高校球児たちは持ち帰った甲子園の土をどうするのか問題

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2017年08月13日 00:00  citrus

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高校球児にとって、我々野球人にとって、さらに私のような熱烈なる阪神タイガースファンにとって、「甲子園」は紛うことなき“聖地”である。

 

もし、私の草野球チームに「昔、甲子園に出たことあります」みたいな人材が加入したとしよう。となれば私なんかはもう、その“新入部員”がたとえ息子のような年齢の敬語が使えない小僧でも、労働能力ゼロのニートでも、前科一犯でも、バッタのごとくひれ伏してしまうに違いない。仮にチームメイトに嵐のメンバーがいようと、Jリーガーがいようと、菅官房長官がいようと、リスペクトの念はこういった社会的地位を軽く突き抜ける。つまり、野球の世界において「甲子園」は、それくらいの絶対的なステイタスを確立しているのだ。

 

そんな聖地・甲子園を舞台に戦った高校球児たちが敗北の際に泣きながらベンチ前の土をかき集める姿は、もはや風物詩的な“感動の光景”であるのは言うまでもない。でも、小さなコンビニビニール程度はある袋がパンパンになるほど詰めた「甲子園の土」を、彼らは持ち帰ってから、いったいどうしているのだろう?

 

私がけっこう昔からほのかに抱いていた、この“素朴な疑問”について、突如リサーチを行ってくれたのが『スポニチアネックス』。「意外!?プロ野球選手になった元球児の甲子園の土の行方」というタイトルの記事である。

 

リサーチの対象が「甲子園はプロになるための通過点でしかない」ようなエリート中のエリートとされるプロ野球選手だったせいなのか、それとも今の若い子たちが単にドライなだけなのか、「保管していない」という回答が多かったのだそう。「(試合や土を集めている)映像が思い出として残るから」「欲しいとは思わないから持ち帰らなかった」……など、理由はさまざま。ちなみにあの大谷翔平(現・日ハム)も「甲子園は過去の栄光なので」と“土”には一切の未練を残さなかったという。

 

ただ、“保管していない理由”として複数あったのが「ベンチ外の部員に分けた」という回答で、それはそれで“ちょっとイイ話”だったりする。

 

現ロッテのピッチャー・関谷亮太選手は、「ベンチに入っていないチームメイトたちは、練習からずっとサポートしてくれたので感謝している。同級生と分けたので自分の手元には残っていない」と語る。ある高校野球の監督も円陣の中心で「マウンドで140キロを投げるやつも、スタンドで声をからして応援するやつも、人間の価値は変わらない。チームのために全力を出し切っているという意味で同じ価値がある。そこに優劣をつける理由はない」と檄を飛ばしたという。なんとも泣けるエピソードだ。「甲子園の土」も、そのような観点から見つめ直してみると、また味わいに深みが出てくるのではなかろうか?

 

ところで、私は幸運にも諸処の事情で一度、甲子園のグラウンドに立つ機会を得ることができたのだけど、そのとき「竹富島名物の星砂」を入れるような小瓶を用意して“土”を持ち帰ろうと企んだのだが、誰に向けた警告なのかベンチ前に「土はお持ち帰りしないでください」みたいな看板があったので、あえなく断念した。高校球児もこれくらいの量なら保管しやすいのでは……と考えてはみたものの、小瓶にスプーンとかでチマチマ土を入れる姿もしょっぱかったりするので、やっぱこのアイデアは「ボツ」……でしょうなw。

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  • 孫が甲子園に出たとき「おじいちゃんに」ってもらった砂と、孫が表紙の高校野球の雑誌を来る人みんなに超笑顔で自慢してた人はちゃんとどちらも棺桶に入れて持って行ったよ。きっと向こうでもにこにこしながらそれ眺めてると思う。
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