「リア充アピール代行サービス」の登場は必然? 個人主義と集団主義の狭間にもがく日本の微妙な立ち位置

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2017年04月06日 12:01  citrus

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10年ほど前に「リア充」という造語が誕生してから、これまで日本社会に様々な波紋を投げかけ続けてきたようですが、昨年には遂に「リア充アピール代行サービス」まで登場して話題となりました。こちらは派遣されたスタッフと依頼主が写真を撮影し、友人の多さや充実した生活の様子をSNSに投稿するという趣向。誕生日やクリスマスパーティーを盛大に祝いたいという希望がもっとも多く、現在は20〜30代の女性を中心に需要が増えているのだそう。

 

さて、私の住むウィーンでも同様のサービスがあるのか聞き込み調査を行ったところ、SNSのフォロワーを売買するビジネスは存在しても、ここまで極端なものはまだない様子。それにしても、なぜ日本はこのようなサービスが生まれたのでしょう?

 

■個人主義と集団主義の狭間に位置する日本

 

よく日本は集団主義社会と言われますが、集団主義とは個人よりも各々が属する集団に優先権がある行為形態のことで、欧米諸国の個人主義とは対極にあるとされるもの。ところがオランダの比較文化心理学者ホフステード氏の研究によると、日本は必ずしも集団主義的ではなく、むしろ個人主義との中間あたりに位置しているとのこと。彼の統計ランキングを見ると、

 

個人主義トップ5
1. アメリカ
2. オーストラリア
3. イギリス
4. オランダ
5. カナダ

 

集団主義トップ5
1. グアテマラ
2. エクアドル
3. パナマ
4. ベネズエラ
5. コロンビア

 

となっており、個人主義は英語圏をはじめとする欧米諸国、集団主義は中南米の国々が上位を独占しており、一般的に“典型的な集団主義”と考えられてきた日本の名は挙がっていません。

 

■ぼっちなどあり得ない南米の仲間意識

 

確かに、私が留学先の南米チリで暮らしていた時には、日本とは比較にならないほど濃密な集団主義ぶりに驚いたものです。例えば学級内では、誰しもいずれかの仲良しグループに属さなければならず、行動する際は常に全員一緒。単独行動は究極の異端行為と見なされていました。授業中でさえも仲良しメンバーで机をずらずらとくっつけて勉強していましたし、売店で飲食物を購入すれば、仲間全員に必ず一口オファーするという不文律までありました。

 

こうした仲間意識の極めて強い社会では、決して一人ぼっちにならない心強さがある半面、「一人行動=友達がいない問題児」と見なされ、激しいバッシングの対象とされてしまうのがつらいところ。これが日本であれば「ちょっと変わった人」と好奇と憐憫の視線に晒されつつも、単独行動は許容されてしまうものですが、チリにおいてはそもそも“ぼっち”という選択肢はほとんど存在しませんでしたね。

 

■一人行動が自立と見なされる個人主義社会

 

他方、私が現在住むオーストリアはヨーロッパの国。前出ランキングのトップの国々ほどではないものの、住んでいるとやはり個人主義の特徴が散見されます。一例を挙げれば、気の置けない日本人同士では食事をシェアする機会が多いものですが、こちらでは自分の注文したものは一人で食べるのが基本。レストランやカフェで日本人観光客がよく料理をシェアする様子が見られますが、こちらの人々にとっては少々奇異に映るようです。加えて、個人行動は自立した人間の証としてポジティブに捉える傾向にあるため、様々な場面においてお一人様率が日本よりもずっと高くなっています。

 

こうしてみると日本は、欧米諸国のようにお一人様のなじむ個人主義社会でもなく、中南米のようにがんじがらめの団体行動の集団主義にもなりきれないために、望むと望まざるとに拘わらず一人行動が何となくできてしまう微妙な環境。教育現場でも「集団行動ができる=協調性が高い」、「個性が重要」と矛盾したメッセージを打ち出しがちですよね。そんなデリケートな状況がSNSの台頭と相まって、自らのアイデンティティを見失いがちになったり、現実と理想のジレンマに悩む人々が増えた結果、リア充アピール代行サービスを必然的に出現させたのかもしれませんね。

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