KinKi Kidsからの“愛のかたまり” 『ぼくらの勇気 未満都市』が2017年によみがえった意義

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2017年07月25日 12:53  リアルサウンド

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 7月21日にオンエアされた『ぼくらの勇気 未満都市2017』(日本テレビ系)。鑑賞中、“そうそう、コレコレ“と膝を叩いたのは、筆者が松本潤と同い年だからだろうか。金曜ロードショーの時間にて放送された本作だが、かつて10代のころに夢中で見ていた“日テレ・土曜9時枠ドラマ“のワクワクが蘇ってくるようだった。


参考:Kinki Kidsはジャニーズの歴史を変える? 小原裕貴、20年ぶり『ぼくらの勇気』出演の奇跡


■KinKi Kidsが示した本作の存在意義


 1997年のテレビドラマ放送当時、10代だった堂本光一、堂本剛、相葉雅紀、松本潤、矢田亜希子らが再集結し、すでに芸能界から引退していた小原裕貴までもが一肌ぬいだ本作。ストーリーは、20年という月日で、彼らが“ギリギリの大人“になっていることを強調していく。ヤマト(光一)は研究者の夢やぶれて堅実な中学教師に。タケル(剛)は紆余曲折を経てエキセントリックな弁護士に。キイチ(小原)は一家の大黒柱としてハンドルを握るバス運転手に、モリ(松本)は飲食店のオーナーとして成功し、アキラ(相葉)はあの幕原エリアの復興を担当する設計士に。そしてスズコ(矢田)も夫を復興事業で亡くし、シングルマザーとしてたくましく生きていた。


 20年後の再会の約束をきっかけに、地下水から大人を死に至らしめる微生物が復活したことに気づいたヤマトとタケル。かつての仲間たちに警鐘を鳴らすも、スズコは今の生活を変えることを「簡単に言わないで」と叫ぶ。モリは「風評被害にあったら……」と関わること自体を拒否。積み上げてきたものが大きければ大きいほど、人はそれを手放すことを恐れて守りに入る。それが大人のサガなのだろうか。自分の生活のために見て見ぬふりをするべきか。それとも、個を犠牲にしてでも正義のために立ち上がるべきか。


 ヤマトたちは決して強要することなく、あくまで自由意志を尊重して仲間たちの選択を見守った。大人になった彼らもまた失う怖さを知っているからだ。肉体的な死よりも、社会的死が怖い。孤独死よりも、死ぬほど孤独なことが怖いのだ。まさに、<ギリギリの大人たちが積み重ねてるすべてのもの 壊さなきゃ新しい明日はこない>展開に胸が高鳴った。


 プロデューサーの櫨山裕子氏は、インタビューで、今回の方向性にはKinKi Kidsのふたりの意見が反映されたことを明かしている。「KinKi Kidsと一回会って、プロットを見せて意見交換をしたとき、彼らはふたりとも…このドラマの良さややる意味は、10代の子たちに、今、なかなかできないであろう旧作と同じ方向性を提示するのがひとつの存在価値じゃないかと言われて、目から鱗が落ちた」(参照:『ぼくらの勇気 未満都市』が20年ぶりに復活した理由とは?日テレ櫨山プロデューサーに聞いた)


 大人に対して、10代は失うことを恐れない強さがある。「カッコつけたいときにカッコつけさせよう」とタケルが言ったように、カッコつける=自分の理想に突っ走ることができるときは、若さゆえの勢いも手伝う。そして、その経験が自信になり、新しい強さになる。見ている10代には自分たちにも何かできるかもしれないという勇気になり、大人たちにとっては子どもたちに負けてられないと奮起するエンディングだった。


 餅は餅屋、ではないが、やはりジャニーズにしかできないドラマがあるのだ。KinKi Kids、嵐、そしてジャニーズJr.の道枝駿佑と、世代を超えたジャニーズが肩を並べたときの発信力は凄まじい。彼らだから多くの人に伝えられるメッセージがあることを、ひしひしと感じるドラマに仕上がっていた。


■土曜ドラマの可能性を切り拓いたKinKi Kids


 今も続く、日テレの土曜ドラマといえば、ジャニーズ主演で10代向けの作品という印象がある。その立役者となったのは、他ならぬKinKi Kidsだろう。1994年にドラマ『家なき子』が最高視聴率37.2%を記録する大ヒット。子どもが主役のドラマに、一気に10代の視聴者の心をつかんだ。その人気ドラマのパート2から光一が出演。以降、翌年には剛主演の『金田一少年の事件簿』がスタートし、光一主演の『銀狼怪奇ファイル』など人気作品が続く。そして、1997年に『ぼくらの勇気 未満都市』がオンエアされたのだ。


 壮絶ないじめにあう主人公をボクサー志望の美少年が救ってくれたり、学園で頻繁に起きる殺人事件を高校生が解決したり、謎の転校生が現れたり……冷静に見たら「現実的ではない」とツッコミどころ満載な設定やストーリーも、なぜかこの枠のドラマはすんなり楽しめた。それはフィクションではあるものの、子どもを決して子ども扱いせず、社会の一員であることを見せていたからかもしれない。


 そんな中、1997年に放送された『ぼくらの勇気 未満都市』は、限りなくリアルと地続きのフィクション作品だったように思う。無法地帯の隔離された空間。得体の知れない物に殺される恐怖。不都合な真実を隠蔽する大人たち―。このドラマが始まる前には、1995年から阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、薬害エイズ事件、神戸連続児童殺傷事件……と悲惨な事件が続いていた。昨日までの当たり前が突然壊れること、作り話よりもよっぽど残酷な現実があるということを、みんなが実感していた時代。だが、その一方で数年後にやってくるミレニアム、21世紀という新しい時代の夜明けに向けて、どこか踊らされているような空虚感もあった。


 改めて考えると、2017年の今も1997年と近い時代感にあるのではないか。東日本大震災から続く大災害や原発問題、地下水の汚染が指摘された豊洲移転問題。報道されていることがどこまで真実なのかもわからない。その中で、数年後に控えた東京オリンピック……。社会の大きな動きの前に、自分なんて何の影響力も及ぼさないちっぽけな存在に感じてしまいそうになる。だが何歳だって時代の主役になれること。人生を作っているのは、偉い大人ではなく自分自身なのだということを、再びKinKi Kidsは本作を通じて発信してくれたように思う。


■KinKi Kidsの次の20年を楽しみに……


 KinKi Kidsは、マイナーコードが似合う稀有なアイドルだ。きっと、彼らは人々が持つ普遍的な憂いと共鳴する力があるのだろう。彼らは自分自身の影の部分も全部抱きしめて、先人を切って時代の一歩先を歩み出す。その行動力に私たちは光を感じ、自分たちなりの一歩を踏み出す勇気をもらえるように思う。その姿は、いやがおうでもヤマトとタケルの生き様と重なるのだ。まさか作中の“20年後の再会の約束“が現実の20年後に果たされるとは誰も予想していなかった。その有言実行が叶ったのも、KinKi Kidsがこの長い年月、アイドルとして最前線を走り続けてきた結果だろう。


 そして、彼らを愛するスタッフたちがいたからこそ。実際に、本作では、いたるところに彼らにゆかりのある小道具が仕込まれていた。コンビニの店名に、商品に、事務所の本棚に、警察署の垂れ幕に……その数なんと30以上。その遊び心溢れる演出を取り入れるスタッフも、それを見つけて楽しむファンも、どちらも成立しなければ実現できない楽しみ。まさに、KinKi Kidsのまわりは愛のかたまり。12月6日には、早くも本作のDVD&ブルーレイが発売されるという本作。公式HPでは正解も発表されているが、それ以上にもあるかもしれないという意味深なメッセージも。ぜひ何度も見返して、楽しんでみてはいかがだろうか。


「正しい選択かどうかわかるのは、20年後かもしれない」誰もが、すべての選択を正しいと思って行動をする。だが、本当に正しかったかどうかは振り返ってみないとわからない。できるのは、20年前の自分、そして20年後の自分が見ても、納得できる自分を目指すことだけ。そして、期待してしまう。KinKi Kidsのこれから20年も、きっと私たちに勇気を与え続けてくれることを。(佐藤結衣)


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