「性格よりも顔で好かれたい」という26歳女子の持論に共感できるか?

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2017年04月26日 16:00  citrus

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「クリエイターと読者をつなぐ」ことを目的としているらしい電子メディア媒体『cakes』に

 

「26歳美女の意外な本音『性格より顔で好かれたい』」

 

といった、ちょっと意味深なタイトルのコラムが掲載されていた。

 

この「26歳美女」の正体は、下田美咲という名のタレントで、10代のころから(どういうかたちでなのかは不明だが)身体をはって愛と契について研究してきたヒト、なのだそう。

 

それにしても、なかなか挑発的なタイトルである。彼女が過去に寄稿したコラムのタイトルをざっとチェックしてみると、「食べ物を残す男の人が好き」「サプライズはやめて」……など、わかりやすいアンチテーゼをまず頭に持ってきて、そこから持論を展開していくタイプの書き手さんであるようだ。ネット媒体を主戦場とする文筆業者にとって、大いに有効な戦略であることは言うまでもない。

 

もちろん、いくら出会いぱなに強烈なパンチを一発お見舞いしたところで、それを裏付けるロジックがぐだぐだだったら、よくありがちな「不思議ちゃんの戯言」で終わってしまうわけだが、この「26歳美女」のロジックには、少なくとも私としては、かなり感心・共感できる部分があったので、今日はそこらへんについて、文字数の許すかぎり考えてみたい。

 

まず、彼女は「外見に比べて、性格はあまりにも不安定なもの」だと断言する。

 

性格なんて、簡単に変わってしまう。性格を好かれて付き合ったところで、付き合った後もその性格を維持できる気がしない。性格というのは「私のはコレ!」って決まったものを、家から持っていくようなものではない。

(中略)性格は、相手との関係次第ですごく変わる。たとえば、家で親と接しているときの私と、外で友達と接しているときの私は、わりと違う性格をしているし、男友達といるときの私と、恋人といるときの私では、音声も変わるし、言葉の選び方も変わる。だから、たとえば知人対応の私の性格が好かれたとしても、付き合った瞬間からそんなものは失われてしまう。知人対応の私を見て「美咲ちゃんの優しいところが好き」と言われても、付き合ったらそのままではいられない可能性は、かなり高い。

(中略)さらに言うと、恋人ならセーフなことでも、結婚相手だとNGなことというのもあって、たとえば恋人の家が汚くても気にならないけれど、結婚する予定の相手の家が汚いと、この先困る場面が出てくると思うから、相手にとって耳の痛いことを言わざるを得ない。

 

熱量を微塵も感じさせないこの冷徹な分析は、もはや「ニヒリズム」ではなく「ペシミズム」の域とも言えるが、じつに鋭い指摘だと唸らざるを得ない。さらに彼女は、相手との関係性によって常に揺れ動く「性格」よりも「外見」に安定を見いだせる理由をこう述べている。

 

(「性格」に比べて)外見は、すごく安定している。緊張しても、脚の形や胸のサイズは変わらないし、疲れていても輪郭は変わらないし、体調が悪くても目鼻立ちは変わらない。一年後に肩書きや月収が変わっている可能性はあっても、肌の色が変わっている可能性はゼロに等しい。

(中略)10年後には老化するから、今と顔も体型も変わるだろうけれど、私は同一の男性とそんな長い期間一緒にいるつもりがないので、問題がない。同一の男性と過ごす2年くらいに関しては、どの年齢の2年であれ、そんな大きな変化はない。

こういう話をすると、「事故とか火事にあって、顔に傷ができたらどうするの?」と訊かれることがあるけれど、そもそも顔に傷を負うような事故に遭ったら、性格にも影響がかなり出る。人生観もかなり変わる。顔に大ケガなどしたら、そもそも性格が暗くなる。見た目に問題が残る事故や火事は、明るい性格を奪う。事故や火事を想定すると、内面で選ばれてても破局しかねない。

 

私も、彼女とは少々アプローチこそ違うが、過度な「性格至上主義」には、けっこう若いうちから疑問を呈していたクチの人間だったりする。なぜなら、“人の性格”なんてものは「きれい好き→潔癖症」「いつでもどこでも笑顔を絶やさない→八方美人」「なんでも言うことを聞いてくれる→自分で決断ができない・自分の意思がない」「竹を割ったような→熟考力に欠ける」「おっとり→のろま」「テキパキ→せっかち」……と、解釈次第でどうにだって捉えることができるからだ。

 

では、そういう長所と短所の表裏一体性を「長所」として決定づける要素とはなんなのか? 答えは「外見」だ。“自分にとってタイプな外見”を持つ女性のすることは、どんなにのろまでも「おっとり」と感じるし、どんなに優柔不断でも「貞淑」だと許してしまう……。そして、「ドンズバな外見」とはけっこうな持続性があるもので、よほど劇的な劣化でも起こさないかぎり長期間眺めていても意外と飽きることはない。素晴らしい絵画は何時間、何度観ても素晴らしいのと同様なのかもしれない。

 

ただ、今回のこのコラムで一つだけ気にかかる“抜け落ちた部分”がある。もし、「26歳美女」が10年後・20年後……実際に老化して、今と顔も体型も変わり、言い寄ってくる男の実数が激減した場合、彼女はいったいどうするのだろう?「私は同一の男性とそんな長い期間一緒にいるつもりがないので、問題がない。同一の男性と過ごす2年くらいに関しては、どの年齢の2年であれ、そんな大きな変化はない」とは言え、需要自体がゼロになってしまったら……そんな淋しさに打ち勝つための“将来的な対処法”も、「かっこいい」からすでにかけ離れつつある50代初老男子である私に、ゼヒともレクチャーしてもらいたい。

 

※この記事の情報は2016年6月時点のものです

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