■常識を、うたがう
子ども好きだし、にぎやかなほうがいいだろうし、少子化に貢献できるし、きょうだいは当然つくるものだと思っていた。出産して、仕事復帰する直前までは。
年末にライター業を再開し、1発目がたまたま大当たりして以来、依頼がイロイロ来て子どもを預けざる得なくなるくらい忙しくなって、復帰半年後に倒れた。病院で点滴をうちながらぼんやりしてたらふっと問いが降ってきた。
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「きょうだいって本当に必要?」
それから、きょうだい育児についての本を読み、何人かの人に聞き、一人っ子やきょうだいっ子の教え子の顔を思い返した。2人以上のきょうだいがいるときのメリットとデメリット、一人っ子のメリットとデメリットを取材の合間に考えた。夫と何度も話した。
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そうやって今年の夏はすぎていった。そして、息子の一歳の誕生日に結論を出した。
「私たちの家族にきょうだいは必要ない」。
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■一人っ子でもきょうだいでも
なんとなく日本の社会って、「サラリーマンの父と専業主婦の母がいて子どもは2人以上」ということがベストなしあわせモデルのように扱われている気がする。
でも私は一人っ子として生まれ、母子家庭で育ち、母は娘が生後2ヵ月から働いて、私を女手一つで大学院まで行かせてくれた。そんなじぶんを不幸だと感じたことはない。人生はつねに楽しいもんだと思いつづけて今に至っている。
きょうだいはお互い助け合いつつ切磋琢磨し合いつつ、育つことができる。つねに同世代がいるから喧嘩のしかたや人の距離のとり方も学べる。
でも、きょうだいのいない私から見たら、つねに比較し合い、比較にさらされ続け、親の愛が分散されてしまうのってしんどくないかなあ?とも思う。自己肯定感が歪みそうで。あー、あと遺産とか育児要員のとりあいとか、介護の押しつけ合いが大変そう。
一人っ子は親の愛を一身に受けるから、人生を自力で生きるために必要な自己肯定感がまちがいなく図太く育つ。ひとりであることを引き受けざる得ないから、孤独を楽しむことができる人になれる。
その反面、ほっとくとまわりが大人ばかりになりがちで同世代のつき合いが苦手になりがち。友達との喧嘩がうまくできなかったり、べったりになりすぎてしまったり。社会性を育てるために、親がかなり配慮する必要がある気がする。
一長一短なんだよね。私は社会性と自己肯定感なら、自己肯定感を選ぶ。
社会性は親の努力でどうとでもなることを知っている。けど、きょうだいで育ったことのない私には息子とその下にできる子を平等に扱える自信がない。気づかないうちにやってはいけないことをしている、というシチュエーションがいちばん怖いのだ。
ならば、と思った。
■こたえは自分の中にある
専業主婦として子育てと家事だけにがっぷり10年くらいかまけるのはよしとしない。だからといってワーママとして仕事と子育てにめまぐるしい日々もどうかと思う。
できることなら子育ても家事も仕事もバランスよく、でもちょっとあそびの余裕があるくらいで人生をやっていきたい。いいわるいじゃなくて、それが私は好きなのです。
人の数だけしあわせの形はある。結婚しないしあわせ。子どもを生まないしあわせ。きょうだいをつくらないしあわせ。しあわせの基準は世間ではなく、自分の中にある。
だから「2人目はまだなの?」ともし聞かれたら、私はこれからこう言います。
わたし、夫、息子。3人とも笑顔でいられるのは「一人っ子」。それがうちのベストな家族のカタチです。