ファレル・ウィリアムス独占インタビュー 「Yellow Lightに導かれて、新しい世界を作っていかなくてはいけない」

0

2017年07月26日 11:22  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 これまで『怪盗グルー』シリーズを毎作彩ってきた、このアーティストのカラフルな歌声と旋律とリズムなくしては、シリーズのここまでの世界的大成功はなかったと言っても過言ではないだろう。少なくとも、もし彼がいなかったら、このシリーズが築いてきたクールでオシャレなイメージは、今とはかなり違ったものになっていたはずだ。ファレル・ウィリアムス。言わずと知られた、世界的スーパースター。今回、『怪盗グルーのミニオン大脱走』のプロモーションの一環として、彼の地元であるロサンゼルスで単独の対面インタビューが実現した。ちなみに、そんな特別な時間をファレルが割いてくれたのは日本のメディアに対してのみ。しかも、まとまった時間をくれたのはこの取材だけだ。


 近年、滅多にインタビューのオファーにOKを出さないファレルと直接話すことができる世界的にも貴重な機会とあって、『怪盗グルーのミニオン大脱走』についての話を足がかりに、この夏の音楽シーンを席巻している(ファレルも複数の曲でフィーチャーされている)カルヴィン・ハリスのニュー・アルバムから、彼自身の次作についての展望まで、その話題は多岐にわたった。当初、取材はビバリーヒルズの超高級ホテルのスイートルームで予定されていたが、ファレルから「太陽の下で話そう」という提案を受け、急遽ホテルのテラスでインタビューをおこなうことに。カリフォルニアの「イエロー・ライト」が照りつける中、あの柔らかく繊細な歌声そのままの小さな声で、ファレルはすべての質問にとてもジェントルに応えてくれた。(宇野維正)


(関連:なぜファレルは『ミニオンズ』に参加しなかったのか? 同作プロデューサーにインタビュー


■僕の“バッテリー”を充電してくれるのが映画の仕事


ーー『怪盗グルー』シリーズの音楽を手がけるのは、今回の『怪盗グルーのミニオン大脱走』で3作目。そして、日本での公開時期は逆になっているのですが、昨年は『ドリーム』のサウンドトラックにおけるプロデュース・ワークとそこで書き下ろした新曲も本当に素晴らしいものでした。あなたは音楽家として長年充実したキャリアを送っていますが、そのベスト・ワークのいくつかは映画のために作った作品であるように思います。


ファレル・ウィリアムス(以下ファレル):映画の仕事はすごく楽しいんだ。今の僕は自分が大好きな仕事だけをやることができて、とても恵まれている。だから、何かいいオファーがあったら、そこに自分の時間をいくらでもつぎ込むことができるんだ。映画の仕事には様々なパラメーターやガイドラインがあるけれど、そこで正解を導き出していくことは、僕にとって純粋な楽しみだし、それが僕の活動全体のエネルギーになっている。言ってみれば、僕は背中にバッテリーを背負っていて、そのバッテリーを充電してくれるのが今回の『怪盗グルーのミニオン大脱走』のような映画の仕事なんだ。


ーー前作『怪盗グルーのミニオン危機一発』のために書き下ろした「Happy」は世界中でとんでもないスーパーヒットになったわけですが、そのことは今回の新曲、特にリード曲の「Yellow Light」のソングライティングやサウンド・プロダクションにどのような影響を及ぼしましたか? 「同じシリーズとはいっても、『Happy』と同じようなテイストの曲にはしたくない」というあなた強い意志のようなものを感じたのですが。


ファレル:えっと、「Happy」は2作目だったね。「Fun, Fun, Fun」も2作目だったかな? あれ? 1作目だっけ?


ーー2作目です(笑)。


ファレル:そうだった? 自分のやったことをすぐ忘れちゃうんだ(笑)。でも、それぞれの作品に取り組んでいる時は、その作品自体が、そこで僕がどんな音楽を作るべきかのクリエイティブなアイデアを必ずもたらしてくれるんだ。まさに、「Yellow Light」みたいにね。


ーーというと?


ファレル:「Yellow Light」というのはそのまま、黄色い光のこと。社会全体が悪い方向に向かっていると多くの人が感じている現在、僕たちにはこれまで以上に、高い次元の光のような存在が必要としている。そんなYellow Lightに導かれて、僕たちは新しい世界を作っていかなくてはいけない。


ーーこの曲で歌われている「黄色い光」というのは、「注意信号」という意味でもなければ、ミニオンたちの身体の色のことでもないんですね?


ファレル:うん。この歌で僕が歌っているのは、太陽から降り注ぐ眩しい光のことだよ(と眩しそうに空を見上げながら、手の平で太陽光を受けるように両手を差し出す)。


ーーこれだけ映画関連の仕事で充実感を得ていると、そのせいでソロ・ワークのプランや作業が後回しになったりはしないのですか?


ファレル:ソロ・ワークは当分ないよ。


ーーえっ? 本当に?


ファレル:当分ない。今はソロで作品を出すことは考えてないんだ。


ーー『怪盗グルーのミニオン危機一発』が公開された後、しばらくしたらアルバム『G I R L』をリリースして、そこに「HAPPY」も収録されてましたよね。てっきり今回も同じように、この先にはソロアルバムが控えているんじゃないかと期待していたんですけど。


ファレル:ノー。今、僕が集中してやっているのは僕たちのバンド、N.E.R.Dのレコーディングだ。


ーーへぇ! しばらく前から噂は耳にしてましたけど、本当にN.E.R.Dとして久しぶりに動いてるんですね!


ファレル:うん。だから、次に僕のアルバムが出るとしたら、それはN.E.R.Dの作品になるはずだ。


ーーもし今年出たら、7年ぶりの新作ということになりますね。


ファレル:そうなるのかな? 昔のことは本当にあまり覚えてないんだ(笑)。


――今、スタジオで作業しているN.E.R.Dの音楽はどういう志向のサウンドになっているんですか?


ファレル:それは話せない。


ーー(笑)。


ファレル:意地悪で言ってるんじゃなくて、君が初めて聴いた時に「ワォ!」って思ってほしいから話したくないんだよ。お化け屋敷(ホーンテッド・ハウス)に遊びに行って、そこで誰かが出てくる幽霊を前もって全部教えてくれたら、「ワォ!」とは思えないだろう? 僕が常に考えているのはみんなを驚かせたいということなんだ。


ーー「お化け屋敷」のように?


ファレル:そう(笑)。


ーー『G I R L』も今回の『怪盗グルーのミニオン大脱走』のサントラもソニー・ミュージックからリリースされていますよね。N.E.R.Dの作品も同じようにソニーから出ることになるんですか? そもそも、今のあなたとレコード会社の契約形態はどのようなものになっているんでしょう?


ファレル:僕はもう、誰かに急かされてレコードを出すようことはない。ただ、自分が作ったレコードを彼らにライセンスするだけだよ。


ーーメジャーのレコード会社から作品はリリースするけれど、アーティストとしては完全な自由を手に入れている?


ファレル:その通り。


■90年代ブームはすでに来てるよ


ーーあなたにとって、『怪盗グルー』シリーズの魅力、イルミネーション・エンターテインメント作品の魅力はどこにあるんですか?


ファレル:まず、彼らのチームは人間としてとても魅力的なんだ。イルミネーションでは何百人という才能あるアーティストが一緒に働いていて、そこで力を合わせてリアルに感じられるものを作っている。『怪盗グルー』シリーズのキャラクターはファンタジックだけど、ずっと見てると、それを人間が作ったということが信じられないくらいリアルなものに感じてくる。何百人ものアーティストが集まってそういうものを作っていることに敬意を感じずにはいられないよ。そして、パリでも、ここロサンゼルスでも、イルミネーションで働いている人たちはとても優秀で、自分たちの作っているものに誇りを持っている。


ーー『怪盗グルーのミニオン大脱走』では80年代のポップ・ミュージックがとても大きな役割を果たしています。音楽界においても、映画界においても、もう随分長いこと80年代ブームが続いてますが、『怪盗グルーのミニオン大脱走』にはいわばその決定版のような趣がありますよね。


ファレル:80年代ブーム?


ーーそう。


ファレル:いや、もうそれはブームであるかどうかを意識する以前のものとして、完全に僕らのカルチャーに根づいているよ。何故なら、80年代には本当にいいポップ・ソングがたくさんあったし、いいアーティストがたくさんいたし、彼らの多くはとても魅惑的なビジュアル・イメージを持っていた。80年代がとてもマジカルな時代だったということに、疑問を挟む余地はないんじゃないかな。


ーーポップ・カルチャーにおける60年代のように?


ファレル:70年代生まれの僕たちにとっては、そう言ってもいいかもしれないね。


ーー自分もあなたと同じ70年代生まれなので、80年代はティーンの頃の記憶と分かちがたく結びついていて、その感覚はよくわかるのですが、一方で80年代のカルチャーの影響力が今も強すぎて、なかなか90年代ブームが来ないという見方もできるように思うんです。


ファレル:いや、90年代ブームはすでに来てるよ。


ーーあなたが言うとすごく説得力がありますね(笑)。


ファレル:あまり僕はブームだとか、そういう考え方はしないんだけど、君にそういうことを言われて考えてみれば、今、自分の周りの人たちはみんな90年代のような服を着て、スニーカーを履いている。そして、90年代のような音楽を作っている。ハウス・ミュージックがリバイバルしている、ドラム&ベースがリバイバルしている、グランジだってリバイバルしている。どれも、数年前まではなかった傾向だよ。


ーー現在あなたがN.E.R.Dの制作作業にフォーカスしているのも、そうした動きと繋がっている?


ファレル:だから、それについてはまだ言えないよ(笑)。


ーー(笑)。でも、90年代リバイバルは、はたして80年代リバイバルほどポップ・カルチャー全体において大きな現象となるんでしょうか? それについて自分は懐疑的なんですけど。


ファレル:まだだよ。まだなんだ。そこまでなるには、もうちょっと時間がかかる。


ーーそのうち必ずもっと大きくなる?


ファレル:うん。間違いない。とても大きなムーブメントになるよ。


ーー『怪盗グルーのミニオン大脱走』ではマイケル・ジャクソンやa-haやフィル・コリンズやダイアー・ストレイツの曲が使われていましたけど、では、シリーズの次作ではニルヴァーナの曲が流れたりすることもあり得る?


ファレル:あり得るね(笑)。


ーー2013年のダフト・パンクのアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』で、そして先月出たカルヴィン・ハリスのアルバム『ファンク・ウェーヴ・バウンシズ Vol.1』で、あなたは複数の曲で大活躍していました。それらの作品も音楽的なモチーフの大きな一つに、80年代のディスコ・ミュージックやファンク・ミュージックがあったわけですが。


ファレル:そうだね。彼らのようなヨーロッパのクリエイターがアメリカの80年代ブラック・ミュージックのフレイバーを求める時、僕のもとにオファーが来ることがある。アメリカ人の僕たち以上に、彼らは過去のアメリカのブラック・ミュージックに入れ込んでいるんだ。どうしてそういう時に僕が呼ばれることが多いのか、僕にはわからない。ただ、一つだけ確かなのは、そこでは他の誰かがフィーチャーされることもありえたということ。(ダフト・パンクの)トーマ(・バンガルテル)もギ(=マニュエル・ド・オメン=クリスト)も、そしてカルヴィンも、彼らが自分たちの作品を制作する際に呼ばれたならば、誰だってそのオファーに喜んで応じただろう。でも、そこで彼らは他でもない僕に機会を与えてくれた。そのことをとても誇りに思うし、光栄なことだと感じているよ。


ーーカルヴィン・ハリスとのレコーディングでは、データのやり取りだけではなく、一緒にスタジオに入ったんですか?


ファレル:もちろん。彼は自分のスタジオでたくさんのリズムを、たくさんのトラックを自分で演奏していた。その中で、彼がベースで「Feels」を演奏した時に、僕は「ん? それは何?」って言ったのを覚えている。そこからスタジオの周りを歩き回っているうちに、メロディーとか歌詞とかがいろいろ浮かんできて、その後にまたスタジオに入って、あの曲を一緒にレコーディングしたんだ。あの体験はクールだったな。カルヴィンとの作業はとても楽しかったよ。彼はとてもいろんなことをできる、素晴しいプレイヤーなんだよ。


ーープレイヤー?


ファレル:そう。多くの人はカルヴィンのことをプロデューサーとして、あるいはDJとして見ているんだろうけど、制作の現場にいてよくわかったのは、彼がとても優れたプレイヤーだということだった。本当に、彼はいいよね(笑)。また機会があったら一緒にやってみたい。


■僕と仲間にとって、音楽はほぼすべてを意味していた


ーー『怪盗グルーのミニオン大脱走』では80年代のポップ・ソングがたくさん使われていますが、まだミュージシャンとしてデビューする前、その頃のあなたの音楽生活はどのようなものでしたか?


ファレル:もちろん『怪盗グルーのミニオン大脱走』で使われているようなメインストリームの大ヒット曲は覚えているし、みんな空で歌えるよ。でも、当時の僕はもうちょっとニューウェーブ寄りの音楽の方に入れ込んでいたし、ミュージシャンとして影響を受けたのもそういう音楽だった。音楽は常に僕の人生の大きな部分を占めていた。昔のことをふと思い出す時、僕は誰かが言っていた言葉や、その時に目にした景色と同じように、その時期によく聴いていた音楽のことを思い出すんだ。僕の思い出は、そうやって五感全部に刻まれているんだ。僕は子供の頃からいつも音楽を聴いていたし、いつも音楽のことを考えていた。だから、てっきりみんなもそういうふうに感じているんだと思っていた。ある時期までね。どうやら自分と、自分の周りにいる友達がちょっと変わっていて、他の人たちにとって音楽が必ずしもそこまで大きなものではないってことに気づいたのは、中学校に入ってからだったね。でも、僕と仲間にとって、音楽はほぼすべてを意味していた。それは今も同じだよ。だから、正直な話、音楽をやることが仕事だと感じたことは一度もないんだ。


ーー「HAPPY」のビデオもそうだったし、「Yellow Light」のビデオもそうですが、あなたは常に歌いながら歩いたり走ったりしています。まだ本格的に仲間たちとバンドや音楽を始める前、あなたはマーチング・バンドに入っていたそうですが、その姿にその名残りのようなものを感じるのですが。少年時代のように、今もあなたは音楽を奏でながら世界中をマーチしているんじゃないですか?


ファレル:いやぁ、確かにあの頃、街中を演奏しながら行進するのはすごく楽しい経験だった。マーチング・バンドで演奏するのって、見た目よりもかなり難しくてね。他の人々と足並みを揃えて行進しながら演奏するのには、たくさんの練習や訓練が必要なんだ。だから、バンドに入ることができただけでとても誇らしかったね。今自分がやっていることの関連性という点では……君がそう言うなら、そういうことにしておいていいよ(笑)。


ーー日本には友達がたくさんいると思いますが、仕事以外でもよく来たりしているんですよね?


ファレル:東京は僕の2つ目のホームだよ。僕にとって、東京にいる何人かの友達は特別な存在なんだ。彼らはとても才能があるし、僕にとても大切なことを教えてくれた。


ーー「とても大切なこと」というと?


ファレル:「人に親切であること」。彼らに限らず、東京で出会う人はみんな信じられないほど謙虚だ。そして、そのことは僕に大切なことを思い出させてくれる。


ーー東京には仕事で来ることよりも、プライベートで来ることの方が多いんですか?


ファレル:どっちもだね。以前は年に4、5回は行っていた。最近は年に2回くらいかな。しばらく行ってないから、近いうちに必ずまた行くよ。


    ニュース設定