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<夏の高校野球>滝川西、初代後援会長「喪章」と共に

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2017年08月12日 22:04  毎日新聞

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毎日新聞

写真応援団へのあいさつのため整列する滝川西の選手たち。ユニホームの右袖には北海道をかたどったマークと四つの星が描かれている=阪神甲子園球場で12日、平川義之撮影
応援団へのあいさつのため整列する滝川西の選手たち。ユニホームの右袖には北海道をかたどったマークと四つの星が描かれている=阪神甲子園球場で12日、平川義之撮影

 夏の甲子園で12日登場した滝川西(北北海道)のユニホームの右肩には、北海道に重ねて四つ星が描かれている。春夏の甲子園出場回数を示し、最近加えた一つを目立つ黄色にしたのは、先月亡くなった初代後援会長、渡部豊道さん(享年79)への「喪章」とするためだ。渡部さんは戦争孤児だった経験から物心惜しみなくチームを支えた。仙台育英(宮城)に大差で敗れたが、ナインは「星を増やして恩返ししたい」と誓っている。


 「気持ちが落ち着くんです」。滝川西ナインはこの日もピンチになると、右肩の星に見守られていると思って集中するよう努め、渡部さんとの絆の深さを信じ全力を尽くした。


 野球部創部と同じ1973年、渡部さんは同校グラウンド前で防災設備業を始めた。地区大会で敗退するチームだったが、82年に監督に就いた高石克美・現札幌大監督が強化宣言すると、渡部さんが寄付金集めや用具提供に奔走。遠征バスや除雪車を提供する企業も出始めた。


 渡部さんは「強くなってほしい」と繰り返した。樺太(サハリン)生まれで、終戦前に避難する船の中で父と死別し、母とも生き別れて北海道根室市内の寺で育った。逆境の中で努力する選手たちを放っておけず試合に勝っても負けても自分のことのように泣いた。


 「無理を言っても嫌な顔一つしない。彼なくしてチーム強化はできなかった」。高石さんは振り返る。88年に夏の甲子園に初出場。相次ぐ炭鉱閉山で地域経済が衰退する中、明るい話題になった。ナインの9割が地元出身ながら、今では道内有数の強豪校。今回も19年ぶりの出場に沸いた。


 先発した鈴木愛斗投手(3年)は試合後、「応援してくれた人たちに申し訳ない」と唇をかんだが、渡部さんの息子の輝道さん(45)は言う。「おやじはさわやかにプレーした選手たちを心からほめていると思う」【源馬のぞみ】

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