【吉川圭三のメディア怪人録】スタジオジブリ・鈴木敏夫の「大人の嘘」

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2017年10月16日 18:00  citrus

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写真:アフロ

はじめまして。(株)ドワンゴのエグゼクティブ・プロデューサー 吉川圭三と申します。2017年までは日本テレビで35年間、番組のディレクターやプロデューサーをしていました。

 

私は、滅多にいない“幸福なテレビ屋”でした。

 

『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のから騒ぎ』『1億人の大質問!笑ってコラえて』『特命リサーチ200X』……私の番組は“苦しみから生まれた”と言うよりも“好奇心に従って、ひたすらこだわり、楽しみながら好きなことを夢中にやっていたら当たった”という、多くのテレビ屋さんたちに嫉妬されかねないものでした。

 

またネット屋になっても、どうやら誰かが見ており「彼が嫌そうな仕事を振ってもいかがなものか?」との配慮がなされているらしく、3年間、仕事が全く苦にならない、朝から晩まで面白い、というあまり大きな声で言えない仕事人生を送っております。(これは秘密にしておいてください)

 

テレビ人生35年、ネット人生3年余のなかで本当に様々な方々とお会いしました。テレビ、実写映画、出版、アニメ、ITの第一人者、ドキュメンタリスト、大学教授……。特に主戦場をネットに変えてからは、人脈の幅も大きく広がりました。忘れられないその方々との交流や記憶を出来るだけ伝聞を交えずにリアルに描いていこうと考えています。

 

そして、私の“肥大した好奇心”は当然、未知の人間に向かって行きそうです。将来的にはこの連載を利用してまだ見ぬ「興味深き人物」に接触し、新たに書き留めておこうとも構想しております。

 

「宇宙」にも限りなき謎と闇と光がある様に「人間」という存在にも深くて広い興味深い局面があります。その姿をモザイクの様に描きながら、彼らの全体像の一部にでも迫れれば幸いです。

 

 

■第1回 スタジオジブリ 鈴木敏夫プロデューサー

 

鈴木さんとは長いメル友だ。映画『紅の豚』公開のときに協力してもらった頃からの交流は25年にもなる。互いに推薦する本や映画を教え合ったり、愚にも付かない情報を交換したり、(主に私の方から)人生・仕事相談をしたり、もちろん少しだけビジネスの話も交わす。

 

今回もこの連載を始めるに当たって鈴木さんに主旨を説明し、第1回に登場してもらうべく、メールを送った。鈴木さんのメールの返事はこちらがどんなに夜中(朝方)に送っても、ほぼ翌日夕方までには返ってくる。文章も必要最小限。

 

例えば「いやその仕事やってもいいんじゃないですか?(笑)」「吉川さん、その件は〇〇さんに紹介しますので、調整します。数日ください(笑)」「その文章を書くならこの映画とこの映画(その時は8本も挙げた)を見た方が良いとおもいます。見て損の無い映画です(笑)」……。

 

そして今回の連載の依頼については「いいですよ。喜んで(笑)」

 

読者はもうお気づきだろうが、鈴木さんのメール文章の最後には“(笑)”が付くことがほとんどだ。些細なことや、深刻度が浅い場合には、ほぼ間違いなく落語で言えば“さげ”の様なちょっと笑える一行が入って鈴木さんの“(笑)”が入ることがある。

 

特に少々の悩み相談などに回答を頂いた場合などはこの“(笑)”が絶妙な隠し味の様に効いてくる。それには鈴木さんの「多少迷っていても、深刻に思えても、だいたい何事も最後に笑って済ませられる様なことがほとんどですよ」などという“落語のさげ的”思想(?)が込められている気もする。たしかにこう考えると通常でも「自分がさらに深刻な心境になって物事は好転するのか?」という気にもなる。

 

 

■怪物鈴木は本当のことしか言わない?

 

もちろん、この私でも数年に1度くらい、ビジネスの話で鈴木さんがネガティブな場合はビシッと断られることもある。この場合“(笑)”はない。魑魅魍魎が跋扈する映像表現・アニメビジネス界で「怪物鈴木」とも呼ばれる片鱗にチラッと触れることがある。

 

しかしその後、鈴木さんに断られた感じを引きずられることは決して無い。ビシッとなぜそれが難しいかを簡潔に説明した文章の後、「ご理解下さい」とくる。どう考えても二度と話は持ちかけられないし、次にお会いしたときもまったくその話が無かったかの様に和やかである。

 

そしてまた、ふと思い出すのは都心の鈴木さんの隠れ家兼打ち合わせ場「れんが屋」でドワンゴの川上量生会長に初めて会った4年半前、何かの議論の後トイレですれ違って雑談したとき、スタジオジブリ見習いの川上さんが「鈴木さんて、本当のことしか言わないんですよね」と私に言ったことだ。

 

もちろん、鈴木さんも百戦錬磨の大人だから、交渉や対話における様々な高等テクニックを持っているのは当然だ。だが、そのときもほとんど「嘘」はつかないし、お追従は言わないという。相手がそれなりの脳みそを持っていれば鈴木さんが柔らかい言葉でやんわりと断っていることが、判然とわかる。一方、断固として断ったり、前向きに「やろう」と言ったときには一点の曇りもない。これは大小どんな相手でも変わらないのだ。

 

もちろん鈴木さんにとって「面白いもの」は面白いし、「つまらないもの」はつまらないので、言葉に出さずとも鈴木さんを見ていればその表情や姿から明らかにわかる仕組みだ。でも、この──言葉を選ぶとしても──「本当のことしか言わない」ことを自分で実践してみると、様々なことがスムースにいったり、上手くいったり、遺恨を残さなかったりすることが分かってくる。

 

鈴木さんは大新聞に講演を頼まれ「皆さん。本当のことを書いて下さい」と言い放ったというのだから、年期が入っている。ただ、伝聞ではあるが、最近意外なことを聞いたのである。

 

鈴木さんの私に関する所見である。

 

「吉川さんね〜。吉川さんは『上手に嘘をつくことが出来ないんだ。そこが残念な所なんだ』」

 

……私は当然、唖然とした。鈴木さんは上手に嘘をつける──しかし、ときに本当のことを大きく言い放つからそれが目立って「鈴木さんは本当のことしか言わない」ということになるのだろうか?

 

このあまりに深き「大人の論理」。数々の山や谷を越えて来た鈴木さんだからありうることなのだろうか。……というわけで、不肖・吉川圭三も今更、少しずつ「大人の嘘」をつく訓練をしている次第である。

 

7・8年前に始めた鈴木さんとのメールのひと言で、文章素人の私はスタジオジブリの小冊子『熱風』に1年半近く連載をした。まとまった文章を、しかも専門外分野で書くのは初めてであり、脂汗をかきながら始めたが、何かを調べて文章を書く喜びを知った最初のキッカケである。

 

お蔭様で、こうした連載や講演や早稲田大の講師などの依頼も来ることになり、2冊の書籍も出版することが出来た。いわばテレビ・映像という表現手段しか持っていなかったのが「もう1本の表現の手」を持ったのだから、私にとっては大変なことなのである。そして手直し中でまだ発表できないのだが、小説まで書いてしまったのだから「鈴木マジック」は恐ろしい。

 

「吉川さん。文章書いてみれば」この威力は誠に強烈で、何と私は鈴木さんの指示で、ある米アカデミー賞ノミネート作品のジブリ作品の第2稿まで書いてしまったのである。たしかに私は映像関係者であり、あらゆる映画が頭の中に入っているつもりだ。しかし私は、根はテレビ屋だ。あの脚本が役に立ったのかどうかは判然としないが、私はまたも鈴木さんによって「新しい表現手段を拡張」することが出来たのだ。

 

普段「れんが屋」では雑談ばかりの鈴木さんであるが、ときにそのメールと鈴木さんのひと言は一撃必殺なのである。だから、鈴木さんと会うのは何時でも待ち遠しいとともに、いつもフーディーニ(米国映画初期の魔術師)の映画を観に行く前の当時の観客の様に、少しばかりドキドキしてしまうのである。

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