ウディ・アレンは新たなステップを踏み出したーー『カフェ・ソサエティ』が描く現実的な恋物語

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2017年05月24日 10:03  リアルサウンド

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『カフェ・ソサエティ』(c)2016 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.

 日本では“オシャレなミニシアター映画”の代表として、90年代ごろから人気が高騰してきたウディ・アレン作品。現在公開中の『カフェ・ソサエティ』もまた、きらびやかな衣装と美術、30年代アメリカのショウビズ界というアイコンを駆使して展開されるビターな恋模様で、彼の作品のファンならずとも魅了する。


参考:ジェシー・アイゼンバーグが「人生は喜劇だよ」と語る姿も 『カフェ・ソサエティ』予告編


 スタンダップ・コメディアンとしてキャリアを確立したアレンのフィルモグラフィーは、その多様さに敬服させられてばかりだ。一貫していることは、ダイアログに重点を置き、キャストの魅力を隈なく引き出していくこと。だからこそ、アカデミー脚本賞受賞3回(候補16回)、彼の作品からの演技賞受賞7回(候補18回)という素晴らしい記録が生まれているのだ。


 そして何より、舞台となる街への愛情が、作品全体から滲み出ていることも忘れてはならない。今回の『カフェ・ソサエティ』で舞台となるのは映画の都・ハリウッドと、アレンの本拠地でもあるニューヨークだ。


■ニューヨークとウディ・アレン
 “ニューヨーク映画の巨匠”として、これまでニューヨークを舞台にした作品にこだわり続けてきたアレンだが、ここ数年はその傾向を自ら崩していた。2005年の『マッチポイント』に始まるロンドン3部作、バルセロナを舞台にした『それでも恋するバルセロナ』を経て、一度『人生万歳!』でニューヨークに帰ってくるも、大ヒット作『ミッドナイト・イン・パリ』や、『ローマでアモーレ』と再びヨーロッパを巡り、前作の『教授のおかしな妄想殺人』ではニューヨークのお隣、ロードアイランドを舞台に選んだ。


 しかし、やはりアレンの作風はニューヨークでこそ映える。80年代後半から90年代前半(個人的には“ミア・ファロー期”と呼んでいる期間の終盤)にかけて彼が手がけた、ダークで陰鬱な作品はどれも、大都市ニューヨークの片隅で生きる中流階級の人々の孤独を描き出した、まさに寒冷地ニューヨークを象徴したような冷ややかな作品であったわけだ。


 2001年、同時多発テロの直後に発表した短編作品に『Sound From a Town I Love』という作品がある。マディソン・スクエア・ガーデンで行われたコンサート映像を収録したドキュメンタリー内に登場する同作は、ニューヨークの街を生きる人種も年齢も性別もバラバラな人々が、それぞれ携帯電話で喋りながら街を闊歩する様子を映し続けた3分間の短編だ。ニューヨーカーの抱える孤独と不安が、誰かとの会話で満たされていき、最後は「I Love This Town」との短い言葉で締める。まさに彼にしか描けない“ニューヨーク、アイ・ラブ・ユー”なのである。


■ハリウッドとウディ・アレン
 『カフェ・ソサエティ』の序盤、仕事を求めてジェシー・アイゼンバーグがニューヨークからハリウッドに渡ってくる。90年代中盤からショウビズ界を描いた作品を多く手がけ、2002年に『さよなら、さよならハリウッド』と題した映画を作ったアレンだが、意外なことにハリウッドが正式な舞台となるのは今回が初めて。大きく見て西海岸が舞台になるのも、『ブルージャスミン』以来のことだ。


 このハリウッドで、クリステン・スチュワートと出会い恋に落ちる主人公。もちろんロマンティック映画として、メインカップルの出会いと別れというのは必要不可欠な場面であるが、アレン流ロマンティック映画の本質は、後半のニューヨークの場面でこそ発揮される。それについては後述することにしよう。


 では、この前半のシークエンスの意義はどこにあったのか。1930年代といえば、ハリウッド映画の黄金期と呼ばれる時代だ。1935年に生まれたアレンは、家庭環境から逃れるために映画と音楽に没頭していたという。つまり本作では、少年時代のウディ・アレンが夢見た世界が描かれているのだ。劇中には数多くの30年代映画界の人物の名前が登場し、ジャック・コンウェイの『結婚クーデター』や、ジョージ・スティーブンスの『有頂天時代』が登場するなど、当時を象徴する映画の華やかさがこれ見よがしに映し出されていく。いわば、アレンの愛する芸術全体へのオマージュを捧げた『ミッドナイト・イン・パリ』と双璧をなす、アレン自身のルーツへの回帰なのだ。


■セルフオマージュとウディ・アレン
 初期の頃は政治的な皮肉をたっぷり込めたナンセンスなコメディに始まり、ロマンティック・コメディから、哲学的なヒューマンミステリー、ショウビズ界の人間模様、そしてヨーロッパの街の群像劇と、一定のスパンで同じようなタイプの作品を連続して生み出すのがウディ・アレンという作家の特徴だ。


 それゆえ、彼の作品に「セルフオマージュ」という言葉は何だか似合わない。常にセルフオマージュを行なっているようにも見える一方で、それぞれまったく異なるテイストの作品を生み出していると見ることもできるのだ。しかしながら、『カフェ・ソサエティ』終盤のニューヨークのシークエンスは、意外なほどにセルフオマージュが溢れていた。


 ニューヨークでマフィアの兄(ショウビズとマフィアの癒着というのも、『ブロードウェイと銃弾』を連想させられる)から引き継いだナイトクラブで成功を遂げるジェシー・アイゼンバーグが、クリステン・スチュワートと再会する一幕。ここには70年代後半の代表作へのオマージュが感じられる。明け方のセントラルパークの光景や、マンハッタン橋のショットは『マンハッタン』そのもの。そして、ここで紡がれる二人の物語は、『アニー・ホール』を想起せずにはいられない、ほろ苦い展開なのだ。


 ロマンティック・コメディというジャンルにおいて、ふたりの男女が結ばれるということだけが必ずしもハッピーエンドではない。映画らしい夢とファンタジーに溢れた物語の中でも、恋物語だけは常に現実的な視点を崩さない。それがウディ・アレンの持ち味であり、彼の紡ぐラブストーリーの本質なのである。


■初めてのデジタル撮影とウディ・アレン
 ウディ・アレンにとって本作はあらゆる“初めて”が詰まった作品となった。『地獄の黙示録』などで知られる名カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロとの初コンビに、初めてのデジタル撮影。もちろんストラーロが編み出した“ユニヴィジウム”と呼ばれる2:1の画面で構図を組み立てることも初めてで、今まで2000万ドルにすら達してこなかった制作費が初めて3000万ドルとなったのだ。(それでも彼の映画が低予算映画のラインを守り続けていることには変わりはない)


 毎回豪華キャストが勢ぞろいするが、俳優組合が定める最低賃金レベルのギャラしか支払わないことを条件にしていることは周知の事実だ。それでもオスカー俳優ケイト・ブランシェットやコリン・ファース、マリオン・コティヤール、先日オスカーに輝いたエマ・ストーンをはじめ、名実ともにトップクラスの俳優が出演を熱望している。今回も将来性の高いジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートのふたりが、人気作『アドベンチャーランドへようこそ』以来の再共演を果たしたのである。


 多くの映画がキャストのネームバリューに比例して、キャスト費の占める割合が上がっていく中で、一定のキャスト費を維持し続ける彼の作品が、異例ともいえる3000万ドルの制作費になった原因はどこにあったのか。ストラーロへのギャラか、はたまたハリウッドとニューヨークの二箇所を舞台にしたことにあったのか。


 どうやら初めは1800万ドルで予算が組まれていたようで、完成の時点で1200万ドルが追加されたと聞く。ということは、デジタル撮影によって、これまで築き上げた彼のリズムが少なからず崩れて現場費がかかったり、編集のプロセスへの手間がかかったりしたのでは、と推測される。デジタル化が進んだことによって映画が安価で作られるようになった昨今では、なんとも皮肉な結果だろう。


■ウディ・アレンの後継、ジェシー・アイゼンバーグ
 現在81歳を迎えたウディ・アレン。かつては自ら主演を務めていた彼だが、主演作と呼べるものは前述の『さよなら、さよならハリウッド』以来なく、出演した作品も『僕のニューヨークライフ』、『タロットカード殺人事件』、『ローマでアモーレ』とめっきり少なくなった。先日のインタビューで彼は、年を取ったことで選択肢が狭まり、恋物語の主人公になることができないと語っているのである。(引用:“俳優”としての今後にも言及 『カフェ・ソサエティ』ウディ・アレンのコメント公開)


 ファンからしてみれば実に寂しい話ではあるが、彼の代わりを務める俳優が着実に登場し始めている。たとえば『ミッドナイト・イン・パリ』のオーウェン・ウィルソンであったり、『人生万歳!』のラリー・デヴィッド(もっとも、彼も70歳なのでなかなか難しいところではあるだろうが)、そして『ローマでアモーレ』と本作のジェシー・アイゼンバーグだ。


 アイゼンバーグといえば、出世作『ソーシャル・ネットワーク』で見せた神経質な早口芝居に加え、自信たっぷりのドヤ顔と頼りなさげな雰囲気のギャップ。まさにアレンの後継に相応しいのではないだろうか。しかも彼は、ユダヤ系の家に生まれた生粋のニューヨーカー。ますますアレンとの再タッグを期待したくなってきた。


 しかも彼は現在初監督の撮影の真っ只中だと報じられている。彼自身が執筆した短編小説『Bream Gives Me Hiccups』のテレビシリーズ化で、主演には『教授のおかしな妄想殺人』と本作でアレン作品に出演しているパーカー・ポージーの名前が挙がっているという。もしかすると今後映画界に進出するのではなかろうか。


■ウディ・アレンはどこへ向かうのか
 しかし、出演作が少なくなったアレンでも、現在Amazonプライムビデオで配信されている初のテレビシリーズ『ウディ・アレンの6つの危ない物語』では主演を務め、『おいしい生活』で一度だけアレン作品に出演した経験を持つエレイン・メイと息の合った夫婦役を演じている。


 また、50年代のニューヨークを舞台にした新作『Wonder Wheel』は、いつも夏に新作を発表するアレンにしては少し遅めの、9月全米公開が予定されている。ケイト・ウィンスレットとジャスティン・ティンバーレイクの共演と、ほとんどのキャストがアレンと初タッグとなるわけだが、公開時期的には久々の賞レース参戦の可能性も非常に高いと噂されているほどだ。


 1982年から、毎年欠かさず新作を発表し続け、短編やテレビシリーズを含めれば、すでに50本を超える作品を生み出しているアレン。ちょうど50本目となる節目の『カフェ・ソサエティ』を契機に、新たな撮影方法やテレビシリーズへの進出など、ニューステップに踏み出した彼は、もはやニューヨークに留まらず、世界の映画界に欠かせない人物となっていることは言うまでもない。


■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。


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