【大人のフェイスブック講座】「マナー違反」への華麗な立ち向かい方

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2017年04月26日 16:00  citrus

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どんなふうにフェイスブックを使おうが、基本的には自由です。ただ、いろんな人との交流の場だけに、相手に不快感を与えない使い方は心がけたいところ。そのあたりはみなさん共通認識として持ってらっしゃるかと思います。それでも、うっかりなのか想像が及ばないのか、いろんな「マナー違反」に遭遇する機会は少なくありません。

 

大人として「マナー違反」にどう対処するか。ここでは3つのよくある「マナー違反」にどう華麗に立ち向かうかを考えてみましょう。

 

 

■よくある「マナー違反」トップ3(石原総研調べ)

 

その1 「面識がない相手にメッセージなしで友達申請をする」

その2 「どっかの記事を罵倒コメント付きでシェアしまくる」

その3 「人様の使い方にいちいちケチをつける(すいません)」

 

まずは、その1の「面識がない相手にメッセージなしで友達申請をする」。ツイッターのフォローぐらいのつもりなのか、ぜんぜん知らない相手から「友達リクエスト」が届くケースは少なくありません。面識がなくても気にせず承認したり、「共通の友達」の顔ぶれや人数を見て判断するというスタンスもあります。しかし、フェイスブックを「面識のある友達同士の交流の場」として使っている人は、極めて失礼な「マナー違反」と感じるでしょう。

 

しかも、そういう場と考えている人ほど基本的に善人なので、リクエストを無視することに心が痛んでしまいます。背負わされた罪悪感に折り合いをつけようと、定期的に「友達リクエストを送ってくださる方はひと言メッセージを添えてください」というお願いを投稿している人も少なくありません。たいてい、行間から秘めた怒りが漂ってきます。

 

残念ですが、これからもメッセージなしの友達申請がなくなることはないでしょう。「メッセージを送るとかえって押しつけがましいから」と、気をつかったつもりであえて送らないという都合のいい考え方もあるようです。最近は仕様が改善されたようですが、今まではメッセージを送ってもヘンなフォルダに入ってしまって気づかないケースも多かったため、「送ってもしょうがない」「承認してもらえたらもうけもの」という感覚も広まりました。

 

相手が何も考えずにポチッとしているだけなのに、こちらが負い目を感じる必要はありません。人それぞれの「マナー」が入り混じっているネット上において、もっとも大切なのは違いを気にしない「スルー力」であり、相手のやり方を「まあ、そういうのもアリかもね」と渋々ながらも認める強引な寛容さです。

 

メッセージなしの友達申請が届いたら、「ああ、この人はこういう使い方なんだな」と突き放し気味に受け止めて、さっさと忘れましょう。それでもモヤモヤするようなら、「こんな失礼な使い方しかできないなんて、かわいそうに」と勝手に同情してもかまいません。追求したいのは、一種の「災難」に費やすエネルギーをどう最小限に抑えるかです。

 

その2の「どっかの記事を罵倒コメント付きでシェアしまくる」も、本人は気持ちよさそうですが、見せられるほうにとっては迷惑でしかありません。罵倒コメントに多少なりとも芸があればまだいいんですけど、そういうことをする人が書くことは見事なまでに、どっかで聞いたような、あるいは独りよがりな内容ばかり。往々にして醜い差別意識丸出しの投稿も多くて、ニュースフィードにいきなり現われるたびに不愉快な気持ちを抱かされます。

 

「投稿を非表示」や「○○のフォローをやめる」といった機能を使う方法もなくはありません。しかし、コメントを憎んで人を憎まずで、その相手と縁を切りたいわけではないし、普通の投稿は普通に読みたいという関係性の場合もあります。また、これは私の個人的なこだわりですが、SNSも「社会」の一種である以上、たまに嫌いな人や考え方が違う人が混じっているのは当然だし、気に入らないからといって関係を一方的に切るのは大人としてちょっとズルいのではないかと思わなくもありません。

 

さっきの「勝手に同情作戦」は、この場合にも有効。「きっと嫌なことがあったんだな」「よっぽど不満がたまっているんだな」と同情すれば、「うっとうしいなあ」という気持ちをある程度は抑えることができるでしょう。もしくは、普段はその人の投稿にちょくちょく「いいね!」を押すのに、その手のシェアには一切反応しないことで、小さく留飲を下げることもできます。ま、あくまで小さくであり、相手は気づいていないでしょうけど。

 

絶対にやってはいけないのは、投稿の内容や罵倒コメントに反論してしまうこと。相手は自分の意見を変える気は毛の先ほどもないし、理路整然と議論するほどの知恵もないので、感情的に反発してくるのがオチです。派手で勇ましいやり方ではなく地味でチマチマしたやり方こそが、大人としての華麗な立ち向かい方に他なりません。

 

その3の「人様の使い方にいちいちケチをつける(すいません)」は、あらかじめ謝らせていただいていますが、この原稿もまさにそうです。きっと「やかましい!」「大きなお世話だ!」と思ってらっしゃる方も多いでしょう。日頃から「その1」や「その2」をせっせとやっていて、たとえ指摘されても何がいけないのか理解するつもりがない人はとくに。

 

冒頭で「どんなふうにフェイスブックを使おうが、基本的には自由です」と書いたように、どんな使い方をしていてもケチをつけられる筋合いはありません。ただし、ひそかに眉をひそめられていても、「あー、こういう人だったんだ……」とガッカリされていても、そこは覚悟する必要があります。「それでもいい。俺は俺だ!」と胸を張って、いっさい聞く耳を持たずに我が道を行く人もいるでしょう。あまり接点は持ちたくありませんが、きっと楽しい人生をお過ごしになるに違いありません。

 

このパターンのマナー違反に、大人としてどう立ち向かえばいいのか。目を吊り上げて「人の使い方にケチをつけるな!」と反発するのは、得策とは言えません。心に余裕がなくて扱いづらい人に見えそうだし、自分自身も余計にムカムカするだけでしょう。しかも、もしかしたら有益なアドバイスで自分の使い方が進歩するチャンスを逃してしまいます。

 

たとえカチンと来たとしても、グッと抑えて「なるほどねえ。そういう考え方もあるよね」と穏やかに返したいところ。「指摘してくれてありがとう」ぐらい言ってもかまいません。その上で、ケチの中身を冷静に考えてみて、納得できるようなら自分の使い方の参考にするのが、大人としての華麗で貪欲な立ち向かい方です。「できた人」という評価も得られるし、大人な対応ができた満足感がケチをつけられた不快感を追いやってくれるでしょう。

 

ちなみに、仕事のやり方を注意されたときも、同様の立ち向かい方がオススメです。それこそ「ケチをつけられた」と受け止めて凶暴に反発する人もいますが、注意した側としては、せっかく言ってやってるのに怒られたんじゃ割に合いません。やがて誰も何も言ってくれなくなり、成長するチャンスを失ってしまうでしょう。

 

たとえ的外れな注意や指摘だったとしても、聞き流しておけばいいだけ。注意の仕方が下手だったり言い方に角があったりする人もいますが、伊勢うどんの麺のようにふんわりと受け止めて、それこそ「ご指摘ありがとうございます」を気楽に乱発しましょう。それができるかどうかが、社会人としての運命を左右すると言っても過言ではありません。

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