【小物王のつぶやき】文庫本はずっとモバイルガジェットだった

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2017年05月09日 23:00  citrus

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多分、あのサイズが良いのだ、文庫本は。ほぼ黄金比の長方形に、数センチの厚みのある直方体。これがモノとしてカッコいいから、机の上に置いて逆光で写真撮ったりするだけで絵になってしまう。これが新書だとマンガっぽいし、ハードカバーの単行本だと仰々しい。ペーパーバックの文庫本だからこその軽さと、そこに詰まっているであろう情報量のバランスが絵になるのだ。手に収まる感じも良いし、ポケットにだって入る。無印良品の「文庫本ノート」も、筑摩書房の「文庫手帳」も、「ほぼ日手帳」も、文庫サイズだから売れているのだと言っても過言ではない。

一方で、文庫本は書籍である。子供の頃の私にとって、文庫本は唯一お小遣いで買える大人の本だったし、それは、今の中高生にとっても事情は変わらない。単行本の価格では、学生は中々手が出せないのだ。といっても、文庫本も高くなった。時々、価格を見て慌てて書棚に戻すことだってある。上下巻で2000円越すのも当たり前になってきた。ウンベルト・エーコの「バウドリーノ」なんて、多分、今買っておかないと、あっという間に品切れになって、古書価格が上がってしまうのは目に見えているから(そして、だからといって買い占めたところで、買う人は限られているから転売商売にもならないという)今すぐ買うのが正解なのだけど、岩波文庫で約2000円というのは何だか大きい。いや、実はカバーが二重になっていたりして力が入ってるし、そもそも文庫で出してくれただけでも有り難いのだから、素直に買えばいいのだけれど、「文庫は安いもの」という頭が邪魔をする。200円あれば選り取り見取りだった岩波文庫が生意気にツヤツヤした紙のカバーを纏いやがって、とか、理不尽なことまで考えたり。

いや、もちろん、欲しい本は見つけたその場で買わないと、もう二度と出会えないかも知れないの法則は、長く生きてると身にしみて分かっている。平積みの新刊本だからって安心してはいけないことも知っている。特に文庫本は値が上がる。単行本は安くても文庫本は手が届かない価格になることなんて当たり前にあるのだ。それは、通常、文庫本の方が単行本よりも後で出るため、内容が訂正されていたり増補されていたり書き下ろしの追加分があったりするから、というのもあるが、やはり、モノとしての魅力が単行本よりも上なのだろう。もちろん、とてつもなく美しい単行本というのは世の中には結構あって、そういう例外は別として、量産品としての本は、それに希少価値が付くと文庫本の方が値が上がることが多いのだ。私も、どっちと言われたら文庫本を選んでしまう。本好きは常に本の置き場に困っているし、本好きでない場合、好きでもないのに大きな本は持ちたくないだろうしで、結局、小さい文庫本に人気が集まるということもあるだろう。でも、やはり、文庫本のたたずまいの魅力というのは確かにある。

文庫本ノートを出している無印良品が、ついに自社製作の文庫本を発売した、その最初の三冊は「花森安治」「柳宗悦」「小津安二郎」だ。「人と物」をテーマにした三冊は、その内容も佇まいも無印良品の製品で、あまり「本」という感じがしない。でも「文庫本」なら、それが許されてしまうような気がするのだ。元々文庫本は、長く読まれるだけの価値がある本を残すために作られたもので、文庫になればそうそう絶版にならない、といった「文庫本」そのものの出自なんて、昭和の昔に既に失われているわけで、今や、モバイルツールの一つとしての価値の方が高いくらいなのだ。電源もアプリもなしで文章が読めてしまうという、ハードウェアとソフトウェア一体型のモバイルツール、しかもちょっとカッコいい、というのが、今の文庫本の位置づけではないだろうか。そう思えば、カッコいい方が良いし、最近の厚い本はどんどん分冊するのも理解できる。ラノベ好きの子供が、iPad持ってても、ラノベは文庫で買って家の本棚に並べているのも、それがカッコいいからなのだ。何となく、本の意味や位置付けが変わってきたような気もするけれど、文庫本に関して、少なくともここ40年は、ずっと、モバイル雑貨として愛されているのだと思う。スマホがなかった昔、スマホの代わりだったのは文庫本だ。ブックカバーの多くは文庫本サイズだというのも、そういうことなのだ。
 

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