■参加型演出に困惑する人も…
「彼女のイメージはいつも笑顔。だから棺に納められた彼女の顔を見るのは抵抗がありました」と語るのは友人Aさん。聞けばその時の葬儀は、棺が会場の中央に置かれ、その周りを囲むように椅子が配置されている「ビューイング葬」。棺は窓ではなく蓋の上半分が大きく開くタイプのもので、故人の顔がよく見えるようになっていたそう。「周囲には花が飾られ、美しく装飾されているものの何となく違和感をおぼえました」。
故人と対面することは、死の現実を受け入れ、感情を表出する大切なプロセスだといわれています。ビューイングはアメリカで行われているメモリアルサービスのひとつですが、それを日本でも取り入れる葬儀社が出てきました。「棺の中の彼女はとても綺麗でした。だから対面したからといって印象が大きく変わることはありません。しかし半ば強制的に見せられるのには抵抗がありました。まるで見世物みたいで……」と友人Aさんは語ります。
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親戚の葬儀を終えたばかりのBさんは、「もう何年も会っていない叔父の葬儀では湯かんが行われたのですが、スタッフからスポンジを手渡されて手や足の先を擦るように促されました。生前の姿もよく覚えていないし、参加してくれと言われても……。ちょっと複雑でしたね」とその時の様子を語ります。
その他にも「涙を誘うようなわざとらしい葬儀の司会で場がシラケた」「献灯をしてくださいとスティック状のトーチ(点火棒)を渡されたが、やり方がわからなかった」と意図しない演出で戸惑ったという声もしばしば耳にします。
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こういった演出は、家族や参列者に喜ばれることもありますが、一方で葬儀社の自己満足的な部分も少なからずあるのでは、と批判の的になることもあります。葬儀は結婚式とは違う、厳粛なものでイベント化するべきではないという意見はもっともでしょう。
■葬儀にも「個性化」の波
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そもそも現代の葬儀は、それぞれの地域の慣習がベースとなって宗教儀礼と融合したもの。昔からあまり変化がないように捉えられがちですが、時代によってブームがあり、少しずつですが変化がみられます。
例えば戦前は葬列が人の手から車に代わったことで立派な輿を乗せた霊柩車が登場し、人々を驚かせました。戦後になると祭壇メーカーによって次々と白木の祭壇が開発されるようになりますが、それが一般に浸透すると見栄えのする祭壇を飾ることが立派な葬儀であると思われる風潮がうまれました。90年代頃からは葬儀会館が次々と建てられ、葬儀の場所は自宅から葬儀会館へと移ります。葬儀社もインターネットで選べるようになり、他社との差別化が必須となります。その人らしい葬儀、つまり個性化が求められるようになったのも時代の流れでしょう。
「葬儀の簡素化により、葬儀社が得られる利益が少なくなった。演出によるオプションで少しでも売上を伸ばしたいのでは」という意見もありますが、演出だけではそこまで売上に差は生じません。逆に「過剰な演出はしない」と断言することで差別化を図る葬儀社もあります。「葬儀なんてどこに依頼しても同じ」ではなく「選ばれるための工夫」をそれぞれの葬儀社で試行錯誤していると言えるでしょう。
■その人らしい葬儀をするためには
大切な人の死に動揺している家族・関係者それぞれが、故人と正面から向き合う場が葬儀です。90歳で亡くなった女性Cさんの葬儀の時には、こんなシーンがありました。
「これ、おばあちゃんが亡くなる前日まで漬けていたものなんです」
そういって同居していたお嫁さんが持ってきたのは、ナスやキュウリなどのお漬物。通夜ぶるまいの席で皆でいただき、大変味わい深かったことを覚えています。
演出だけで人の感情を動かすことはできません。優しさと温もりが感じられる葬儀にするためには、業者にすべてお任せにするのではなく、「故人だったらどのように送られたいだろう」という故人の視点と「私はこのように送りたい」という送る側の意識が大切でしょう。
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