「惹句」という言葉を聞かなくなって久しいというか、80年代のコピーライターブームの頃には、既に「コピー」という言葉が流通していたから、忘れられた言葉と言ってしまっても良いかも知れないどころか、読み方も分からない人も多いかも知れない(「じゃっく」と読みます)。
小学館「精選版 日本国語大辞典」によると「人の心を誘う文句。特に宣伝広告文などで、宣伝素材のある一点を誇張して美文体で謳いあげた文章」とある。主に、映画の宣伝に使われたもので、
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「見せぬ刺青 緋牡丹を
それほど見たいか
見せてもいいが 見たら
お命いただきますよ」
(東映「緋牡丹博徒 お竜参上」)
といったものだ。あのダリオ・アルジェントの名作「サスペリア」の「決して一人では見ないでください」や、「エイリアン」の「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」なども、惹句の名品と言えるだろう。
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■購買意欲をかきたてるレコードの「帯」
レコードの帯のことを思い出すと、この「惹句」のことが思い起こされるというか、こういう惹句をレコードジャケットに表示しようとした時のアイディアとして、帯というのはとても良く出来ていると思うのだ。また、当時の洋楽には「邦題」というものが付いていて、「惹句」や「邦題」がジャケットのデザインと合わさっているから音楽をイメージできた。
H・R・ギーガーのおどろおどろしいイラストだけでは、何だかよく分からないけれど、そこに「恐怖の頭脳改革」という邦題が付く事で、意味は全く分からないまま「おおっ、何か凄そう。買おう」となるのだ。「ジェフ・ベック/ギター殺人者の凱旋」と書いてあれば、ギター殺人者って何だとか、凱旋って捕まったのか?とか、そういう突っ込みは抜きに、「分かった、要するにカッコいいんだな」と納得するのだ。「哀しみの恋人たち」なんて曲だって入っているアルバムなのだけど。
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そして、買えば帯は外す。だって、ジャケットのデザインを思いっきり邪魔しているから。LPレコードは30cm四方あるから、ジャケットだけでも十分ポスターというか、絵として楽しめる。なのに、帯が付いていたら色々台無しなのだ。でも、店頭では帯がなければ、そのアルバムがどういうものなのかがサッパリ分からない。もし、帯というアイディアがなく、しかし、「見ただけで内容が分かる工夫は大事だよね」なんて企画が通ってしまったら、ジャケットに直接文字を印刷する慣習が蔓延っていたかも知れないのだ。
「モノを売る」ことが至上命令であるメーカーだと、そんな企画だって通りかねないのは、昔も今も変わらない。元々、レコードの帯は、価格や型番を印刷するためのものでもあって、それは、ジャケットデザインを邪魔しないための配慮でもある(値上げしやすいようにという配慮でもあるが)。今は、本のカバーにもCDのジャケットにもバーコードが印刷されていたりするわけだし、ジャケットにコピーが印刷される世界だって十分あり得たのだ。
■帯で推し量る「力の入れよう」
ユーザーもバカではないから、帯を見て、そのアルバムに対するレコード会社の力の入れようを推察したりする。手抜きの帯が付いていると、内容まで安っぽく感じられるくらい、「帯」から様々な情報を読みとるのが、決して安くはなかったレコードをなけなしの小遣いから買う当時のリスナーの当たり前だったのだ。
CDになっても帯は付いているけれど、ジャケット自体が小さくなったため、帯も「何かを主張するもの」ではなくなって、普通に商品説明をするものになった。限られたスペースでジャケットのデザインを損なわず、最小限の製品説明をする、という意味では、洗練されたし合理的にもなったけれど、それはもう、かつての「帯」ではない。今、帯付きのレコードが高嶺で取引されているのは、既に「帯」という文化が失われてしまったから、ということでもあるのだ。
本の帯も同様ではあるけれど、やはりレコードに比べると、圧倒的に迫力不足だ。そのせいか、強烈な惹句が書かれているものは少ないが、それでも、「水木しげる漫画大全集 44巻」の帯は「新設定鬼太郎、冒険開始!」とカッコ良く書かれているし、古き良き惹句の世界が残っているジャンルと言えるかも知れない。
■海外では珍しがられる? 日本独自の「帯」文化
かつて、私の著書がアメリカで翻訳出版される際に、向うの出版社が「帯が面白いし、アメリカでは珍しいから、色違いの帯を作って巻きたい」と言って、本当にわざわざ5色の帯を作ってくれて、その珍しさもあって増刷になったことがあった。
一方で、フランス語版とドイツ語版が出た時は、何故か帯ごと印刷された表紙になっていて、表紙デザインが台無しになっていたりして、文化の違いに感心したのだけど、帯のような、僅かな隙にでも解説を入れて、商品内容を伝えたいという発想は、日本ならではのもののようだ。
説明コストを惜しまない国民性というか、商品の付加価値的な事を早くから考えていたというか。それでも、最近、書籍で時々ある、「幅広帯」というのは、やり過ぎではないかと思う。あれ、カバーの二段重ねじゃないか。面白いからいいけど。