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日本初の「がん告知」を受けた岩倉具視 ドイツ人名医の「告知の条件」とは

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2017年09月14日 07:02  AERA dot.

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写真岩倉使節団。左から木戸孝充、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通 (C)朝日新聞社
岩倉使節団。左から木戸孝充、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通 (C)朝日新聞社
 歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。

 日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断し明治の元勲、岩倉具視の症例を紹介したい。

* * *
【岩倉具視(1825〜1883)】

 今ではありえないが、筆者が研修医だったころ、よほど早期でない限りは患者さんに「がんの告知」をしなかった。「放置すると悪性化する」とか、「極めて悪性度の高い前がん状態」とか言って手術の承諾をもらったものである。一番困ったのは再発や手術不能の患者さんで、「術後の癒着」とか「抗がん剤の副作用」といった苦しい説明をしたことを覚えている。

■日本初のがん告知

 日本で最初に西洋医学的ながん告知を受けたのは、明治の元勲、岩倉具視であろう。東京帝国大学のお雇い医師ベルツは、明治16年(1883年)初め、ドイツ公使館で一人の若い貴族から父親の病気について相談を受けた。年齢が52歳(これはベルツの聞き誤りで実際は数えの59歳)で、数カ月前から食事が飲み込みにくくなったという。

 ベルツはすぐに受診するよう勧めるが、連絡なく半年が過ぎた。すると宮内省から、京都で静養している岩倉公を往診し、東京に連れて帰るようにという依頼があった。岩倉はやせ細り、著しい衰弱状態にあった。進行した食道がんだったのである。

 ベルツは診断がついた後、「お気の毒ですがご容体は今のところ絶望的です。これを申し上げるのは、閣下がそれを望んでおられるからであり、またあなたはそれを知りたいわけがあること、あなたが死を恐れる方ではないことを存じ上げているからです」と話した。岩倉は深く感謝し、「これは一身のことではない」として、国家組織が未熟であり、政敵ながらも後継者に目していた伊藤博文が憲法調査の外遊から帰るまで自分の生命がもつかどうか尋ねた。ベルツは「全力を尽くして治療します」と約束したが、1カ月後の明治16年7月20日、遺言を参議井上馨に託して死去した。

 岩倉具視は文政8年(1825年)、前権中納言・堀河康親の次男として生まれた。幼少より俊英をうたわれ、14歳で村上源氏久我家流分家の岩倉具慶の養子となる。養家は下級公家ながら、嘉永7年(1857年)には孝明天皇の侍従となる。

 文久2年(1862年)8月、帝から辞官落飾を命じられ洛北岩倉村に蟄居。しかし、孝明天皇の逝去により政界に返り咲く。明治維新では、薩長に密勅を下して討幕を正当化し、王政復古の大号令を実現する。維新政府では参与、議定、副総裁、外務卿を歴任。明治4年(1871年)に右大臣になると、日米修好通商条約改定交渉の特命全権大使として使節団を率い、欧米へ向け渡航する。帰国後は征韓論を退けて西南戦争をのりきり、さらに憲法制定を目指した。岩倉具視は頭脳明晰なだけではなく公家には珍しく胆力があり、修羅場を乗り越えてきた志士や敵方である幕臣にも尊敬されたという。

 一方、岩倉最晩年の主治医を務めたエルヴィン・フォン・ベルツは1849年、南ドイツに生まれた。普仏戦争の軍医を経て、1876年、東京医学校(現在の東京大学医学部)教授に招聘された。退官するまでの26年間に多くの日本人医師を育て、診療・教育の傍ら様々の臨床的研究を行い、肺ジストマ、蒙古斑の発見、温泉療法の紹介など、業績は極めて多岐にわたる。

■告知の条件

 岩倉に対する病状説明で、ベルツは「告知に対する患者の強い希望」「余命認知を望む正当な社会的理由」「告知を受け止められる強い精神力」という、必須の条件を確認して告知を行った。さらに死に至る数週間のターミナルケアを誠実に行っている。

 くしくもベルツの死(1913年)の同年、世界で初めて開胸による食道がん切除と食道再建術がトレックにより成し遂げられているが、明治初年には放射線療法も化学療法もない。

 岩倉は死の前日、かすれた声で大日本帝国憲法に関する意見を口述する。かくのごとき名医と、稀代の大政治家の邂逅があって、初めてがん告知ができたのであろう。

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このニュースに関するつぶやき

  • もしも俺が癌告知を受けたら「がーん!」て日本初!癌告知をダジャレで返した男になってやるぜ( ̄∀ ̄)
    • イイネ!2
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  • ちなみに、ガンを克服した人のほとんどは告知を受けてるそうです。 自分がなにと戦ってるかわかってるからこそ生き抜くことができたってことなんかもね。
    • イイネ!27
    • コメント 1件

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