星野源が示す、これからのスタンダード「過去からつながった“いま”の最先端として表現したかった」

3

2017年08月20日 12:03  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 星野源が、10thシングル『Family Song』を8月16日にリリースした。リアルサウンドでは、音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏によるインタビュー特集を展開。今回はその第3弾をお届けする。


 今回のインタビューでは、『Family Song』収録曲の「肌」、「プリン」、「KIDS (House ver.)」それぞれの楽曲にあるサウンドのテーマ、メッセージについても言及。そしてアートワーク、ミュージックビデオにまつわる話からは、“いま”の最先端として音楽をつくる星野源の今作での総括が語られている。(編集部)


・こういう音楽がCMから流れてきたらニヤニヤしちゃうな


ーーでは、そろそろ2曲目の「肌」にいってみましょうか。これは『ビオレu』のCMソングとして使われることを前提としてつくったんですか?


星野:そうですね。まさにそういう内容のCMなんですけど、親子が仲睦まじくお風呂に入ってる写真を見ながら歌うような曲をつくってください、というリクエストがあって。これも「Family Song」と一緒で「こういう音楽がCMから流れてきたらニヤニヤしちゃうな」っていうのが最初の曲づくりの動機としてありました。初めに2パターンつくって、ひとつはちょっとディスコっぽいバージョン、もうひとつが採用になったいまのバージョンで。どっちにするかすごく迷ったんですけど、スタッフのみんなにアンケートをとったらいまのものがいいってことになって、僕としてもそうしたかったのでそれでいこうということになりました。


ーー資料にも「こういったリズムがテレビで流れるのはワクワクします」というコメントがありましたが、確かにこれはCMソングとして使われてる絵がすぐには浮かんでこないぐらいイレギュラーなリズムですね。


星野:ネオソウル的なイメージですね。なにかで聴いて、ずっとこういうリズムをやってみたいと思っていたんですよ。


ーー歌詞は「肌と肌のふれあいについて」とのことですが、まさか親子がお風呂に入ってる様子を想定してつくられた曲だとは思いませんでした。もっと官能的というか、エロティックな絵をイメージしていたところがあって(笑)。


星野:そうですね(笑)。親子関係と官能的なものとのダブルミーニングになっていて。どっちとも受け取れるようにつくりたいと思ったんですよ。たとえば〈その胸に口づけを〉という歌詞も官能的な意味と、あと親の授乳している様子を重ねていて。CMを見てからだとまたちょっと印象が変わってくると思います。


ーー3曲目の「プリン」はプリンスが亡くなる直前の去年4月7日、「プリンスの初期みたいな曲をふざけてやりたい」ということでレコーディングしたそうですね。


星野:はい。「イエローミュージックとか堅いこと言ってんじゃねえ! 真似させろ!」みたいな感じで(笑)。


ーーアハハハハ。


星野:「ふざけさせろ!」みたいな。なんというか、学生気分的な「なんか似てない? ギャハハハ!」みたいな感じで曲をつくってみようと思って。レコーディングした時期的には『YELLOW DANCER』の後、『恋』より前のタイミングで、そろそろ次のシングルをとか、スタッフからそういうことを言われる前に録った曲なんです。だから本当に好き勝手にやってみて、イエローミュージックのコンセプトから抜けて気軽に曲をつくったらどうなるだろうと思って取り組んだ曲ですね。


――本当に無目的につくったんですね。


星野:次のシングルで出せたらとは思っていたんですけど、直後にプリンスが亡くなってしまって。まあ、聴いてすぐにプリンスを連想するような曲かというとそんなこともないと思うんですけど、そのタイミングではまだやめておいたほうがいいかなと。イメージとしては、初期の『Dirty Mind』(1980年)のころのプリンスですね。


――確かに、「Just As Long As We’re Together」(1978年)とか「When You Were Mine」(1980年)とか、初期のプリンスのファンクともロックともつかない折衷的な曲に通ずるものがありますね。『SUN』の出発点になった「I Wanna Be Your Lover」(1979年)もそうですけど、星野さんはわりと初期のプリンス作品に思い入れがある印象を受けます。


星野:そうですね、なんか好きなんですよ。もちろん『Purple Rain』(1984年)とかも大好きなんですけど、このころのちょっといびつというか、手作り感にも惹かれます。妙にソウルフルで人間味があるなって。


――『Purple Rain』周辺の作品よりも、『For You』(1978年)から『Dirty Mind』に至る初期のプリンスのアップテンポの曲のほうが最近の星野さんの作風と相性がいい感じはします。


星野:エフェクティブじゃないというか、楽器の生っぽい音が聴こえてくる感じがするんですよね。ギターもディストーションとかまったくかかってなくて、クリーントーンでジャンジャン弾いてるみたいな。その感じが好きですごくやりたかったんですよ。ひさしぶりに最初から最後まで自分でギターを弾きました。


・偶然が必然的に全部繋がってる


――では最後4曲目、恒例の宅録シリーズ「KIDS(House ver.)」です。「とにかくTR-808のビートが聴きたいという気分で制作した」とありますね。


星野:このシリーズはいつも時間がないなかでつくってることが多くて、今回もやっぱり時間がなくて。これは一日だけでは終わらなくて、だいたい一日半ぐらいかかりましたね。もともとはほぼラップでいこうと思っていたんですよ。


――おおっ!


星野:最初はギターとベースと808(ヤオヤ)の音でラップのトラックとしてオケをつくっていたんですよ。それでサビだけ歌おうって決めていたんですけど、ラップを書く時間がなかったんですよね。歌のほうが簡単にできちゃったから、これでいいじゃんって(笑)。最後の一節にちょっとラップっぽいを声を重ねてるのが名残ですね。


――「TR-808のビートが聴きたい」という動機が気になりますね。


星野:808の音が好きなんですよ。うん、単に好きっていうだけです(笑)。808でヒップホップ的なビートを組んで、家のなかでボソボソとラップをするっていうのをやりたくて。


――最近はピコ太郎「PPAP」(2016年)のヒットだとかトラップミュージックの台頭だとかでなにかとスポットが当たることの多い808ですけど、星野さんは808のどういうところに惹かれるんでしょう? やっぱり音色ですか?


星野:そうですね。音色と、あとは日本産の楽器というところですかね。


――あー、ローランド。4月に創業者の梯郁太郎さんがお亡くなりになりましたね。


星野:あとこれはすごくしょうもないんですけど、うち、八百屋だったんですよ。


――フフフフフ……それが808愛の決め手になっていると。


星野:そこがいちばん大きいかもしれない(笑)。「ヤオヤ」と呼ばれている楽器があるということですごく気になっていて。


――TR-808を導入したごく初期の作品としては星野さんも大好きなイエロー・マジック・オーケストラの『BGM』(1981年)がありますけど、星野さんの個人的な808クラシックはありますか?


星野:なんかあるかな……あ、ヤン富田さんの「4’33″」(1992年)ですね。ジョン・ケージの「4’33″」(1952年)のカバーなんですけど、ヤンさんのバージョンもやっぱりまったく音が入ってなくて(笑)。ただ、スタートの合図が808のカウベルの「ポーン」っていう音なんですよ。ヒップホップアプローチのカバーだと勝手に思っています。


――この宅録シリーズのときって歌詞のテーマはあらかじめ考えておくんですか?


星野:いや、いつもあまり考えてないです。いつも時間がないなかでつくることが多いので。大人になりきれない感じをなんとなくテーマにしてみようと思ったんです。そうしたら、昔につくった「子供」(2010年)って曲をいまの気分にアップデートした感じになってきて。ラップは時間がかかりそうだし締め切りに間に合わなそうでやめたんですけど、試行錯誤はしたんですよ。2番の〈迷うよシティ〉って歌詞のあと、隅田川のあたりから高田馬場まで行く道のりをラップで書いてみて。でもそこから歌に戻るのがむずかしかったんですよね。そのまま最後までラップだったら別にいいんですけど、歌に戻るのがちょっと唐突すぎて(笑)。それで「ボツ!」ってことになってやめちゃいました。


ーーこの歌詞で描かれている、日々のなにげなく流れていく生活感が小気味良いリズムと相まってすごく心地いいです。不思議と元気が出ますね。


星野:そうですか。自分としても、リズムがすごくいい感じにできた感覚があります。


――最後にちょっとアートワークに関しても簡単にお話を聞かせてもらいたいんですけど……中身を見てひっくり返りました。


星野:ハハハハハ。


――ミュージックビデオもすごいことになってますね。あの「見覚えのある家族」が再結集しているのももちろん楽しいんですけど、曲のコンセプトやメッセージがほぼ完璧に落とし込まれていることに驚きました。


星野:そうですね。まず、これからの時代のスタンダードになるであろう多様で自由な家族像を、演じているキャラクターと中のひとの性別をぐちゃぐちゃにしたことで、無意識にでも感じられればと思いました。かつ、この『サザエさん』的古き良き家庭観を日本のトップランナーである吉田ユニのアートディレクションの美術世界に入れることで、ノスタルジーでなく過去からつながった“いま”の最先端として表現したかったんです。ちなみに、『サザエさん』のTVアニメが始まったのは実は1969年。そして、同じ1969年に発売された筒美京平さん作の『サザエさん』の主題歌には、モータウンの影響を感じます。楽曲で目指した〈60年代末から70年代初頭のソウルミュージック〉という部分に偶然にもピッタリはまるんです。これからの家族の歌であるということ、借り物ではなく自分の場所のソウルミュージックであること、すべてのコンセプトが、意図せずに企画した「あの番組」を再現することでつながるという。もちろん、その出演者でもあった高畑充希さんが主演しているドラマの主題歌であることもすべてつながるんです。


――改めて確認させてください。これって「あの番組」と『Family Song』をあらかじめからめようとして始まった壮大なプロジェクトとかではないんですよね? 家族というテーマやコンセプトが一致したのはまったくの偶然?


星野:もちろん、まったくの偶然です。


――こんなミラクルが起こるんですね。


星野:はい(笑)。だからいろいろな意味ですごく自然な流れがつくれたと思っていて。この偶然が必然的に全部繋がってる感じって、逆にものすごく刺激的でヤバイことだと思うんです。
(取材・文=高橋芳朗)


ニュース設定