マーガレット・ハウエル、ミニマリズムの女王と日本の意外な関係

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2017年08月19日 15:12  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<シンプルで上質なライフスタイルを表現する、ハウエル独自の美学の背景には日本との深い関係があった>


今から40年前、マーガレット・ハウエルはロンドンのサウス・モルトン・ストリートに、自身の名前を冠した最初のショップを開いた。彼女が生み出す服は多くの男女に愛され、世界的なビジネスに成長したが、出発点となったオープニングイベントは地味なものだった。


はるか遠い思い出だが、簡素な内装を自分で手掛けた喜びは色あせていないと、ハウエルは言う。彼女にとって、それは当時の「高級志向のあでやかな装い」への解毒剤だった。


ハウエルは常にシンプルさと洗練を追求し続けている。ミニマリズムの美学は今でこそ一般的だが、華やか志向の70年代にはむしろ急進的だった。


仕立てと伝統的な素材へのこだわりは、まさに英国流。本物のアイリッシュリネン、天然100%のウール、ハリスツイード。ハウエルの服は上質の食事のように、信頼性と親しみやすさで心を和ませる。


10年前からは機能的なシンプルさの哲学を家庭用品にも広げ、ティーポットや繊維製品、椅子などを手掛けている。ランプのアングルポイズや木工家具のアーコールなど、イギリスの老舗メーカーから限定デザインも出している。


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ヨーロッパではイギリスの9店舗のほか、フランスやイタリアなどに21店舗を構える。アメリカではバーニーズ・ニューヨークなどで取り扱っている。


日本での人気は、かのマーサ・スチュワートも羨むほど。カフェ併設のショップを含め102店舗を展開している。


ハウエルは東京のオフィスにあるプレスルームで(もちろん、白を基調としたミニマルなデザインだ)、自分のデザイン哲学は40年間ずっと変わらないと語る。「品質に決して妥協せずに、進化してきた。40年前と同じ納入業者に頼むときもある」


現在70歳。ストライプのTシャツに黒いパンツを合わせ、足元にはナイキのスポーツシューズ。60年代後半にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで美術を学んだ時代から、驚くほど変わらない自然体だ。


卒業後間もなく、バザーで見つけた1枚の古着――ピンストライプのメンズシャツ――が彼女のキャリアを変えた。着心地の良さと美しいデザイン、上質な生地の完璧な組み合わせに刺激を受け、自宅の台所のテーブルでメンズシャツを作り始めた。


彼女のシャツは、ブランド「ジョゼフ」を創業したクリエーティブディレクター、ジョセフ・エテッドギーの目に留まった。彼の支援を受けて、77年にメンズコレクションの1号店をオープン。80年から始めたレディースは、男女両方の魅力を取り入れている。


京都の寺で受けた衝撃


ハウエルが作る服は全て、自分が着たいものだ。流行や季節的なテーマには関心がなく、装飾や細やかなデザインとも無縁。ライフスタイルを語る服だ。


値段は張るが(メンズの麻のショートパンツが325ドル)、一生ものの品質という贅沢さがある。「ファッションというよりスタイルだ」と、彼女は語る。


そうした職人気質が日本では敬愛される。東京の輸入業者サム・セグレは、文化が交差する魅力に可能性を感じ、82年からハウエルの服を輸入。83年には、高級ファッションが集まる東京の青山に日本で最初の店舗をオープンさせた。


「私たちは小さな会社で細々と作っていたから、サムは日本で製造するライセンス契約のほうがいいと考えた。結果としてビジネスが少しずつ大きくなり、今がある」と、ハウエルは言う。


80年代前半に初めて日本を訪れたハウエルは、セグレの案内で京都に行った。


「小さな寺は床が磨き上げられ、ほぼ完璧なバランスを保っている。日本らしいシンプルな竹のあしらい方、ふんだんな麻や藍。何もかもが素晴らしい。私自身が過去を愛し、美しい手作りのものを愛しているからこそ、そう感じるのだろう」


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東京での定宿は伝統的なスタイルのホテルオークラ。度々足を伸ばす京都では、1875年創業の茶筒店「開化堂」と共にコーヒー豆用の缶を作っている。


本拠地のイギリスでも、田舎の簡素な暮らしに心を引かれる。週末は東部サフォーク州の海岸にある小さな別荘へ。60年代のモダニズム建築の家には、彼女が敬愛するデザイナーの品々が飾られている。イギリスのデンビーやプールの陶器、フィンランドのアルバ・アアルトの椅子。棚はドイツのミニマリスト、ディーター・ラムスの作だ。


ハウエルは6年前に、自分の全てのデザインと品物の保管を専門家に依頼した。過去を保存するためであり、未来の基盤をつくるためでもある。


「ずっと同じではいられない」とも語るが、全体的なビジョンは揺るがない。「作り手が直観で好きなものを、買う人も好きになる」


自身の成功には今も驚いている。「最初の頃は流行に従わなければいけないというプレッシャーを時々感じていたけれど、私には意味のないことだった」。彼女は少し間を置いて続けた。「人は少しずつ自信がついてくるのだろう」


40周年も特に派手な演出はない。彼女は穏やかにほほ笑みながら言う。「私のライフスタイルを考えてみれば、本当の意味では何も変わっていない」


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[2017.8.15号掲載]


ダニエル・デメトリオ


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