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アニメキャラに見る親子の関係 ――トーマスとチャギントンからの考察

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2017年04月06日 12:04  MAMApicks

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子どもがテレビを見る時の集中力には、目を見張るものがある。
あえてその状況にオノマトペをつけるなら、映像を目から“ゴクゴク”と脳へ焼き付けているとでも言おうか。この幼児期の集中力で取り入れた番組の価値観が、今後彼らに影響してしまうのだろうか。

ふとテレビを一緒に見ていて、「おやっ?」と思ったことがある。

■機関車を人間として見てみると……
鉄道好きな男の子が通る道に『きかんしゃトーマスとなかまたち』(Eテレ・以下トーマス)と『GO!GO!チャギントン』(フジテレビ・以下チャギントン)とふたつのテレビ番組があるだろう。もれなくわが家の子鉄な息子もハマっていた時期があったのだが、この2作品、似ているようで全然違っていて、私はなるべく2つを1セットにして見せていた。

ひとまず「トーマス」をさらっと説明しておく。終戦にあたる1945年にイギリスで出版された絵本を皮切りに、日本では1973年に絵本が、1990年にテレビ放映が始まり、現在でも地上波のEテレで見ることができる。私の子ども時代にも放映されていた長寿番組だ。

■トップハムハット卿は、トップダウン型
「トーマス」の主役はもちろんトーマスだが、存在感のある絶対的権力者はトップハムハット卿である。彼は、いわゆるソドー鉄道の重役や局長(時代によって表現が変わる)、つまりエラい人で、機関車たちを所有している(雇っている)ため、誰も彼に頭が上がらない。

トーマスたちがふざけてミスをすると「君のせいで混乱と遅れが生じた」といって叱責し、機関車ががんばると「役に立つ機関車だ」といって褒める。彼が機関車たちに愛情を持って接していることは分かるし、たまにお茶目なことをするのだが、機関車を私用に使用することもいとわない、「昔の偉い人って、こんな感じだったんだろうな〜」な人物だ。

「トーマス」に登場する機関車たちは、いばりんぼうだったり、まじめだったり、しっかりものだったりと多彩な性格なのだが、どうやらみんなは彼に「役に立つ機関車」と言われることが嬉しくて、それを目指しているところがある。

「え、それで?」と首をかしげる読者もいるだろうが、彼のセリフに出てくる「機関車」の部分を「人間」や「社員」と入れ替えると、違ったものが見えてくる。

トップハムハット卿「君は、役に立つ人間(社員)だな!」
トーマス「はい、ありがとうございます(嬉)!」

なまじトーマスたちが擬人化されているため、人なのか機関車なのか見立てる側によって印象は変わるのだが、いったん「トーマス=人間」だと代入してしまうと、どんな心温まるエピソードだろうが、いくらトップハムハット卿が機関車に感謝しようが、「使ってやってる側」の優越感がぬぐえない。

「息子が大好きな番組なんだけど、なんかこう……」とモヤっていた私に、ママ友はこう行った。

「トーマスたちは社畜ですよ。」

なるほど、企業経営者に気に入られたい昔ながらのサラリーマンぽくて、息子にそういう関係が普通だと認識してほしくなかったのだ。

■「チャギントン」の管制官は、お願いベース
トーマスのオリジナル絵本が出版されてから実に63年後のイギリスで生まれたのが、『GO!GO!チャギントン』だ。トーマスと同じ国で生まれているものの、時を隔てているせいか、機関車(作中ではチャガー)の人間関係(機関車関係)が今っぽい。


出てくる人間といえば修理工が主で、チャガーたちとフレンドリーな同僚シップで結ばれており、たまに市長や外国の王様なんかが登場するが、完全にゲスト扱いである。

トップハムハット卿のようにチャガーたちへ仕事を振り分けるのは、ヴィーと呼ばれる管制官で、声は女性なのだが、彼女は人間でも機関車でもなく、電信柱にスピーカーがついているビジュアルだ。

彼女がどうチャガーたちを動かしているかといえば、

ヴィー「ウィルソン、〇〇だから〇〇してくれる?」
ウィルソン「いいよ〜」

または、

ヴィー「誰か〇〇してくれない?」
ブルースター「いいよ、ボクが行くよ」

とお願いベースであり、チャガーたちを実にうまく転がしている。
また、チャガーたちはヴィーに対して基本的に敬語は使わない。

気になるところはヴィーの叱り方なのだが、新米チャガーの暴走は、ヴィーが何か言う前に、仲間や先輩がたしなめて丸く収まることが多い。「チャギントン」の世界では、新人にはメンターがつき、社会人のイロハや専門技術を教えてくれるプチ徒弟制度みたいになっていて、あくまでヴィーは全体の調整役のような位置づけである。

言い方を変えれば、各メンターがじつに寛容で、新人の長所を伸ばす指導をしているため、ヴィーの出番が少なくなっている。

私自身は会社勤務経験は浅いのだが、「チャギントン」のメンターみたいなリーダーと、ヴィーみたいな女性部長がいたら、とてもいい労働環境だろうと想像する。

■親子の関係にも通じると気づいた
さて、息子が「トーマス」と「チャギントン」にハマっていたとき、我が家では、流行りの「アドラー式育児」を取り入れようとしていた頃だった。

「子どもは親の所有物ではなく、ひとりの人間として扱う」ことを大前提に、結果ではなく過程を褒めるなどのポイントがあったかと思うのだが(すでに記憶があやしい……)、私がイメージしたのはヴィーだった。

トップハムハット卿のように上から叱る、褒めるという昔っぽい育児をするのではなくて、ヴィーのように「〜してくれる?」とか「〜した方がいいんじゃない?」などと、子どもの横にいながら少し距離をとって、なんとなく子ども自身が選択するように仕向ければいいんじゃないか。そうだ、ヴィーを目指そう!子育てにもレッツ、ライド〜!!

……と気づいたはずなのだが、現実はかなりトップハムハット卿。生活に混乱と遅れが生じているのを子どもたちのせいにして、一喝している。さすがに「役に立つ子ども」という表現はしないし、所有物だとは思っていないけど、時間と心に余裕がある時じゃないとお願いベースの表現ができず、落ち込むことが多い。

そういえばヴィーたる立ち位置にいるためには、協力的で寛容なメンターがいることが重要であった。メンター役は誰……夫?こちらもなかなか難しそうである。


【関連アーカイブ】
本場英国では想像し難い日本のトーマス&チャギントン狂想曲 〜キャラクターを「消費」する国ニッポン〜


斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。

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