スポニチAnnexによると、昭和40年代の劇画ブームをけん引した漫画原作者で、1987年に亡くなった梶原一騎氏をしのぶ「絶筆30年 SO!,一騎集会」が8月6日、都内で開かれ、梶原氏が原作を手掛けた『あしたのジョー』のちばてつや氏(78)、『巨人の星』の川崎のぼる氏(76)の両漫画家が連載当時の想い出を語った。ちなみに、漫画史に残る名作スポーツ漫画を描いた二人の巨匠が公の場で梶原氏について語り合うのは、これが初……であるらしい。
私は基本、他人の一方的な“べしゃり”を聞くという行為がとても苦手なので、講演会やトークショーのたぐいには滅多に足を運ばないタチだったりするのだが、この集会だけは……ああ、むっちゃ行きたかった!!! 後悔の嵐。開催の情報すら事前キャッチできなかったおのれの愚かしさを猛省してやまない。
なんせ、一部のマニアのあいだで「昭和の傑作」といまだ語り継がれている梶原一騎自伝漫画『男の星座』で、講談社(※『あしたのジョー』『巨人の星』の版元)の漫画編集者が梶原センセイの元へと仕事の依頼に訪れた(※ご本人急死のため「未完」としてこれがラストシーンとなっている)以降のエピソードが、当時もっとも密に関わっていた大センセイ方々からナマの声として聞くことができるのだ! 一騎マニアからすれば、垂涎モノの超弩級コラボだと言えよう。
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とりあえず、記事内から辛うじて拾えた“秘話”をここで抜粋してみたい。
「(梶原氏の原作は)小説のようで素晴らしかった。絵が負けていると言われたくなくて、梶原さんと勝負している気持ちだった。
(中略)(『巨人の星』の大ヒットで梶原氏に)男にしてもらった」(川崎のぼる氏)
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なるほど! あの指の節々までを筋肉のごとく描き込む緻密な偏執的タッチは、こういう関係性がルーツとなっていたのか……と心底納得した。そして、ジョジョシリーズでお馴染みの天才漫画家・荒木飛呂彦氏が「稀代の絵師による仕事」と絶賛する伝説の西部劇漫画『荒野の少年イサム』が誕生したわけである。
「ほとんど会うことはなかったが、想像力がどんどん膨らみ、それを絵にした」(川崎のぼる氏)
「分からない部分があると、すぐ会いに行った。六本木のバーで、トリプルクロスカウンターの説明を、お互いの腕を交えて話していたら、警察を呼ばれた」(ちばてつや氏)
引きこもりタイプの川崎センセイと社交型タイプのちばセンセイ(※ちなみに私は二度ほど、ちばセンセイとテニスをやったことがある。見た目は相当おっかないが、ダブルスを組んで、私が緊張のあまり凡ミスを繰り返したとき、「どんまい」と優しく励ましてくださった)の梶原センセイとの接し方、仕事の進め方が好対照に浮き彫りとなった、じつにいい話である。
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「(『巨人の星』最終回の原作を梶原氏は)“そして飛雄馬”は去って行く“とだけ書いていた。私は飛雄馬の背に十字架の影を背負わせた。梶原氏は雰囲気などには何も言わなかったね」(川崎のぼる氏)
「(ちば氏は『あしたのジョー』の原作を大幅に変更)その後、梶原氏に会った時、“いいラストだった”と握手されたが、力いっぱい握られて凄く痛かった(苦笑)」(ちばてつや氏)」
梶原センセイ、本当はわりとテキトーだったのか、それとも漫画家に対する最大のリスペクトの証なのか……いずれにせよ、やはりいい話である。
ちばセンセイは、
(『あしたのジョー』連載前)私は独自でボクシング漫画を描く気でいて、梶原氏と組むのを何度も断っていたんだけど、ある日、編集者に別の用事で池袋のバーに呼ばれていくと、サングラス姿で大きな体をした梶原さんが立ち上がり“よろしく”と握手された。(怖くて)断れなかったんだ
とも明かす。このころからすでに“ややこしい人っぽいオーラ”をプンプンただよわせていたんだろう。現に、センセイの晩年期は“ややこしい人”を地でいく生き様であったが、そんな「人生と作品が直結するタイプの表現者」は、今のマスコミやネットでガチガチに監視された社会では、おそらくもう出てこない。ちょっぴり淋しい話ではないか……と、この原稿を〆つつ、あらためて合掌!
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