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<日航機事故三十三回忌>「娘が待っている」来年も御巣鷹に

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2017年08月12日 22:27  毎日新聞

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毎日新聞

写真スタッフの手を借りて下山する山岡武志さん(左から2人目)と妻の清子さん(同3人目)ら=群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」登山道で2017年8月12日午前10時48分、鈴木敦子撮影
スタッフの手を借りて下山する山岡武志さん(左から2人目)と妻の清子さん(同3人目)ら=群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」登山道で2017年8月12日午前10時48分、鈴木敦子撮影

 高齢のため、いつまで慰霊登山が続けられるだろうか。事故を知らない世代に伝えていきたい−−。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から32年、仏教では節目の三十三回忌を迎えた12日、墜落現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)の地を踏んだ遺族らの胸にはさまざまな思いが去来した。


 長女知美さん(当時16歳)と次女薫さん(当時14歳)を失った堺市の山岡清子さん(71)は、この日の前夜、メモに「三十三回忌の今年で最後にしよう。これからは家で守っていこう」と書き込んでいた。毎年慰霊登山を続けてきたが、夫の武志さん(80)は7月下旬に散歩中に転倒して左手などを負傷しており、今後も登り続けるのは危険だと思ったからだ。


 登山口から約800メートル。武志さんはつえと手すりを頼りに、2度の休憩を経て約1時間20分かけて尾根に着いた。長男の直樹さん(50)と、おいの小川勉さん(46)が花などを交換する間、武志さんは周囲の草をむしり、銘標(めいひょう)に「助けてもらってやっと来られました」と手を合わせた。


 そんな武志さんの姿を見た清子さんの胸に、「あの子らが待っていると思うと……。やっぱりお父さんに会わせたい」との思いがこみ上げた。ここは娘たちを近くに感じられる場所。30分でも、10分でも私たちのところへ帰ってきてほしい。強く抱きしめ、2人の声が聞きたい−−。来年も武志さんと会いに来ることを誓った。


 事故機の副操縦士だった佐々木祐さん(当時39歳)のおいで熊本県八代市の内科医、佐々木雅人さん(57)は、「三十三回忌の機会を逃がすと、家族がそろって来られなくなるだろう」と考え、今回初めて妻(52)と小中大学生の3人の娘を連れて訪れた。事故後に生まれた娘たちに、大勢の命が一瞬で奪われ身近な人も亡くなったこと、そして命の大切さをより深く知ってほしかった。


 自身は事故の翌年に来て以来2度目。生存者4人が救出された「スゲノ沢」付近や、尾根が当時遺体を搬送するためのヘリポートになっていたことなどを娘たちに説明し、語りかけた。「一人一人に人生があって、命がある。みんなの命が大事なことを分かってほしい」【鈴木敦子、畑広志】


 【ことば】日航ジャンボ機墜落事故


 1985年8月12日午後6時56分、羽田発伊丹行きの日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落し、520人が死亡、4人が重傷を負った。単独機の事故では航空史上最悪の死者数。運輸省航空事故調査委員会(当時)は87年の最終報告書で、ボーイング社の修理ミスを遠因とする圧力隔壁の破壊が原因と結論づけた。

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  • 過酷な現場での連日の救助活動で疲労困憊になっている第一空挺団の隊員達の写真を晒して、自衛隊が怠慢との批判をでっち上げようとした反日クソメディアどもの所業を忘れません!
    • イイネ!5
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