J-CASTニュースによると、タレントの坂上忍(50)が、とある番組で口にした「差別がないと会話はつまらない」との持論が物議を醸している……らしい。問題のコメントが公に流れたのは9月30日放送の、坂上と古舘伊知郎(62)・千原ジュニア(43)がMCを務め、毎回違った女性ゲストを招いて、彼女の「怒り」を聞き出すトークバラエティ『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京系)。事のあらましは以下のとおり。
30日の放送では、元セクシー女優の漫画家・峰なゆかさん(33)がゲストとして出演し、怒りの対象として「やたらと主語がデカい奴」を挙げた。
峰さんによれば、これは「男は浮気する生き物だから」「男は性欲が我慢できない」など、主語を大きくして、みずからの行為を正当化しようとする男性に対する怒り。
「性欲が我慢できる普通の男の人に失礼な話だし、一人称は『俺』に絞って欲しい」と訴えていた。
そこで、坂上が「基本的に会話なんてさ、差別がないとつまらないってことなんだよ」と主張。その意見に、古館も「差別まではいかなくとも、かなりの偏見がある。偏見、区別、決めつけでトークしちゃっているところはかなりあるね」と同調。さらに、坂上は峰さんに対し、「だからさぁ、アナタが言ってることは会話をつまらなくすることなんだよ」と反論した。
そんな坂上の過激な弁舌を受け、ネット上では
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「会話には差別がないとつまらないとか言っててドン引き…」
「自分が攻撃的な言動をできる立場にいるからこそ出てくる発言」
「おもしろけりゃいいテレビのトークや同じ価値観の仲間同士ではね(アリだろうけど)、まともな大人が行う会話なら差別発言見出す奴はアホ」
……などの批判の声が殺到しているんだとか。
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ついさっき、「(坂上の)過激な弁舌」と書いたが、私は今回のこの坂上発言のどのへんが「過激」で、批難の対象になるのかが、さっぱりわからない。あえて指摘するなら「差別」という単語自体に、視聴者が拒絶感を示しやすい“強さ”があるんだろう。
私も、こういった主語をデカくした“一般論”で物事を語るトークや文体をけっこう好んで多用する。この手法を取り入れなければ、物書きとして原稿の内容が大幅に制限されるとすら言っても良い。
たとえば、私がここcitrusでも何度か述べている「大阪人はバイキング(=ビュッフェスタイル)が好き」といった、主語を「大阪人」と一都道府県民にまで広げた“法則”がある。「大阪人は“〜放題”を掲げる類のサービスに異様な対抗心を燃やし、“元を取る”という“勝利”に向かって、一心不乱に突き進む(ダイエットとかヘルシーをよそとし、皿に料理を盛りまくる)傾向がある」みたいな(私を筆頭とする)大阪人気質を表したものだが、もちろん大阪人のなかにも「上品に、無理のない量の料理で皿を飾る」ヒトは少なからず実在する。
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でも、そういった“例外”にまでいちいち気を配ってしまったら最後、力のある原稿はなかなか書けやしない。時には例外をスパッと切り捨て、“最大公約数”で論破しないと、結局は「なにを言いたいのかが伝わりづらい、ぼんやりとした原稿」へと成り下がってしまうケースが大半なのである。
ただ、峰なゆかさんが「『男は浮気する生き物だから』『男は性欲が我慢できない』など、主語を大きくして、みずからの行為を正当化しようとする男性」に嫌悪の念を抱く気持ちには、私も激しく同感する。分母のデカさよりは、「男は浮気する生き物→女は浮気しない生き物」「男は性欲が我慢できない→性犯罪に到るのもやむなし?」的なロジックがあまりにスキだらけなのだ。「分母を広げて差別に走る」なら、それなりの自覚や覚悟をもって、ウイットやインテリジェンスをきちんとフレイバーしていただきたい!