『ブルーバレンタイン』から『光をくれた人』へーー シアンフランス監督が語る「映画で夫婦を描き続ける理由」

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2017年05月25日 20:03  リアルサウンド

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 デレク・シアンフランス監督にとって新作『光をくれた人』は、初の原作もの、初の時代もの、初のアメリカ以外を舞台にした作品(舞台は20世紀前半のオーストラリアの孤島)と初めて尽くし作品となった。しかし、これまでの『ブルーバレンタイン』、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』といった作品同様、そこで描かれているのはシアンフランスにとって不変のテーマともいえる「夫婦という人間関係の困難さ」だ。


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 『光をくれた人』を観てハッとさせられるのは、これまでリアリズムを追求しているように見えたこの映画作家の作品が持っている「メロドラマ性」、言葉を換えるなら「大衆性」だ。その根底には、きっとシアンフランスの人としての驚くほどの実直さ、率直さがあるのだろう。夫婦関係が壊れていく様を過酷に描いた『ブルーバレンタイン』があれほど強烈に観客をノックアウトしたのも、そんなシアンフランスのどんなつらいことにも目をそらさない真っ直ぐな視線だったのではないか。


 今回実現した監督とのこの独占インタビューでも、シアンフランスはその実直さ、率直さを存分に発揮してくれている。新作『光をくれた人』、そして『ブルーバレンタイン』に込められたパーソナルな思い、そして、まだ海外のどのメディアでも語られていない/載ってない「4本」の新作についての話などなど。ライアン・ゴズリング、ブラッドリー・クーパー、そして『光をくれた人』のマイケル・ファスベンダー、そんな実力と人気を兼ね備えた当代きってのスター・アクターたちを魅了し続けている「特別な映画作家」の実像に迫った。(宇野維正)


■「僕の映画の中の夫婦関係のベースには、幼い頃から見てきた両親の姿がある


——あなたの2011年の監督作品『ブルーバレンタイン』は日本の映画ファンの間でもとても大きな話題になって、劇場で公開された後もとても多くの人に観られています。


デレク・シアンフランス(以下、シアンフランス):それはとても光栄だね(笑)。


——その『ブルーバレンタイン』では夫婦間の絶望的なすれ違い描いていましたが、今回の『光をくれた人』は、それとはまったく違った方向からまた夫婦関係に光を当てている作品ですよね。その間に発表された『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』でも、夫婦ではないですが、ライアン・ゴズリングとエヴァ・メンデスとその間の子供の3人の関係がとてもエモーショナルに描かれていました。あなたの作品において、「夫婦関係」というモチーフがとても大きな位置を占めているように思うのですが、それはどうしてなのでしょうか?


シアンフランス:僕が自分の映画の中で描く夫婦関係のベースには、幼い頃から見てきた両親の姿があるんだ。僕は子供の頃からずっと父親と母親の関係を観察してきた。一番近い距離からね。だから、僕の映画の中で描かれる「夫婦関係」は、どの作品でも誰かの“肩越し”から見たような距離とアングルで描かれているんだよ。それは、子供の頃に車の後部座席から運転席の父親と助手席の母親の姿をずっと眺めていた感覚にとても近い。二人の関係は次第にうまくいかなくなり、結局僕が20歳の時に離婚をしてしまった。だけど、父親と母親のことは今でも心から愛しているよ。『ブルーバレンタイン』は、その両親の離婚からアイデアを得た作品だったんだ。異性と関係を築いていく時、僕たちは個人として最初は出会うのに、ある時期から突然二人で一つの存在、つまりペアとなる。僕らは結婚することで、それ以前は一人前の人間だったのに、半人前の人間のような気分になってしまうことがある。『ブルーバレンタイン』では、もう一度一人前の人間に戻りたいという切望、衝動を描いた。結婚相手や、その相手との関係性によって評価をされる人間ではなくてね。


——あなた自身も、結婚したことで同じようなことを感じることがある?


シアンフランス:それは毎日感じているよ。自分が結婚をして、子供ができて、誰かの夫となり父親となったことで、昔の両親の気持ちが痛いほどわかるようになった。僕にとって、妻と子供に対する愛情は人生のすべてだけど、だからといっていつもハッピーというわけではない。当然のように、数々の問題に直面してきた。その都度、僕は必死にその関係を守って、なんとか乗り切っているよ。だからこうして自分の作品の中で繰り返し夫婦関係を取り上げるんだろうね。周りを見渡してみても、二人の人間が夫婦として一つになった時に起こる化学反応には、本当に数えきれないほどのパターンがある。それは僕を決して飽きさせないんだ。


■「『光をくれた人』は、極端なことを言うと妻のために作った作品」


——『ブルーバレンタイン』の夫婦と『光をくれた人』の夫婦の違い、そして共通点はどこにあるとお考えですか?


シアンフランス:表面的には全然違うように見えるよね。


——そうですね。


シアンフランス:『光をくれた人』のトム(マイケル・ファスベンダー)とイザベル(アリシア・ヴィキャンデル)は、『ブルーバレンタイン』のディーン(ライアン・ゴズリング)とシンディ(ミシェル・ウィリアムズ)とまったく違うカップルだけど、あえて比較するなら、ディーンはイザベルと似ていて、シンディはトムに似ているかもしれない。ディーンとシンディも、トムとイザベルも、塩とコショウのような関係で、相手がいるからこそ引き立つんだ。ある時点まではね(笑)。


——ある意味で、夫婦の「現実」と「理想」の違いのようにも見えますが。


シアンフランス:今回の『光をくれた人』は、極端なことを言うと妻のために作った作品なんだ。誰かを狂おしいほどに好きになって一緒になっても、僕らは子供が生まれると育児にすべての時間と労力と愛情を注ぐようになる。そして子供が成長して家を出ていった瞬間、お互いについて何もわかっていないことに気づく。そういうことってすごく多いと思うんだ。自分の両親がそうだったようにね。たまに妻とディナーに出かけたりすると、年配のカップルが会話もなく食事をしているのをよく見かける。彼らは、それまで子育てという共通のテーマについてばかり話してきたから、子供が独立してしまってから話題がなくなっているんだ。それって、とても哀しいことだよね。だから、僕は今回の『光をくれた人』で、夫婦間の愛情は子供の存在を乗り越えられるかどうかを追究したかった。今でもよく考えるんだ。僕という「ストレスのもと」がなければ、自分の両親は離婚せずに済んだのだろうかって。それでも、僕は今の妻と死ぬまで一緒にいたいと思っている。『光をくれた人』を撮ることで、僕は妻に『いつまでも一緒にいてほしい』というメッセージを届けたかったんだ。


——せっかくの機会なので、実人生からの影響だけでなく、あなたの作品に影響を及ぼした映画作家についても教えてもらえますか?


シアンフランス:コロラド州で過ごしていた10代の頃、自分の部屋のベッドの上に貼っていたのは、常にマーティン・スコセッシの作品のポスターだった。同級生の友だちは、みんなランボルギーニに乗っているビキニ姿の女の子のポスターを眺めていたけど、僕はスコセッシの作品のポスターを眺めていたんだ。だから、幼い頃からずっと敬愛している映画作家といえばスコセッシだね。彼から映画を学んで、そこからいろんな方向へと興味が広がっていった。彼を通してジョン・カサヴェテスを知り、カサヴェテスを通してエレイン・メイを知って、エレイン・メイからマイク・ニコルズを知った。そうやって延々と続いていった感じだね。まだ1980年代だったからVHSテープをひたすら見ていたんだ。昔から本を読むのが苦手だったから、あまり小説とかは読まずに、映画ばかり繰り返し観て研究していた。映画だったらいつまでも観ていられるよ。だから、影響を受けた監督を挙げていったらきりがないな。でも、同時代の監督ですぐに頭に思い浮かぶのは北野武だ。特に『HANA-BI』は僕の人生を変えた一本だった。


——今回の『光をくれた人』は、あなたにとって初めての小説の映画化作品ですが、本を読むのは苦手なんですね。


シアンフランス:大好きな作家もたくさんいるよ。でも、脳の構造が原因なのか、僕は本を読むのにすごく時間がかかるんだ。映画監督になった理由の一つもそこにあると思う。6歳の頃から映像を撮っていたんだけど、もし本を読むのが好きだったら小説を書いていたかもしれない。自分が他人とコミュニケーションを取るには、文字よりも映像の方がいいって早くから気づいた。自分にとって映像表現は、自分の経験を伝えて、世の中を理解するための唯一の手段だったんだ。


——『光をくれた人』は初の原作ものであるだけでなく、舞台はオーストラリアの孤島、時代背景は20世紀の初期と、これまで現代のアメリカが舞台設定の作品ばかり作ってきたあなたにとって数々のチャレンジが刻まれた作品になっています。そこには、自身の作風を広げてみたいという思いがあったのでしょうか?


シアンフランス:その通り。映画監督、そしてアーティストとして、同じことを繰り返したくはないという思いが強くある。アーティストの最も大切な役割は、人々がこれまでに見たことないようなイメージを創り出すことだからね。「自分は同じことを繰り返していないか?」ということを、いつも自問自答してなきゃいけないと思っている。それと、僕はジョン・カサヴェテスやエレイン・メイやマイク・ニコルズの作品に傾倒しながら、昔からハリウッドの古典的なメロドラマにもずっと特別な感情を抱いてきたんだ。ダグラス・サーク、マイケル・パウエル、デヴィッド・リーンらの作品からは、カサヴェテスの作品とはまた違った点で、とても大きな影響を受けていると思う。今回の原作を初めて読んだ時、リアリストの僕がどうやってこの壮大なストーリーを描くべきか正直迷ったし、作品の時代設定が現代から離れるのも心配だった。「1920年代のニュージーランドやオーストラリアについて、僕が一体何を知っていると言うんだ?」と。でも、しばらくして、この物語はどこでも成立するものだってことに気づいたんだ。エデンの園のような原始的な場所に暮らす夫婦としてね。だから、その方向に向かって自信をもって踏み出すことができた。


■「テレビシリーズを含めて4つの大きなプロジェクトが同時に進んでいる」


——あなたのように登場人物の人間性をじっくりと描きこむタイプの作家にとって、作品の尺に制限が比較的ないテレビシリーズの方が、映画よりも魅力的だったりはしないのでしょうか? それでも長編映画にこだわる理由があるとしたら、それは何なのか教えてもらえますか?


シアンフランス:今の僕にとっての最大の悩みを、ズバリ言い当ててくれたね(笑)。まさに今、自分は映画作家として大きな岐路に立っている。最初にはっきり言っておくと、僕は映画館の大スクリーンが好きで、そこで自分の作品が上映されることを諦めることはないよ。僕にとって映画館というのは、ある人にとっての教会のように特別な場所だからね。ただ、これは事実として、過去の2作品において僕が抱いていた野望は、映画という枠を超えてしまっていたんだ。『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』は、映画の尺に収めるために1時間10分の映像をカットしなければいけなかった。『光をくれた人』も長編映画のフォーマットにするために、第3幕だけで45シーンもカットしなければいけなかった。最近の映画の傾向に、僕は少し違和感を抱いている。長い尺の映画はスーパーヒーローものやフランチャイズものだけに許されていて、人間ドラマの大作を作りたくても、それを劇場で上映してもらうことがどんどん難しくなっているんだ。


——ということは、今後はテレビシリーズに進出することもあり得ると?


シアンフランス:実はもう、二つのテレビシリーズに取りかかっているんだ。一つは尺が12時間ある映画で、もう一つは尺が6時間の映画。僕としては、テレビシリーズに参入するというより、思い通りの尺の映画を撮れる機会を得たと考えている。最近のテレビシリーズの素晴らしい点は、過去の映画界で採用されていたような壮大なアイデアを、ちゃんと実現するだけのキャパシティがあるところだ。映画では、タイツやマント姿の登場人物が派手に振る舞っていないと、なかなか実現しないようなアイデアがね。その一方で、現在製作途中の映画もある。でも膨大な量を撮っていて、編集室に入って作品を去勢したくないから完成を先延ばしにしているんだ。もう一つ、数パートに分かれた大作映画のアイデアもあるんだけど、これはまだデベロップメント中といったところだね。


——もし可能でしたら、具体的に作品名を教えてもらえますか?


シアンフランス:19世紀のアメリカを舞台にコマンチェ族の戦いを描く“Empire of the Summer Moon”、ピエロについて妻と脚本を書いた“A Cotton Candy Autopsy”、ワリー・ラムの原作を映像化した“I Know This Much Is True”、この作品にはマーク・ラファロの出演が決まっている。それと、10年前からずっと作りたかった“Muscle”という作品のプロジェクトがあって、これがやっと実現できそうなんだ。だから、テレビシリーズを含めて4つの大きなプロジェクトが同時に進んでいる。


——うわぁ、大変ですね(笑)。


シアンフランス:どうなるか、まだわからないところもあるんだけどね。どの作品を最初に完成させることができるか、まるでレースみたいな感じだよ(笑)。(宇野維正)


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