『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第6回 根本みゆきさん(仮名・61歳)後編
30年前、地方転勤が多い1歳下のゼネコン社員と結婚した根本みゆきさんは、長年、不妊治療をしていたが、子どもが授からず、41歳のとき、生まれたばかりの男の子を引き取った。夫は最初、子育てに協力的だったが、1時間半ほど離れた町へ単身赴任になると、徐々に帰ってくる頻度が減っていき、1カ月に一度になった頃、浮気が発覚。それは息子にも知られるところとなり、夫婦の距離は開いていった。夫には、認知もしていた「隠し子」がいたのだった。
■戸籍謄本を取り寄せ、夫に離婚を突きつける
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3年前に離婚に至ったときの経緯は、どうだったのだろうか?
「(相手の女からだと思われる)いたずら電話が続いていました。うんざりして、警察に相談に乗ってもらったんです。すると『くれぐれも関わってはいけませんよ。あなたには何の落ち度もないんですから』って助言されただけ。かといって、おとなしく何もしないのでは、不安や不満が抑えられない。そこで私、いよいよ確かめることにしたんです」
根本さんが夫の戸籍謄本を取り寄せると、知らない女の子の名前の下に“認知”と記されていた。生年月日も記してあり、計算すると、女の子は11歳。認知した年月日と照らし合わせると、3歳のときに認知したことになる。
「すぐに離婚することを決めました。それが3年前の春です。たまたま、数日後には、夫が1カ月ぶりに転勤先から帰ってくる予定でした。というのも、その日が私の誕生日だったからです。その日なら、面と向かって離婚を伝えられます」
数日後、根本さんの誕生日に、夫が予定通りに帰ってくる。
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「謄本を突きつけて、『一体どうなってるの?』って強い調子で迫りました。『この女の子誰よ? 母親は、あんたが一緒に住んでる女でしょ』と問い詰めたんです。すると『誰だよ、それ。知らねえよ。いい加減なことを言って、ふざけるんじゃねえよ』って逆ギレされました」
根本さんはひるまなかった。
「『明日専門家を呼んで、あなたとは終わりにしますから。そのつもりでいてください』って、たんかを切ったんです」
夫は1日中、家にいたが、2人にもはや話すことはなかった。その口論が、夫婦で直接交わした最後のやりとりとなった。
夫婦の最後の話し合いのとき、当時高校生だった息子さんはどうしていたのか?
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「『ママはパパと大事な話があるから、近所の人の家に行って待ってて。後で迎えに行くから』と言って、息子には家を離れてもらってました」
その後、息子さんを迎えに行き、2人で自宅に戻ると、そのまま根本さんの部屋に入って、2人きりの誕生会を開いた。根本さんのために、息子さんはバースデーケーキを買ってきていた。
「ケーキを箱から出して、ロウソクを立てて火をつけます。“ハッピーバースデー・トゥ・ユー〜”って歌ってくれてね。私がロウソクを吹き消しました。ナイフで切り分けて、それぞれの皿の上に置きました。
ここまで終えてから、息子に大事な話を切り出しました。『ありがとうね。ママうれしいよ。それでね今日、なんでパパと3人で祝わないかわかる?』って聞いたらね。息子はじっと真剣な表情で、私の顔を見ました。
『実はね、ママはパパとお別れするのよ。結婚をやめるの』
『うん……』
『パパとママ、どっちについて行きたいか、自分で選んでいいんだよ』
息子は一切動揺したりすることもなく、間髪入れずに答えました。『そんなの、決まってるよ。ママと一緒にいるよ』って。
『ああそう? でも、今までみたいに贅沢はできないよ。大丈夫?』
『うん、わかる』
ほんと、この子いい子だなと思った。確かに、血のつながった子どもではないですよ。でもね、本当にこの子ってステキに育ってくれたと思ってありがたかったし、うれしかった。これまで息子を大事に育ててきたかいがありました」
根本さんが58歳になったタイミングで行われた、彼女と息子さんだけのささやかな誕生日パーティーは、2人にとって人生の新たな出発を記念してもいたのだ。
「やっと離れられるという解放感と息子に祝ってもらった喜び、今後の生活への不安と期待と、ケーキを口にしながら、いろんな感情が頭の中に渦巻いていました。一抹の寂しさもあったのかもしれません。だって、夫とは愛し合って結婚したんですよ。『幸せにするよ。落ち着いた生活をしよう』って言ってくれたのに、こんな結末なのですから」
その後、根本さんは夫を完全に追い出しにかかった。どちらが家を出るかという話し合いもなかった。
「夫にはもうひとつの家庭があるわけだし、人としてやってはいけないことを私や息子にしてきたわけだから。夫が出て行って当然です」
根本さんは、玄関の鍵を交換し、夫の荷物をすべて車庫に置いた。鍵を換えたのは、家の権利書などといった重要書類を、勝手に持ち出されるのを防ぐためだった。
「夫は車庫に荷物を取りに来ていたようです。直接のやりとりはありません。あとは全部弁護士を通してましたから」
根本さんは、離婚届を、夫が女や娘と住む家に送った。すると捺印とサインのされた書類が、すんなり送り返されてきた。
「それを役所に持っていき、受理されました。法廷で争ったりはしていません。協議離婚です。息子はまもなく17歳になろうとするころでしたから、養育費に関しては、成人式を迎えるまでの3年余りだけ」
女に慰謝料を請求したものの、働いていなかったので、結局、夫が肩代わりすることになった。
「一括で払えないからということで、夫の年収の3分の1に相当する額を、月割りの3年分割で払ってもらいました。夫は女と15年間、2つの家庭を維持していたので、本当にお金がなかったんでしょうね」
自宅は根本さん、車は夫が引き取った。
「『俺が買ったものだから返せ』っていう主張でね。もう15万キロも乗ってた車ですから二束三文でしょ。だから『はい、どうぞ』って」
――別れた後の生活は、いかがですか?
「直後は悩みましたよ。だけど今は、すっかり落ち着いてます。別れてよかったです。女手ひとつでの生活ですから、贅沢はできないですよ。でも、小さな幸せを継続していくことはできるかな。息子も今やもう大学3年生になってて、バイトしながら頑張ってます」
――息子さんがそれだけ大きくなれば、自分から父親に会いにいけますよね?
「もう離婚しちゃってるし、私自身、夫と接触を持ちたいと思っていない。虐待したのだから、息子には会わせたくないですし。だけど、立派に育ってくれましたからね。体だけじゃなくて、精神的にも大人です。(息子が夫と)会っても構わないし、会うかどうかは彼次第です。息子の気持ちに任せます。だけど息子自身は、会いたいという気持ちは持っていないんです。それははっきりしています。『パパの子じゃない』ということです」
――生まれたときのことは伝えるつもりはありますか?
「息子が独り立ちするときや、彼女ができて結婚するタイミングで、『あなたはこうだったのよ』って言ってもいいかもしれない。だけど、今のところは、伝える気はありません。だって私たち、“実の親子”なんですから」
血のつながりだけが、愛情のバロメーターなのではない。根本さんと息子さんの絆の強さを知り、そのことを痛感させられた。今後も2人は、どんな困難があっても乗り越えていくだろう。幸せを祈るばかりだ。