーダーなわけです。自分の指示で現場は動く。でも、NONA REEVESで三人になるとそれぞれそうはいかない。今回のワーナー復帰っていうのは、そういう部分も含めて大きな意味があるなって、僕らは思っているんですよね。


――端的に言うと「ノーナをちゃんと売ろう!」みたいな。


西寺:ですね(笑)。もちろん、ノーナの場合、初週だけじゃなくて、地道に売れ続けるので、累計枚数はそんなに悪くないというか、結果は割と優秀なんですけど(笑)。他の皆が数字を落とす中で「常に微増」でキープし続けてきた。だから生き残ってこれたんです。ただ、次のアルバムでは、もっともっと上を目指せるんじゃないかっていう。そういうムードに今、なっているんです。


・「『歌詞の乗せ方の発明』を見つけられた天才が愛され、残っていく」


――そう、ランキング的なことを言えば、僕は2ndアルバム『FRIDAY NIGHT』をとりわけ愛聴していたのですが、先ほど調べたところ、なんと初週オリコン圏外だったという……。


西寺:『FRIDAY NIGHT』、全然売れなかったんですよね(笑)。すごい良いアルバムだったし、今も褒められるんですけど。ただ、今回のベストに「BAD GIRL」とか「STOP ME」が入ったことで、ちょっと報われたというか。「BAD GIRL」をシングルとして出したときは、結構ビックリされたんですよね。いわゆるAOR、アーバンなボズ・スキャッグスとか、マイケル・ジャクソンの「Rock with You」とか、ああいう70年代後半の、それこそジェフ・ポーカロとかジョン・ロビンソンが叩いていそうな感じの曲だったので。そういう音楽をやるっていうのが、当時圧倒的に変なことだったというか、「急に?」っていう(笑)。その頃は、pre-schoolやSUPERCAR、NUMBER GIRLが旬な頃なので。今、聴いた方が「BAD GIRL」がハマるはずです。『FRIDAY NIGHT』は、僕らにとってはデビューアルバムだって感じがある。それまでが紀元前で、『FRIDAY NIGHT』がゼロだったんじゃないかな。よく「デビュー以来、ずっと変わってない」って言われるんですけど、音楽的にはそれ以前は違いますね。それこそ、“紀元前”には「CESSNA」っていう結構速いギターポップ……それこそ、ブラーとかに影響を受けた曲もキラー・チューンだったりしたので。


――ちなみに、僕が最初に聴いたのは、『QUICKLY』というインディーズ時代のアルバムでしたが、確か当時は渋谷系というか、ネオアコの文脈で知ったような気がします。


西寺:その前に出した『SIDECAR』っていうアルバムで、ちょっと印税が入ったんですよね。それが僕にとっては初めて音楽で稼いだお金で、そのお金でギブソンのJ50っていうアコギを買って、嬉しくなって弾いていたら、『QUICKLY』はアコギが入っている曲ばっかりになっちゃったんです(笑)。そのあとメジャーで出した最初のシングル「FORTY PIES」もそうなんですけど。だから、新しい楽器を買ってハッスルしちゃったことも、実は音楽の変化に関係があって。僕らの最初のスタートって、下北沢のギターポップシーンだったんですよ。当時は、オアシス、ブラーが全盛で、その頃から僕は「ビートルズとモータウンが好きです」って言っていたんです。で、振り返ればビートルズから派生したブラーでありオアシス、モータウンから派生したマイケル・ジャクソンでありワム!だとして、「ビートルズ色」がどんどん減って、「モータウン色」が増えていって今に至るって感じはありますね。


――そこでだんだんブラックミュージックのほうに比重が移っていったのは、何か理由があったのですか?


西寺:理由のひとつが、ビートルズが好きなバンドマンが多かったこと。混んでいるところに攻めていってもしょうがないなっていう。奥田民生さん、山崎まさよしさん、斉藤和義さんとか、少し年上の方々がビートリーなことはもう極めていたし、TRICERATOPSやGRAPEVINEとかのギターバンドもデビュー時から完成していた。飲食店で言えば、この駅前にはもうラーメン屋さんいらない、みたいな感じですね(笑)。で、もう一個、ギターバンドっぽいのをやめた理由は「作詞家」として。日本語で「ビートリー」な楽曲をやるときに、僕のなかでは落としどころが作れなかったんです。インディーズの頃は、英語で歌詞を書いていて、それはそれで好きだったし、自国語じゃない言葉で歌詞を書くこと自体はいいと思っているんですけど、10年、20年と長く続けるときに「それで大丈夫なのかな?」って。『FRIDAY NIGHT』とそれまでのいちばんの違いっていうのは、英語のなかにちょこっと日本語が入ってますっていうものから、基本的に全部日本語にしたっていうところだったりするので。


――なるほど。


西寺:で、そのときに、自分のシンガーとしてのキャラクターで日本語を乗せるのであれば16ビートのファンキーかつメロウなグルーヴかも、と。たとえば、「パーティーは何処に?」とかは、ちょっとリズミックなラップ的なものも、「これ、英語だったら良かったのになあ」って思わないクオリティでできるんじゃないかなって。それが、僕らがどんどんダンサブルになっていった要因です。やっぱり、歌謡曲には、言葉の選び方、日本語が持っている個性みたいなものの落としどころが、絶対あるはずなんです。井上陽水さんにせよ、大滝詠一さんにせよ、宇多田ヒカルさんにせよ「歌詞の乗せ方の発明」を見つけられた天才が愛され、残っていく。じゃあどういうのがNONA REEVESでできるんだろうって考えたときに、そのひとつの答えが、今回のベストにも入っている「LOVE TOGETHER」であり「DJ!DJ!〜とどかぬ想い〜」だったと。


――今、「LOVE TOGETHER」が出てきましたが、あの曲は筒美京平さんがプロデュースをしていて。そのへんから、日本の歌謡曲のテイストを明確に意識するようになっていきましたよね?


西寺:そう、だからもうひとつ、僕は違うなあって思っていたのは、黒人音楽は好きなんだけど、黒人音楽の歌手みたいに歌いたいとか、実際にアメリカに住んで自分のボーカルを試したいとか、そんなことは思ったことがなくて。それはそれですごい正しい道なんだけど、僕が考えていたのは、そういう黒人音楽のエッセンスを取り入れた日本の歌謡曲っていうものの面白さと、自分のバンドをミックスできないかということだったんです。そういうグループって、あんまりいないんじゃないかなって思って。たとえばグラミー賞を見ていると、実はカントリーの人たちが、ものすごく賞を獲っていて、いまだにアメリカでは、カントリーが愛されているわけじゃないですか。で、我々日本人からすると、あれだけはわからない、興味が持てないっていう発想になりがちなんだけど、僕は日本にもそういうカントリー的なものが、絶対あるはずだと思っていて。で、その常套句として「カントリーは、日本で言うところの演歌だ」みたいなことが言われるんだけど、僕は「ホントにそうか?」と。演歌って、今の子は聴かないじゃないですか。僕らが子どもの頃は、「さざんかの宿」「北酒場」「命くれない」とか、そういう演歌の特大ヒット曲みたいなものがあったけど、今はあんまりないですし。若い演歌歌手の人はいるけど、今は特殊な存在になっていますよね。でも、カントリーは、テイラー・スウィフトやマイリー・サイラスたちがどんどん出てくるじゃないですか。で、そういうものを見ながら、日本にとってのカントリーって何だろうって考えていたときに思いついたのが、ジャニーズなんですよ。日本におけるカントリー的なものっていうのは、ジャニーズ音楽なんじゃないのっていう。それが、あちこちで話している僕の説なんです。


――なるほど。ジャンルとしての話ではなく、シーンにおける存在感として。


西寺:そう。ジャニーさんが作ってきたジャニーズ音楽っていうのは、フォーリーブスの時代からあるけど、特にマッチ、トシちゃん、それから少年隊、シブがき隊、光GENJI……で、それからはずっとSMAPですよね。そういうものが、良し悪し、好き嫌いは置いておいて、もう40年ぐらいずーっと日本の音楽のど真ん中にあるという事実。アメリカ人が何でカントリーが好きかっていうと、小さい頃から家族やお茶の間で聴いていたからだと思うんですよ。そういう意味で、日本の音楽にとってのカントリー的な部分は、ジャニーズ音楽のユニゾンだったり、きらびやかなストリングスだったり、そういうものじゃないか、と。


――J-POPという言葉が生まれる前から、チャートの中心に居続けた、一連の歌謡曲というか。


西寺:そうなんですよ。新しいスターが一瞬物珍しさで、クールだなってバーン!と広まっても、その「カントリー」的要素がないと愛され続けるのは難しいのかなって。そうやってジャニーズが長きにわたり蒔いた種が、さらにいろんなところに伝播していて……たとえば、AKB48の曲を書いている井上ヨシマサさんは、光GENJIの作曲もされていた方だし、それこそ秋元康さんは、少年隊の「デカメロン伝説」やV6の「MUSIC FOR THE PEOPLE」の歌詞を書いていたりするわけです。そうやって「ジャニー塾」で学んだ人たちが、そのノウハウを他の場所でポーンと出している。で、僕らもそうやって、ジャニーさんが作ってきた音楽の、ここがいいなっていう部分を混ぜていったのが、「LOVE TOGETHER」や今回の「O-V-E-R-H-E-A-T」だったりするんです。もちろん、僕らはバンドだから、その抽出の仕方は全然違うんですけど、作り方のメソッドみたいなものは、「LOVE TOGETHER」が入っている『DESTINY』っていうアルバム以降は、どこかに注入されているなと。


・「うまく自分の音楽を守り、それを伝えながらサバイブしてきた」


――ただ、ノーナがそういう方向に舵を切っていくなか、世の中的にはロックフェス全盛の時代に入っていって……なかなか厳しいところもあったのでは?


西寺:うーん、どうなんでしょうね。メジャー・デビューのいちばん最初に踏み外したのがでかいですね(笑)。ワーナーからデビューしたとき、まわりの人たちは「売れる曲を作ろう」って言っていたんですけど、自分たちとしては、あんまりそういうふうにはなりたくなかったというか。最初にドーンと売れればラクだったのかもしれないけど、今思えばそれだとバンドが続いてなかったかもしれないな、と。当時のワーナーの色もあったと思うんですけどね。ミュージックラバー的なレーベルだったというか。当時のワーナーには、キリンジとクラムボンとNONA REEVESがいて……立ち位置として、自分たちの美味しい部分をちゃんと守っていて、この国にこういう音楽も必要だよねっていうところに、それぞれのやり方で残ったグループだった気がします。


――そこから20年が経ち、リスナーのリテラシーも変わってきて……というか、今挙げたグループが、すべて現役で活躍しているのも、ちょっとすごいですけど。


西寺:レーベルは違いますけど、SUPER BUTTER DOGも、ノーナと同期なんですよね。で、何が言いたいかというと、この20年、僕は耐えたというか。やっぱり世の中が変わってきたんですよね。この音楽人生しか選べなかったから、どうしようもないんですけど。20歳のときに、どでかいヒット曲が出たらどうなってたのか。代表曲が一曲あって、それ以外は「?」ってバンドになったのか、続けられたのか。自分で失敗して学んでここにいる、ってことは大切に思いたいです。もともとがマニアックな音楽観を持った三人なんですけど、結果的に僕らはうまく自分の音楽を守り、それを伝えながらサバイブしてきた。で、そんな僕たちが、今回のワーナー復帰のタイミングで、ホームランを打てるような打者になっていれば、最強だなって。


――まあ、ホームランを打たない理由はないですもんね。


西寺:今、いろんな意味で、状況が整ってる。僕がよく言うのは、大滝詠一さんが『A LONG VACATION』を出した、少なくとも「ポップ」を名乗るなら、あの領域にたどり着く気概はみせないと、って。当時大滝さんは30代前半だったと思うけど、当時の30代前半って、今とはちょっと違うじゃないですか。年齢的にも、経験的にも。ロックに先輩がいない時代の30代前半って、もうかなりベテランですよね。で、大滝さんはCM音楽制作やレーベル経営も経験して、そこからもう一度逃げずにポップスを作ろう、永遠に残るものをこのタイミングで作ろうっていって作ったのが、『A LONG VACATION』だったと思うんです。その気迫が、今の僕が目指すべきものです。僕らはデビューから20年経って、その境地に立たなきゃいけない。だからさっき言った、一曲一曲をより厳しい目で見ながら育てていくっていうのは、まさにそういうことなんです。


――なるほど。次のアルバムは、かなりすごいものになりそうですね。


西寺:うん。今回は、すごく気合いが入ってます。さっきから言っているように、今までなんやかんや上手くいったようなときもあれば、いってないような感じもするんだけど、少なくとも音楽的には恥ずべきものじゃない作品を残してきてきたのは事実なんです。それをどうやって世の中にちゃんと提示していくか、頭をフル回転させながら考えているところです。


――これまでの話を聞いていて、今回のベストは、単に過去を振り返るものではなく、今後の活動に向けた“狼煙”のような作品であることがよくわかりました。


西寺:そうですね。これまで大爆発してなかった分、まさに“狼煙”ですよね(笑)。どんだけ“狼煙”あげとんねんみたいな(笑)。今年はこのベストのあと、初夏にビルボード時代のベストが出て、秋ぐらいにはニューアルバムが出て……常に動いているような感じで、一年間でこの20年がギュッと体験できるような年になってくるはずです。だから、NONA REEVESっていうバンドがいるなとか、3人のうちの誰かが参加した曲が好きだったとか、そういう人たちにも、是非聴いてもらいたいですね。このベストを入口として、オリジナルアルバム、そしてホント膨大な数の参加曲とか提供曲を合わせた迷宮があるので、けっしてNONA REEVESに飽きることはないはずです(笑)。だから、20年間、あんまり知らなかったよっていう人にとっても、それは逆に、美味しい部分かなと思ったり。例えば新人の漫画家は一冊一冊次作を待って読まなくちゃいけないけど、読んでない漫画が何十作もある作家に出会えたら、浸れるし、一気に読めて燃えるじゃないですか。(取材・文=麦倉正樹)


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