【なぜ冨樫義博は『HUNTER×HUNTER』34巻で自ら作品解説を行ったか?の画像・動画をすべて見る】
それは約1年ぶりの新刊だから、ということではありません。巻末に冨樫義博さん本人による「クロロvsヒソカ」の解説が掲載されていたからです。
冨樫先生にそこまで明るくない読者の方は「?」と思うかもしれません。同じジャンプ作品の『ONE PIECE』であれば、読者投稿コーナー「SBS」で、尾田栄一郎さんが作品背景や今後の展開も答えていたりしますから。
しかし、少なくとも筆者の知る限り、冨樫先生が作品の先の展開に対する言及を行ったことはありません。
それだけに、連載中の作品に対して、それも弱音とも受け取れるようなコメントが収録されたことは、コアなファンにとって大きな衝撃があったことは強調して記しておきます。
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すべてこじつけのような予想でしかないですが、「あり得るかも」なんて思えたら、さらに『ハンターハンター』を楽しめるんじゃないでしょうか。
『ハンターハンター』冨樫先生の解説には何が記されていたのか
まず単行本未読の方に向けて、冨樫先生からのコメントがどのようなものだったのかを、要約してお伝えします。
・「クロロvsヒソカ」でやりたいことがいくつかあった。
・ひとつは「対決そのもの」。両者を勃たせながら(原文ママ)、100%勝つと宣言したクロロを勝たせること。
・一番やりたかったことは「旅団の誰かを(ヒソカに)殺させること」。
・ストーリーづくりにおいて、冨樫先生なりのマニュアルはあるが、最終的な判断は「勘」であること。
ここで重要なのは、ヒソカが殺害する旅団のメンバーを「勘」で決めたことでしょう。
しかし「解説の解説」に入るその前に、もうひとつ前提として共有したい「クロロvsヒソカ」戦のストーリーがあります。
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仮説1:ヒソカは嵌められたのか?
「クロロvsヒソカ」戦は、読者にとって連載初期から待ちに待ったバトルであったと同時に、『ハンターハンター』の魅力が惜しみなく注ぎ込まれた超ハイコンテクストな激闘でした。
クロロの持つ「盗賊の極意」(スキルハンター)は、他者の念能力を奪うという性質を持っており、「番いの破壊者」(サンアンドムーン)、「人間の証明」(オーダースタンプ)という能力に加え、自身の率いる旅団メンバーの「携帯する他人の運命」(ブラックボイス)、「神の左手悪魔の右手」(ギャラリーフェイク)も持ち込んだ万全の体制。
それらをスキルハンターに付随する「栞のテーマ」(ダブルフェイス)で、コンボさせながら確実にヒソカを追い詰めました。
ここで、能力の解説を一からすることはしませんが、結論から言うと「クロロvsヒソカ」戦は、「盗んだ念を駆使しているように見えるけど、実は観客に旅団メンバーが紛れて援護してる」という可能性が非常に高いということが読み取れます。
その考察の裏付けは下記の記事を読んでいただきたいのですが、試合中のヒソカの疑問にも符合しますし、クロロの使用した能力を持つ旅団メンバーが会場にいる理由を考えれば十分ではないでしょうか?
しかし、その重層的な情報量と複雑さによって、一読しただけでは「旅団vsヒソカ」戦の詳細を理解することは困難を極めます。正直、ガチファンを自称する筆者ですら、ぶっ飛ばしすぎてると思います。
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仮説2:冨樫先生、あとがきコメントは担当編集の良心?
繰り返しとなりますが、そもそも「冨樫先生のあとがきが単行本に載ったこと」自体が、ファンにとっての驚きでした。
ですので、ここでは「なぜあとがきが載ったのか?」を考えたいと思います。
筆者自身も編集という職業ですので、作者と読者の関係を良好にしながら、作品を伝える方法を考えることはよくあります。つまり作品を開くこと。解説です。
余談ですが、筆者自身もラッパーのハハノシキュウさんに書いていただいた「『クロロvsヒソカ』がMCバトルだったら」という短編小説が、あまりに面白くも唐突すぎたため、冒頭に解説を依頼したこともあります。
話が逸れてしまいましたが、「冨樫先生の解説が載っている」ことに対して、ここまでテキストを書いてきた筆者ですら「ぶっ飛ばしすぎてる」と感じた「クロロvsヒソカ」戦に対して、担当編集者が何も感じないわけが無い、ということを伝えたいのです。
上述の通り、ミスリードに溢れ、あまりにもハイコンテクストだった「クロロvsヒソカ」戦。
仮に筆者が冨樫先生の担当編集者だとすれば、冨樫先生本人から「あれは旅団vsヒソカだった」というコメントが欲しいと考えます。
そうすることで、より多くの読者が、より深く『ハンターハンター』を読み解くきっかけとなりますし、なによりただでさえ完全に理解することの難しい複雑なバトルに裏の駆け引きまで詰まっていると、今後、読者がついて来れなくなる可能性も懸念されます。
つまり巻末のコメントが掲載された理由は、端的に言えば「担当者からの指示」で間違いないでしょう。しかし、あの鬼才・冨樫義博が担当編集者の言うことなんて聞くでしょうか?
そう。書かれたあとがきは、担当者の期待する内容とはあまりにかけ離れた内容だったのです。
「クロロvsヒソカ」の解説、ではあるけれど
ここからは、「旅団vsヒソカ」および、「解説は担当編集者からの指示」という前提のもと、さらに考察を続けます。
数々の伏線が張り巡らされた『ハンターハンター』において、作者が解説をすることはひとえにタブーと言っても過言ではありません。
「『クロロvsヒソカ』戦の解説がほしい」という編集者の思いを知ってかしらずか、冨樫先生が出したコメントは、内心の吐露でした。
冨樫先生は過去のインタビューなどでも語っている通り、ストーリーをネームにする前にキャラの掛け合いをさながら漫才のように書き出していくそうです。そうして複数の論理展開をぶつけさせた上で、最後に主人公が解を出す。
また、作品に描かれない部分でも、そのキャラクターが「本当にその行動をとるのか」と検証する作業もされていると話します。
作品における理不尽さをなくすことが目的だそうですが、それはキャラクター至上主義であるとも解釈できます。
現在もWeb上で読める石田スイさんとの対談では「キャラクターをコントロールできていない時の方が、漫画は面白くなりますよね」と語る姿もあり、このメソッドこそが冨樫先生の真骨頂であると言えるでしょう。
そんな冨樫先生が、巻末の解説において「ヒソカはあの場でマチを殺したがっていたのですが、僕が却下してしまいました」と記しました。
筆者も読者として、「旅団全員、逢ったらその場で殺す」と天空闘技場での復讐に燃えるヒソカが、目の前のマチを生かしたことは、物語の都合上、メッセンジャーの役割が必要だったとはいえ、疑問が残りました。
「楽しみながら戦う」ことから「必ず旅団を殺す」ことに目的が変わったヒソカにとって、メッセンジャーの存在は邪魔でしかないからです。
つまり、「ヒソカがマチを生かす」という一件不条理な選択は、冨樫先生の物語制作のメソッドを覆して行ったものだったとすら考えられます。
もちろん制作のメソッド自体が、すべてに当てはまらない可能性もありますが、冨樫先生が最後に記した「後悔しないといいなぁ……」というコメントの理由はそこにある気がしてなりません。
──この記事はあくまで仮説に基づく妄想であり、確定的な情報はありませんが、長年の読者として感じた違和感に想像を張り巡らせてみました。
連載も再開した『ハンターハンター』。未踏の地へ向けた冒険は、より一層、考察の余地を膨らませてくれることでしょう。長くなりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。冨樫先生は最高! 天才!