精巧すぎるラブドールに殺到する女の感性と男の欲

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2017年07月05日 21:00  citrus

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出典:オリエント工業40周年記念展「今と昔の愛人形」より

ラブドール=愛の人形。オリエント工業の人形は本来、愛を受け入れるためではなく欲を受け止めるためのものです。ダッチワイフという、語源が定かでないながら卑猥な空気をまとった言葉をラブドールと言い換えてギャラリーに展示すると、あら不思議、女性も“アート”として鑑賞するようになりました。

 

東京・渋谷のアートギャラリー「アツコバルー」で今年6月に開催された『今と昔の愛人形』は大盛況のうちに終わり、会期中は女性客も多く訪れたといいます。近年、性やエロスをテーマにした美術展があるたびに、そこに足を運ぶ女性たちが話題になります。

 

オリエント工業がこれまで東京・銀座のヴァニラ画廊で開催してきた展示然り、2015年の『春画展』然り、昨秋から今年初旬にかけて原美術館で開催された『篠山紀信展 快楽の館』然り。『快楽の館』では紗倉まな、三上悠亜ら超人気AV女優のヌード作品も多数展示され、それを前に「かわいい!」「きれい〜」といい合う女性らを私も目の当たりにしました。

 

 

■女性たちは自分なりの視点で「エロ」を鑑賞する

 

けれど、いい加減「エロに群がる女性たちが!」と騒ぐのはやめてほしいものです。自身の興味関心に従い鑑賞しているだけの女性たちを珍獣扱いし、好奇の目を向けるのは良識的な行為だとはいえません。

 

女性は、エロに内在する男性の“欲”を切り離しながら、自分なりの視点で作品を楽しむ人が多いように見えます。ラブドールは性的な道具なのか、アートなのか──それは状況にもよるでしょう。男性の部屋に置かれ、“使っている”男性の人物像やその“最中”を想像してしまえば嫌悪感が発動するとしても、そこはギャラリーです。展示されているドールそのものを見るか、その“使用方法”に思いを馳せるか、鑑賞法は個人に委ねられています。

 

春画が、性器をデフォルメして現実離れしたものとして表現しているからこそアートとして楽しめる側面もあるように、ラブドールにも極端なデフォルメがあります。毛穴もなければ体温もニオイもない、バストやくびれが大げさに強調されているその物体と自分たちの身体と同一視する女性は、少なくとも会場を訪れているなかでは少数派だと見受けられました。

 

 

■女性たちは自身とラブドールとの距離感を自覚している

 

また、大御所写真家のヌード作品はすべて会場でもある美術館で撮り下ろされたものでした。歴史あるアート空間に配されたAV女優らは、生々しい性的な存在ではなくやはりどこか人形のようでした。

 

 


 

原美術館で開催された『篠山紀信展 快楽の館』展では女性ダンサーのヌード作品も多数展示されていて、それと比べるとAV女優らのヌードは明らかに“男性好み”でした。しかし、アート空間に置かれた肉体は、本領であるAVで男性の欲望を喚起し満たす存在として振る舞う肉体とは、まったく別モノのようでした。

 

男性の欲望を切り離し、自分たちの肉体とその物体とのあいだに適度な距離感を保ちながら、そこから自分の琴線に触れる美や芸術性、官能性を読み取る──そんな女性たちが増えているのでしょう。

 

しかし、同じものを前にしても男性と女性とではまったく見方が違うのですね。改めて、そう実感させられることがありました。先日ひさしぶりに新作のAVをフルで鑑賞したところ、登場していた女優さんがことごとくラブドールそっくりだったのです。

 

 

■生身を人形に寄せていくポルノ女優はグロテスクでしかない

 

生身の女性に近づけようと技術を駆使しながら、男性の理想を具現化することに重きが置かれているがゆえに、現実ばなれした造形に仕上がるラブドール。篠山紀信や米国のアーティスト、ローリー・シモンズがラブドールをモデルにした写真作品を発表していますが、現実の風景のなかに、本来なら無形である“男性の欲”が人形として存在している異質さが印象に残るものです。その造形が生身の女性の肉体にメイクとして反映され、しかも動き、話し、性行為をする光景は非常にグロテスクに映りました。

 

男性たちは、自分たちの欲望を理想化した人形に欲情し、それそっくりに装い振る舞う生身の女性にも欲情する。そんな女性の在り方がさらに人形に取り入れられ、リアルな女性はまたその真似をする……毒々しい欲望スパイラルがそこにはあるようです。

 

 

■「男の欲」と「女の感性」は相容れないものか

 

『今と昔の愛人形』展は、オリエント工業の40年にわたる“愛人形”変遷史をたどるものでした。初期のモデルは女性の性的な部分を強調しながらも、そこから普遍的な美を読み取れるものではありませんし、まして生身の女性にフィードバックさせたいと思える造形とはほど遠く、どちらかというと牧歌的な“マヌケ感”が漂っていました。

 

その“マヌケ感”から脱却し、ラブドールとしての完成度が高まり美しさが磨かれるほど、女性の感性と男性の欲望とのあいだにある溝をあぶり出す──ラブドールという存在に、面白さを感じずにはいられません。

 

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